Chapter 1 お前はなぜここにいる?
――大陸歴一四一年、花冠の月(五月)、ローレライ王国辺境地。
少女が倒れ、持っていた麻袋が音を立てて地面に落ちる。
「何をしている?!」
怒号が飛ぶ。
そこは街道沿いにある小さな街だった。街の商家らしい建物の前で、少女は荷物を倉庫まで運ばされていた。
歳はまだ十程度か。体は痩せこけ、擦り切れた服を着ている。
「す、すみません…!」
少女は慌てて起き上がろうとする。
「何度も同じことを言わせるな!」
商人と見られる男が少女に近づき、手を振り上げたときだった。商人の頭上から低い声がかかる。
「待て」
「っ!…ああ?」
商人の肩が跳ね、手が止まる。
声をかけたのは、いつの間にか商人の後ろに立っていた男だった。
歳は若く、二十程度か。大柄な体に毛皮の外套。肩にはどう見ても大きすぎる刀を担ぎ、鞘には旅袋を吊るしている。
男――ユーグは、少女を一瞥した後、地面に落ちた麻袋を片手で掴み持ち上げる。
少女が目を丸くする。先ほどまで両手で抱えていた荷物だった。「どこだ?」
「え?」
「運ぶ場所」
「あ…あっち、です」
少女が倉庫を指さす。ユーグは返事をせずにそのまま歩き、麻袋を指定された場所へ積み上げる。
商人は呆気に取られていたが、ユーグが戻ってくると訝しむように問いかける。
「なんだ、お前は?」
ユーグは商人の質問には答えず、少女に向き合う。
「飯は食ったのか?」
「朝に…」
「何を?」
「パンを…」
「どれくらい?」
少女は恐る恐るといった様子で、両手で小さな大きさを作る。
ユーグはそれを見て少し黙った後、商人に向き直る。
「こいつは、ここで働いてんのか?」
「は?」
商人の顔に露骨な苛立ちが浮かぶ。
「お前になんの関係がある?」
「気になった」
「…はあ?」
ユーグが少女へ視線を戻す。
「ここで雇われてるのか?」
少女はおずおずと首を横に振る。
「じゃあ、何だ?」
少女はしばらく答えず、商人の顔をうかがっている。
ユーグが何も言わず返事を待っていると、少女はやがて小さな声で答える。
「……奴隷、です」
ユーグの眉がわずかに動く。
「奴隷?」
「……はい」
「なぜ奴隷になった?」
「父ちゃんの……借金が返せなくて……」
「お前は借りていないのか?」
少女は首を縦に振る。
「お前が返すと決めたのか?」
今度は首を横に振る。ユーグの目つきが変わる。
「父親はどこだ?」
少女の目が伏せられる。
「……わかりません」
「なぜだ?」
「最初は…一緒だったんです。でも…途中で離されて……」
黙って様子を見ていた商人が、二人の間に割って入る。
「勝手なことを聞くな!」
ユーグは気にした様子もなく、今度は商人に問う。
「こいつは奴隷なのか?」
「バカをいうな!ローレライでは違法だぞ!」
「じゃあ、なんだ?」
「債務奉公人だ!」
「債務奉公人…」
ユーグが口元に手を当てる。
ローレライでは人身そのものを売買する奴隷制度は禁止されている一方、債務を労働によって返済する債務奉公制度は合法である。
しかし、
「こいつが借金していないことは、知っていたのか?」
商人は一瞬固まった後、答える。
「……契約書はある。それに、父親の借金を娘が代わりに返しているだけだ。何もおかしなことはない!」
ユーグは再度、少女に向き合う。
「何か説明されたか?」
少女は首を横に振る。
「何か書かされたか?」
再度、横に振る。
「あとどれくらい働けば返せるか、知ってるか?」
再三、横に振る。
ユーグはそれを確認した後、商人に問う。
「債務奉公は、借金した本人が働いて返すものじゃなかったか?」
商人の顔色が変わり、警戒を露わにする。
「…お前、何者だ?」
「ユーグだ」
「名前を聞いてるんじゃない!バカにしてるのか?!」
「そうか。それより」
ユーグは気にせず質問を続ける。
「その契約書は?」
「見せる義務はない!」
