12.遠くを見てこずに生きてきた
未来図を描かずに生きてきました。
第6回の 「計画という名の理想論」でも書いたと思いますが、「将来のことを考えても仕方ない」と思っていたのです。
「数年先のことを考えても、結局はその考え通りにはなるわけないし無駄じゃん」、その様なことを本当に考え、信じていた様に思います。
中学三年生になっても高校受験のことなど碌に考えなかったし、高校生になっても大学受験のことなど真剣に考えなかった。
将来の夢というのは漠然としながらも持っていた気がします。そうは思うけれど、夢や目標というより「理想」という言葉の方が近いかもしれない。
将来の夢というのに関連した記憶で、小学生の時に何かの文集で『将来の夢』を書く欄があって『小説家』と書いたことを覚えています。
翌年には、『フリーター』だか『ニート』と書いたことも、記憶にあります。
中学生の時には、『プログラマー』とか書いたかな。高校生の時には、そのようなことを書く機会はなかった筈。覚えていないだけかもしれないけれど。
遠くを見てこずに生きてきた、とタイトルに書きました。
けれど、よくよく考えると近くすら見なかったのかもしれない、そう思います。要するに、何も考えずにただ生きてきただけ、その様な人生だったかもしれない、と。
『未来を考えても仕方ない』というのは未来を見ずに生きてきた理由の一つで、他にも主要な理由があります。
それは、『既定路線が嫌いだった』ということです。ランダム、ハプニング、予期しない事態、そんなことが大好きでした。
だから『将来のことを考えてその通りに進んだらつまらないじゃん』みたいな変なことを考えていたのです。
自分が考えた通りに物事が進むよりも、そうじゃない方が面白いし楽しそうだ、と思っていたから将来のことを碌に考えなかった、ような気がします。
何も考えなければ、未来が既定路線や予定調和に思える様なことはありませんし、そう考えたのだと。
今では、昔の自分がどのように考えていたのか、ということは少し忘れてしまっているのが残念です。
後はそう、中二病だったのも一つの原因だったかもしれないです。
斜に構えて物事を捉えたり、ニヒリズムにどっぷり浸かってしまったり……。
真剣に考えることを、何だかダサいと思ってしまうのは中学生とかその辺りの年齢で見られる特徴の一つで、自分もご多分に漏れずそういう奴でした。
真面目に何かやるのは格好悪くて、テキトーに過ごすのが賢い選択だと思っていた節があった。中学生の時だけで、高校生の時は、きっと、多分、恐らく、直っていた筈……。




