Chapter 5 お前らの都合か
「アドラスは認めているのか?」
その低く静かな声を聞いて、マルクは声の主を見た。
さっきまで木に寄りかかっていた大男が、いつの間にか村人たちの先頭に立っている。
隊長が訝しみながら問う。
「なんだ貴様は?この村の者か?」
「ユーグ。旅人だ」
「そういう意味では…まあいい。部外者は下がれ。今は大事な話をしている」
隊長が手で払う仕草をするが、ユーグは気にせず質問を繰り返す。
「もう一度聞く。アドラスは認めているのか?」
(…なんだこいつは?)
隊長は軽く苛立つが、話が前に進まないと考え、質問に答えることにする。
「現在協議中だ。しかし、方針がまとまるまでの間、秩序の空白を放置するわけにはいかん。何せ、自治政府がこのありさまだからな」
「認めていないんだな?」
(こいつ…!)
隊長がわずかに顔を歪める。
「…そこは本筋ではない。我々は巡回警備中、自治政府の管理下から離れた村を見つけた。そのため、現場判断にて最善の対応を取っているのだ。アドラスには後日説明すればよい」
(一直線に向かっていたよな…)
マルクは道中の行軍を思い出していた。寄り道もなく、明らかに急いでいた。
「アドラスは知らないんだな?」
話を聞き終えたユーグが返す。
「……だから、本筋ではないと言っている!」
隊長の顔から余裕が消えていく。
「いや、ここが共同管理地なら、アドラスと話せ。後で揉めるぞ」
「…っ! その必要はない!」
「なんで?」
「さっきも説明したはずだ!我々は巡回警備中にこの村を発見した! 現場で異常を確認した場合、軍には一定以上の裁量が認められている! これは、ローレライとアドラスの間で正式に認められていることだ!」
「緊急じゃないだろ」
「何っ?!」
「ここみたいな村があることは、知っていただろ。ローレライも、アドラスも」
「ぬっ?! ぐ…!」
(すげえ…)
マルクはユーグの返しに感嘆していた。
どんなに難しい言葉や理屈を並べられても、論点ずらしを許さない。軍の士官である隊長が、完全に押されている。
「だからこそ、放置できんのだ!」
「なんで?」
「このままでは手遅れになる!」
「何が?」
「ローレライの安全保障がだ!」
「なんで?」
「自治政府が崩れているこの機会を逃せば、ローレライは緩衝地帯を押さえられん!」
「だから、アドラスと話せ」
「埒が明かんのだ!!」
隊長が叫び、ぜえぜえと肩で息をする。周囲が静まり返ったことに気づくと、はっと顔を上げた。
「そうか、つまり」
「お前らの都合か」
マルクは息を呑んだ。
ローレライは、表ではアドラスとの話し合いの席についていながら、裏では緩衝地帯を実効支配する計画を進めていた。
しかも、巡回警備という正規のルールを、入村の手段として悪用している。
「もういい…。大人しく話に付き合ってやれば調子に乗りおって…。貴様のような山賊風情に、国防の何がわかる…!」
理屈で勝てないと踏んだのか、ユーグ個人への攻撃へ移る。マルクの中で、隊長の負けが確定した瞬間だった。
「よくわからんが、アドラスと話せ」
「黙れっ!!話は終わりだ!村長!」
隊長が村長を睨みつける。先ほどまでの余裕は見る影もない。
「この場で決めてもらおう!ローレライに帰順するか、拒むか!尤も、選択の余地はないと思うがな!」
全ての建前が剥がれ、話が事実上の服従強制へ切り替わる。
村長は隊長を真っ直ぐに見返し、返答する。
「断る!あんたらは信用できん!」
隊長の顔から感情が消える。
「…そうか、わかった。――村長を拘束しろ!」
側近の兵に命じる。兵が前に出ると、他の村人たちが村長を守るように兵との間に入る。
マルクは、一触即発の状況に息を忘れている。
「退け!」
隊長が叫ぶが、村人たちは動かない。農具を構え、兵たちを真っ直ぐに見据えている。
「警告はしたぞ…」
マルクは嫌な予感がした。そして、その予感は即座に現実となった。
「撃て!この距離なら当たる!」
二人の兵が銃を構える。
「嘘だろっ?!まっ…!!」
マルクが叫び、手を伸ばした瞬間だった。
「ぎゃっ?!」
「がっ?!」
「なっ?!」
隊長が驚愕する。銃を構えた兵の腕が、弾けるように跳ね上がった。
遅れて発射された銃弾が、明後日の方向へ飛んでいく。
「なにがっ?!」
「隊長!!」
側近の兵が叫ぶ。隊長が視線を前に戻すと、そこには目線の高さまで跳躍したユーグがいた。
ドゴォッ!!
「っがはぁっ?!!」
鳩尾に強烈な飛び蹴りを食らい、隊長が吹き飛ぶ。
後ろに立っていた兵数人を巻き込みながら倒れると、そのまま動かなくなる。
マルクは、遠目で一部始終を見ていた。
自分が手を伸ばすのより早く、ユーグは片膝を地につけ、二つの石を左右の手で交互に放ったのだ。
投石自体は牽制手段として珍しくはない。マルクも先輩に投げ方を習っていた。
しかし、ユーグのそれは威力、速度ともに常軌を逸していた。
石が銃を構える二人の兵の腕を正確に捉え、銃ごと跳ね上げる。
(なんで、あの距離でまっすぐ飛ぶんだよ?!)
そして、ユーグはマルクが驚くより先に地面を蹴って走り出すと、隊長に向かって大きく跳躍し、強烈な飛び蹴りを食らわせたのだ。
(こ、こいつだっ!!)
マルクの脳裏に道中の噂が蘇る。大男、権威をものともしない気質、人間を吹き飛ばす膂力、全てが繋がる。
(っていうか、殴るどころじゃないんだけど?!!)
噂よりはるかにヤバい。マルクは戦慄した。
広場が静寂に包まれる。マルクを含む兵たちは、固まったまま動けない。
着地したユーグが立ち上がる。そして、村人たちを見る。
「続けえええええええっーーーー!!!」
誰かが叫び、村人たちが前列の兵たちへ雪崩れ込んだ。




