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True Code  作者: 奏雨
<渦垂 凪>潮風はふたたび
5/19

4.

電車の乗り換えが思いのほかスムーズにいき、更に時間に余裕ができてしまった。

楓は所在なく足を止め、手持ち無沙汰に周囲を見回した。

さすがに控え室で一時間もじっと座って待つのも退屈だろう。


「少し、歩いてみましょうか」


誰に言うでもなく呟き、楓はそのまま校舎の奥へと足を向けた。

授業中ということもあり、校庭にも廊下にも人影はほとんどない。

聞こえてくるのは、窓越しに漏れ聞こえる教師の単調な声と、遠くの体育館から響く微かな靴の摩擦音だけだった。


凪の高校は都心部に近い上に敷地がかなり広い。

校舎はすこし寂れた部分があれど十分快適に過ごせる空間だった。

しばらく当てもなく廊下を歩いていると、ふと正面の階段の踊り場あたりから、荒い呼吸の音が聞こえてきた。


「ふはっ……く……」


息を飲むのも苦しそうなひどく掠れた呼吸。

楓は足を速め、階段の影へと近づいた。

覗き込むと、一人の男子生徒が壁に背を預けたまま、胸をきつく押さえてへたり込んでいるのが見えた。

顔色も悪い。

近くには、手から滑り落ちたのであろう吸入器が転がっていた。


楓は躊躇うことなく足を進め、男子生徒の前に膝をついた。

まずは相手の意識状態、そして唇や爪の色を確認する。

意識もまだはっきりしている。

重篤ではないと楓はわかり少し安堵する。

医者ではないが、楓はそれなりに経験を積み、医療知識を持っている。


「大丈夫ですよ」


安心させるような声をかけながら、楓はまず床に落ちていた吸入器を拾い上げた。

喘息の発作が起きている人間を、パニックから落ち着かせるのが最優先だ。


「無理に深く吸おうとしないで。まずは息をしっかり吐き出しましょう。……そう、ゆっくり、細く長く吐いて」


相手の詰まったような呼吸のペースに合わせるように、楓は自らも息を吐いて見せる。

それと同時に制服の首元のボタンを少し外しネクタイも緩めた。

さらに、壁に背を預けて完全にへたり込んでいる生徒の身体を支え、少し前傾姿勢にさせる。


「一度、吸入を試みましょう。私が手伝いますから、タイミングを合わせられますか」


吸入器の残量ゲージを確認し、軽く振ってから、楓はそれを生徒の口元へと運んだ。

生徒が小さく首を縦に振る。


「私の合図で、ゆっくりと息を吐ききって……はい、今です。深く吸い込んで」


楓は生徒の呼吸の波を捉え、的確なタイミングで吸入器のボンベを押し込んだ。

シュッと細かい霧状の薬剤が噴射され、生徒の気管へと吸い込まれていく。


「そのまま、心の中で五秒、息を止めて……」


気管支拡張薬をしっかりと肺の奥まで行き渡らせるための、数秒間の静止。

楓がその背中にそっと手を当ててタイミングを計っていると、生徒は指示通りに息を止め、それから、ふう、と細く息を吐き出した。


顔色が少し戻った。

男子生徒の激しい呼吸の乱れは徐々に収まり、ヒューヒューという不快な喘鳴も弱っていく。


「……はぁ……ありがとう、ございました……」


今すぐ病院に行く必要はなさそうだ。

楓は小さく安堵の息を漏らし、その場に立ち上がった。


「落ち着いたようで良かったです。しばらくはそこで安静にしていなさい」

「本当に助かりました......自分で拾おうとしたら、遠くに転がってしまって......」


男子生徒は気恥ずかしそうに頭を掻きながら、緩められたネクタイを直そうと手元を動かした。

そんな彼の様子を静かに見届けていた楓だったが、ふと生徒の制服の胸元に目が留まる。

そこには、凪の制服にはない、少し変わったデザインのバッジがピンで留められていた。


丁度そこで授業終わりのチャイムがなり各教室が騒がしくなりだす。

楓は静かな足取りで階段の踊り場を後にした。

先ほど彼がつけていたバッジ、

(どこかで見たことがあるのですが......)

見覚えのあるその形に思考を巡らせながら、校舎の外へと一度出る。


「あ! やっぱり楓さんだ!」

「凪?」


後ろを振り返るが誰もおらず、上を見ると窓から身を乗り出してこちらに手をふる凪の姿があった。


「危ないですよ。あなたなら落ちても大丈夫でしょうが」

「で、でもなんで楓さんが?」


動揺で少し声がいつもより上擦っている。

凪との会話相手が誰なのか気になった彼のクラスメイトたちも「え、お兄さん?」「女性かと思ったけど......」などと口々に騒ぎ出し、窓際が一気に賑やかになる。


「陣さんから頼まれたのです。本日の三者面談には私が出席します」

「へぇ?! 成績悪いのバレるじゃん......」

「それは手遅れかと」

「今いきます!」


凪は頭を抱えながら窓の奥へと引っ込み、クラスメイトたちに何か言い訳をしながら、バタバタと教室を飛び出していく気配が遠目にも伝わってきた。

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