Chapter 2 ユーグ・ラグナード
アリスが軍務局長への報告を終えてから一週間後、軍総統府に激震が走った。
中央緩衝地帯の巡回警備に当たっていたローレライ正規部隊が、謎の男の襲撃を受け、壊滅したとの報告が届いたのである。
「部隊は四十人だぞ?報告の誤りではないのか」
「巡回警備先の村で襲われたらしい。村人が呼応したとの報告もある」
「所属は?」
「アドラス側の諜報員の可能性は?」
会議室は騒然としていた。
方面軍からの報告を受けた軍令局の士官をはじめ、軍務局からも複数の士官が出席している。
正式な説明を待たず、すでに報告書へ目を通した士官たちが憶測を交わしていた。
一方、アリスとエレノアは議論に加わらず、机上の報告書へ目を落としている。
「…この部隊」
アリスの視線が、報告書のある一行で止まる。
『東部方面軍所属 中央緩衝地帯巡回警備隊 四十名』
アリスの頭に、先日調べた東部駐屯地の輸送費増加がよぎる。
増加の一因となっていたのが、まさに報告書にある四十名の増員だった。
今回壊滅したのは、その部隊である。
そうしていると、軍令局の士官が方面軍から届いた追報を読み上げた。
「襲撃者は、自らをユーグと名乗ったそうです」
「誰だ?」
「どこかの山賊ではないのか?意味のある情報ではないな」
士官たちは、半分聞き流しながら議論を続けている。
「……ユーグ?」
「……アリス様」
そんな中、アリスとエレノアだけが、その名に反応する。
「年齢は二十歳前後。かなりの大柄で短めの黒髪。大太刀のような武器を所持していたとのことですが、使用せず、殴打のみでその場を制圧したとのこと」
「なお、先日報告があった自治政府役人へ暴行を加えた男とも、特徴が一致しています」
アリスとエレノアが顔を見合わせ、小声で話す。
「……間違いないですね」
「ですねえ」
二人の認識が一致すると、アリスが発言を求める。
「発言、よろしいでしょうか?」
士官たちの視線がアリスに集まり、静まる。
配属二年目の若手とはいえ、異例の速度で二等士官へ昇進した才媛であり、建国公爵家の令嬢でもある。
誰もその発言を軽くは扱わない。
「その人物に心当たりがあります」
「知っているのか?」
「はい。彼の名は、ユーグ・ラグナード。エーレンフェルト侯爵家の養子で、私たちの士官学校時代の学友です」
会議室が再びざわつく。
「エーレンフェルトだと?! あの建国侯爵家の?!」
「我が国の貴族に連なる者だというのか?!」
「ラグナードとは? なぜ家名を名乗らない?」
「エーレンフェルトを名乗る資格はあります。ただ、本人はラグナードを名乗っています。今は亡き先代エーレンフェルト侯から授かった名だそうです」
アリスの説明を受け、士官たちは混乱する。報告内容と素性との差もあるが、いまや単なる山賊の襲撃では事態の説明がつかないからである。
「エーレンフェルト侯爵家の養子…しかも士官学校卒か」
「軍を襲撃する意味を理解していないとは、考えにくいな」
「村人も呼応したとの情報もあったな」
「……現地の村で何があった?」
会議室が再び静まる。結論を出すには情報が足りない。
そんな中、会議の主催者である軍令局長が口を開く。
「現時点で推測を重ねるのは避けよう。軍内に無用の混乱を生みかねん。まずは東部方面軍からの続報を待つべきだ」
異論は出なかった。会議が終了するかと思われた、そのとき。
「局長、一つよろしいでしょうか?」
「何かね、リンバウム二等士官」
アリスが報告書の一部を指す。
「この四十名は、先日の巡回警備強化に伴い、新たに追加された部隊で間違いありませんか?」
「…そうだ」
軍令局長は質問の意図が分からず、怪訝な顔をしながら答える。
「私は先日、東部駐屯地における直近の輸送費増加について調査をしていました。輸送費増加の要因の一つとして、この巡回警備強化に伴う臨時輸送を想定しています」
隣に座る軍務局長がアリスを見る。先日よりは顔色が良い。
「まだ調査中と言っていた件かね」
「はい」
アリスが報告書へ視線を落とす。
「今回の事件は、部隊運用だけでなく、先日の輸送費調査とも関連しています。複数部署にまたがる案件のため、軍務局直属の私が継続して確認すべきと考えます」
「…つまり、君の職掌範囲だと?」
軍令局長が問う。
「はい。少なくとも、現状では一部署で切り分けるべき案件ではないと考えます。つきましては本件に関し、私自らの現地調査を申請致します」
話を聞いていた軍務局長が頷き、軍令局長に確認する。
「なるほどな…異論はない。リンバウム君にお願いしよう。――東部方面軍との調整に問題は?」
「…ない。こちらから連絡しておこう」
「ありがとうございます」
アリスの礼をもって、会議は終了した。




