↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/37

Chapter 1 知らない人


――大陸歴一四一年、陽炎の月(七月)、ローレライ王国東部。


アリスとエレノアが、軍馬で荒野を駆けていた。

天気は快晴。風も少ない。

蹄の音だけが荒野に響いていた。


(あの日も、こんな天気でしたね…)


アリスは軍馬を走らせながら、ユーグと初めて出会った日を思い出していた。




――大陸歴一三七年、白鹿の月(四月)、ローレライ王立士官学校、大講堂。


「――この士官学校で学ぶ日々が、私たち一人ひとりにとって、実りあるものになることを願っています。――新入生代表、アリス・フォン・リンバウム」


アリスが一礼すると、盛大な拍手が起こった。

顔を上げたアリスが、壇上から新入生たちを見渡す。


(ここには、私の知らない人が大勢いる)


数年前、実家の公爵邸で聞いた言葉を思い出す。


『知らないことを、知ったつもりになるな。自分の目で見て、それから考えよ』


背筋を伸ばし、壇上から降りる。

(自分の目で見て、考えます。そうすれば、もっと正しくお父様をお支えできる)

(私は、ここへ来てよかった)



入学式を終え、新入生を含む生徒たちが教室に戻る。

授業は明日から開始されるが、これから担当教官による案内が予定されている。

それまでの空き時間、新入生たちは早くも互いの自己紹介を始めていた。やがて話題は、出自や家柄、親しい家同士の関係へ移っていく。

士官学校は教育機関であると同時に、卒業後の配属や推薦、人脈形成にもつながる、小さな政治社会でもあった。


そんな中、一人だけ、自分の机に座り、腕を組んで目を閉じている生徒がいた。

座っていても、十六歳とは思えないほど大柄なのがわかる。


「あれがエーレンフェルト家の養子か」

「でも、灰溜区の出身らしい。父から聞いた」

「実技試験では、かなり目立っていたらしい」


少し離れたところで、新入生たちがひそひそと話していた。

アリスも、自分への挨拶に集まった新入生たちへ応対しながら、その生徒を見ていた。


すると、ある男子生徒がその席へ近づき、声をかけた。

大柄な生徒は姿勢を変えずに目を開け、男子生徒へ視線だけを送る。


「エーレンフェルト家の養子らしいな。でも、元は灰溜区の孤児らしいじゃないか」

「そうだな」

低く、それでいてよく響く声だった。あっさり認め即答する。

男子生徒は想定外だったのか言葉に詰まるが、続ける。

「いくらエーレンフェルト家に入ったからって、元は灰溜区だろ。あまりいい気になるなよ。僕たちとは血筋が違うんだ」

「そうか。よくわからんが、覚えておく」

「な、なんだと…?」

「?」

気色ばむ男子生徒を見て、男は少し困惑した表情を浮かべる。


(…怒らないのですね)

アリスは、灰溜区出身であることや、大柄な体格から、もっと気性が荒い人物だと想像していた。

(それにしても、随分と挑発的な――いえ、もしかして、本当にわかっていない?)

男の困惑した表情に、芝居がかったところはない。

どうやら本当に、思ったことをそのまま口にしているらしい。


男子生徒はしばらく男を睨みつけていたが、やがて挑発的な笑みを浮かべた。


「ふん。エーレンフェルト侯も、随分と物好きなことをしたものだ」


それが引き金だった。

周囲がざわつく。

怪訝に思った男子生徒が横を向くと、そこには真顔のアリスが立っていた。

「…ア、アリス様?」

ローレライ建国貴族の一柱、リンバウム公爵家。

その令嬢であるアリスが、真顔で男子生徒を見据えている。


「……今の発言は、少々聞き捨てなりませんね」


静かな声だった。

それでも、隠しきれない怒気が含まれていることが、男子生徒にはわかった。

男子生徒は、固まったまま動けない。


「物好き、ですか。――つまりあなたは、彼を養子に迎えた侯の判断に、相応の理由がなかったとおっしゃるのですね?」

「い、いえ、そこまでの意味では…」

「では、どういう意味でしょう?」


男子生徒は、アリスが怒っている理由をこの時点で理解した。

エーレンフェルト侯とリンバウム公が懇意であったことは、政界ではよく知られていた。

その侯の判断を、公爵令嬢の目の前で「物好き」と評したのだ。

少なくとも、リンバウム家に快く受け取られる発言ではない。

そんな簡単なことを、頭に血が上り忘れていたのだ。

だが、アリスが怒っている本当の理由は、それではなかった。


「それとも、本当の理由を知った上で、物好きと評したのでしょうか?――であれば、その理由を教えてくださいませんか?」

「も、申し訳ありません…。軽率な発言でした」

「では、その発言は取り消されるのですね?」

「は、はい」

「そうですか。そろそろ教官が来られる頃かと思います。席に戻られては?」

「し、失礼します!」

男子生徒が素早く頭を下げ、自分の席へ戻る。


いつの間にか周囲も静まり返っていた。

ほどなくして、他の新入生たちも自席へ戻っていく。

アリスは一息吐くと、男が自分を見上げていることに気づいた。

「その…ラグナード君ですよね?」

「ああ」

「エーレンフェルト侯には、以前何度かお話を伺ったことがあります」

「親父を知っているのか?」

「お、親父…ですか?」

「養父だからな」

「そ、そうですね」

アリスは一瞬言葉に詰まったが、続ける。

「侯が亡くなられたことは伺っています。ご病気だったのですか?」

「ああ。俺を拾ったときには、もうだいぶ悪かった」

「…あなたを養子に迎えたときから?」

「ああ」


アリスは、すでに重い病を抱えていたエーレンフェルト侯が、なぜその時期に灰溜区の孤児を養子に迎えたのか、理由がわからなかった。

しかも、当の養子は家督を継いでいない。先ほどの男子生徒ではないが、物好きと捉えた方がわかりやすくもある。

だが、アリスには、あのエーレンフェルト侯がそのような道楽をする人物だとは、どうしても思えなかった。


「……もう一度、お会いしたかったです」

「そうか」


それを最後に、アリスも自席へ戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。