Chapter 3 嫌な偶然
アリスの中央緩衝地帯への現地調査が正式に認められた翌日、アリスはエレノアと共に軍総統府の資料室にいた。
軍務局直属士官が東部方面軍の管轄区域へ調査に入る以上、すぐに出発できるわけではない。
調査命令書の発行、東部方面軍への事前通達、事情聴取権限の付与、移動用の軍馬や旅程の手配などに数日を要する。
アリスはそれらの準備が完了するまでの時間を、軍総統府で確認できる資料の洗い出しに充てていた。
作戦開始前に発行された巡回警備の任務概要書と、中央緩衝地帯の地図を机の上に広げる。
地図上で確認すると、事件の起きた村は出発地から最も遠い位置にあった。
「これ、この村に直行してますねえ」
アリスと共に机の上を見ていたエレノアが、口を開く。
「なぜ分かるんです? 実際の順路は隊長の裁量ですので、行軍記録を確認しないことには…」
「早すぎるんですよ。こちらをご覧ください」
エレノアが報告書の一部を指す。
「部隊の出発が午前六時。交戦開始が九時とあります」
次に、地図上の東部駐屯地を指し、村まで指を滑らせる。
「ということは、遅くとも三時間でこの村まで来ています。これ、かなり急いでますよ」
「それほどですか?」
「ええ。この距離を三時間でもかなり速いです。しかも、この装備を抱えてですからねえ。馬に乗る隊長はともかく、徒歩の兵は着いた時点でへとへとですよ」
アリスが別資料の装備一覧を確認する。
「巡回警備として、不自然な装備でしょうか?」
「装備だけなら別に」
「だけとは?」
「巡回警備にしては過剰な人数と装備。異常な行軍速度。そして、この村への直行です。――私は嫌ですねえ。こういう偶然」
伏し目がちに地図を見るエレノアに、アリスが続ける。
「この村は、自治政府に対して蜂起した最初の村です。警戒を優先する理由はあります。――ですが」
「巡回警備なら、ここまで急ぐ必要はありませんねえ」
アリスは口元に手を当てる。部隊は、道中の他三村の巡回を後回しにしてでも、この村への到着を優先した可能性がある。
だが、急行した理由が分からない。まるで到着すること自体に期限があったようにも思える。
しかし、それを解明するには、現地で確認するほかなさそうだ。
続けて、アリスは部隊の人員編成表を手に取る。
「行軍については一旦ここまでですね。人員編成表も確認しておきましょう」
「名簿ですか?」
「ええ。事情聴取もありますから、誰に話を聞くべきか整理しておきたいです」
アリスが名簿に指を走らせていると、指が途中で止まり、目が細まる。
「アリス様?」
「……多いですね。偏っています」
「…何がです?」
「私が把握しているだけでも、約半数が急進派に近い人物です」
アリスは名簿の上部へ指を戻す。
「しかも、隊長とその周囲の士官に集中しています」
「…兵を動かす人間が、ですか」
「…ええ」
アリスの中の疑念が一段深まる。臨時に編成されたはずの部隊がここまで特定の人脈へ偏るなら、人員選定の段階で何らかの力が働いた可能性がある。
この部隊は、編成された時点で巡回警備とは別の目的を持っていたのではないか。
だが、目的そのものは分からない。それも現地で確認する必要がある。
アリスが資料に目を落としている隣で、エレノアがわずかに視線を動かす。
少し離れた場所にいる士官と目が合うと、士官は自然を装い視線を外す。
(見られてますねえ)
エレノアは穏やかな顔を崩さず、士官の顔を覚える。
「エレノア?」
アリスが、資料から視線を外したエレノアに気づき、声をかける。
「いいえ、なんでも。アリス様は人気者ですからねぇ」
エレノアがいつもの笑顔で茶化す。
「?」
アリスは意味が分からず首を傾げた。
だが、エレノアが時折よく分からないことを言うのは、今に始まったことではない。そのまま資料の確認に戻る。
一通りの資料確認を終える。
普通の士官なら「派閥絡みの妙な案件らしい。深入りしない方がいい」と考えてもおかしくはない。
「結論は変わりませんね。現場を確認しましょう」
「では、お供します」
すぐにエレノアが続く。口角がわずかに上がっている。
「…楽しそうですね」
「ええ。アリス様のお側は、飽きません。――それに、アリス様も満更ではないのでは?」
「はい?」
エレノアは首を傾げるアリスに顔を寄せると、少し伏し目がちになり、さらに口角を上げた。
「ユーグ君に会えるかもしれませんからねぇ?」
「――っ?!」
「おや。お顔が赤いですねぇ?」
「――エレノアっ!!」
この護衛兼親友だけは食えない。アリスは、熱くなる頬を誤魔化すように叫んだ。
軍令局長室。
軍令局長は、士官からある報告を受けていた。
「……名簿まで見ているのか」
「はい。本国で確認可能な資料は全て洗っているようです」
「……」
局長は苦々しい顔をしたまま目を閉じる。
「局長」
「なんだ?」
「おそらく、護衛には気づかれたものと思われます」
「…ヴァイスハイトか」
「はい」
局長は短く息を吐く。想定の範囲内ではあった。
エレノアほどの達人を相手に、完全に悟られず動向を探るのは難しい。
それでも、アリスがこの件についてどこまで掴んでいるのかは、把握しておく必要がある。
「構わん。監視は続けろ。不審に思われても、理由にまでは辿りつけん」
「はっ」
「それと、午後の会議は中止だ。閣下に面会を取り付けてくれ」
士官が退室した後、局長は椅子に背中を預け、顔を手で覆う。
「……よりによって、アリス様とは…」




