Chapter 2 変わっている人
教官による明日以降の授業案内が終わると、新入生たちは順次帰宅していった。アリスも自席で帰宅準備を整えている。
(エレノアは剣の稽古でしたね)
一緒に帰るつもりだったが、親友の予定を思い出し、そのまま席を立とうとする。
そのときだった。
「アリス、少しいいかい?」
振り返ると、アリスの婚約者、フェリクス・フォン・ローゼンフェルトが立っていた。
整った顔立ちに茶髪、すらりとした痩身。学校を歩けば大抵の女生徒が振り返るような美丈夫だった。
もっとも、アリスの好みではなかったが。
「今日、エーレンフェルト家の養子と話していたそうだな」
昼間の件が、既に広まっているらしい。
「はい。少しお話ししました」
「あまり親しくするのは、感心しないな」
そういうことか、と内心呆れながら、アリスは聞き返す。
「どういう意味でしょうか?」
「建国侯爵家の養子とはいえ、元は灰溜区の孤児だ。身分だけ整えたところで、育ちは変わらない」
「……」
「君はリンバウム公爵家の娘だ。まして、俺の婚約者でもある。付き合う人間くらいは選んでくれ」
言いたいことは山ほどあったが、アリスは抑えて返答する。
「あなたの婚約者であることは、承知しています。――ですが、それによって私が誰と話すかまで、あなたが決めることにはならないでしょう」
「…なんだって?」
「私は、まだ彼のことを何も知りません。知らない方を、出自だけで判断するつもりもありません」
フェリクスはしばらくアリスを見ていたが、やがて小さく鼻を鳴らし、そのまま踵を返した。
アリスは、去っていくフェリクスの背中を見ていた。
(私は、ああはなりません)
――入学から数日が経過した。
アリスは、早朝に剣術と魔法の自主練習を行い、その後エレノアと一緒に登校する。授業が終われば、予習と復習。
授業中は内容の誤りを遠慮なく指摘するため、既に教官たちからは恐れられ始めていたが、本人は気づいていない。
アリスは、そんな生活を繰り返していた。
ときおり、授業を受けているユーグが視界に入った。入学初日以降、まだ話していない。
そんなある日の放課後、アリスは、廊下で大量の木箱を一人で運んでいる男子生徒に気づいた。
両腕に木箱を抱えているが、廊下にはまだいくつも残されている。
とても一人で運びきれる量ではない。
アリスは、手伝おうと席を立った。
すると、大柄な男子生徒が、自分より先に向かっていることに気づく。
ユーグだった。
「この木箱だな?」
ユーグは男子生徒の返事を待たず、木箱を二つ持ち上げる。
「えっ? い、いや、大丈夫です!」
「どこまでだ?」
男子生徒は、エーレンフェルト侯の養子であるユーグに恐縮していたが、一人で話を進めるユーグを止められない。
「く、訓練場までです」
「では、行きましょうか」
「ええっ?!」
今度は、遅れて廊下へ出たアリスが木箱を持ち上げていた。
突然、建国貴族の家に連なる二人に囲まれた男子生徒は、飛び上がって木箱を落としそうになる。
「ア、アリス様まで…」
男子生徒が何かを続けるより先に、二人は歩き出した。
三人が並んで廊下を歩く。
「これ、なんだ?」
「教官から運ぶように頼まれた教材です」
「全部お前のか?」
「……いえ、何人かで運ぶように、と」
「他の連中は?」
「……」
「いつもやってるのか?」
「……はい」
「やりたいのか?」
「……いえ。でも、俺は平民ですから」
「それ、関係あるのか?」
「……え?」
ユーグの問いに、男子生徒が顔を上げる。
そして、アリスも会話に加わる。
「その通りですね」
「ア、アリス様?」
「あなた自身が引き受けたいのであれば構いません。――ですが、平民だからというだけで、嫌々引き受ける義務はないと思います」
「でも……皆、そうしてますし……」
「皆がそうしていることと、あなた自身がどうしたいかは別でしょう?」
「……」
男子生徒は黙ってしまう。
その後、三人は訓練場に着くまで無言だった。
教材は一度では運びきれない量だった。
三人は一回目を訓練場へ置いた後、残りを取りに戻る。
その途中、四人組の男女と鉢合わせた。男子生徒へ仕事を押し付けた貴族生徒たちらしい。
「お前一人で運べって言ったよな?」
「アリス様に手伝わせるなんて、どういうつもり?」
そして、四人組のリーダー格と見られる貴族生徒が、残っている木箱を指さす。
「ほら、残りはお前一人で運べよ」
男子生徒は下を向いて黙っている。
アリスは珍しく、考えるより先に口を開きかけた。
「どうする?」
「……え?」
男子生徒が顔を上げてユーグを見る。
ユーグは何も言わず、男子生徒を横目で見ている。
アリスは開きかけていた口をつぐむ。
(……何を?)
やがて、男子生徒は意を決したように前を向いた。
「……自分の分は、運びます。――でも、あなたたちの分は…自分で…運んでください」
「…何?」
リーダー格の貴族生徒が気色ばむ。
「俺は……もう、運びたくありません」
その声は少し震えている。しかし、間違いなく最後まで言い切った。
「こいつ…!」
リーダー格の貴族生徒が激高し、男子生徒へ手を伸ばす。
「やめ――」
アリスが制止しようと手を伸ばす。その瞬間。
「――いっ?!」
貴族生徒の悲鳴が上がる。
ユーグが、伸ばされた腕を掴んでいた。
(――速い!)
アリスは、ユーグの腕の動きを追い切れなかった。
遅れて、他の全員がユーグを見る。ユーグの表情には、怒りも、焦りも、何も伺えなかった。
貴族生徒がユーグに向かって叫ぶ。
「は、離せ!」
「この手、どうすんだ?」
振りほどこうとするが、全く動かない。
「――い、痛っ…痛い!! な、何もしない!だから!」
「そうか。悪い」
ユーグは手を離し、強く握りすぎたことを謝罪する。
貴族生徒たちの顔に恐怖が浮かぶ。
騒ぎを聞きつけ、他の生徒たちも集まってきた。
「彼の分は運び終わっています。教官の指示通り、残りはあなたたちが運びなさい」
アリスがきっぱりと言う。四人組はバツの悪い顔をしながら、大人しく従った。
「あ、あの…ラグナード殿。あ、ありがとう、ございました」
男子生徒がユーグに礼を言う。
「何がだ?」
「え…? た、助けていただいたので」
「俺が自分でやった。――あと、ユーグでいい。敬語もいらん」
「ええ?! そ、それは流石に…」
慌てた男子生徒がアリスに視線を送る。
「本人がいいと言っているのであれば、いいのでは?」
アリスがふっと笑う。
男子生徒はユーグに向き直り、その顔を見上げる。
「……じゃ、じゃあ、ユ、ユーグ。これでいいかい?」
「ああ」
「ふふっ」
アリスは先ほどの緊張感とのギャップにおかしくなり、自然と笑みが漏れる。
「何だ?」
「いいえ、なんでも。ラグナード君は変わっていますね」
「そうか?」
「そうです」
アリスは、なぜエーレンフェルト侯がユーグを養子に迎えたのか、少しわかったような気がした。