商人は怒気を露わにするが、ユーグは表情を変えず、質問をやめない。
「こいつをどこから連れてきた?」
商人は苛立ったまま答える。
「…商会から引き取った!」
「買ったのか?」
「契約を譲り受けたんだ!奴隷じゃないと言ってるだろう!!」
「金を払ったのか?」
「もういい!!」
商人が怒鳴る。
「失せろ!!」
しかし、やはりユーグの表情は変わらない。
「まだわからん」
「何がだ?!」
「こいつがなぜここにいるのか」
「説明しただろうが?!」
「説明になっていない」
少女によれば、本人は借金をしていないらしい。
しかし、返済義務がないにも関わらず、債務奉公の契約書は存在するらしい。
しかも、少女は契約をしていないし、借金額すら知らないという。
そして、商人が商会に金を払って契約を譲り受けたのかは、答えなかった。
「おい!!」
商人が商家の奥へ声を飛ばすと、二人の男が出てくる。
どうやら、商人が雇っている用心棒らしい。一人は腰に剣を差し、もう一人は棍棒を担いでいる。
「旦那、こいつですかい?」
「ああ。しつこく嗅ぎ回っている」
剣の用心棒がユーグを見る。大柄な体格と巨大な刀に一瞬動きを止めるが、すぐに言い放つ。
「面倒を起こしたくなきゃ、帰んな」
ユーグは無視して商人を見る。
「話の続きは?」
「帰れってんだよ!」
剣の用心棒が剣を抜いた、次の瞬間。
「ぐぇっ?!」
剣の用心棒の体が吹き飛んだ。
壁際の樽に突っ込み、そのまま動かなくなる。
「…は?」
棍棒の用心棒が固まる。目がユーグと相棒を何度も往復する。
ユーグは突き出した拳をおろし、無表情で棍棒の用心棒を見る。
「ひっ!」
棍棒の用心棒が武器を捨てる。
「なっ…?!」
商人が口を開けたまま固まっていると、ユーグが気絶している剣の用心棒を見て言う。
「死んでない」
「そ、そういう問題では……」
「どこから連れてきた?」
「……は?」
「話の続き。こいつをどこから連れてきた?」
商人が呆気に取られ、何も答えられないでいると、ユーグが一歩近づき、再度問う。
「どこだ?」
その顔には怒りも何も窺えなかった。ただ確認している、そんな表情だった。
「ひっ…!べ、ベルク商会だ!」
「どこにある?」
「中央通りだ! 時計塔の向かい!」
「そうか」
ユーグが少女を見る。
「行くぞ」
「え?」
「商会」
「か、勝手に決めるな!」
商人が叫ぶと、ユーグが振り向く。
「まだ働かせるのか?」
「当然だ! 私は正当に契約を――」
「じゃあ、その契約が正しいか商会に聞く」
「な!?」
「正しかったら戻す」
商人が目を見開く。
「……戻す?」
「契約が正しかったら、連れ出したことは俺が悪い。その分は受ける」
商人は返事ができない。ユーグは、再び少女へ向き直る。
「行くぞ」
「は、はい」
二人で歩き出す。
少女は数歩進んだところで、ちらりと後ろを見る。商人は立ち尽くしている。
「腹に入れとけ」
ユーグは旅袋から黒パンと水の入った革袋を出し、少女に渡す。
「え?あ、ありがとうございます」
少女は黒パンを食べながら、前を歩く大きな背を見る。
「あ、あの!」
「何だ」
ユーグは振り向かずに答える。
「助けて、くれるんですか?」
「まだ分からん」
「え?」
「お前の話だけ聞いた」
少女が黙る。
「商会にも聞く」
「……はい」
「父親も探す」
少女が顔を上げる。
「父ちゃんを……?」
「どこにいるか、分からんのだろう?」
「…はい!」
少女の表情が少し明るくなる。
助けてもらえるかは、まだ分からない。それでも、父親にまた会えるかもしれない。
今の少女にとっては、それだけで十分だった。
二人はしばらく歩き、中央通りへ出ると、大きな時計塔の正面に立派な看板を掲げた建物を見つけた。
看板にはベルク商会とある。ユーグは看板を見上げ、次に少女を見る。
そして、その扉を開けた。




