3.
ジンジャーエールうまし
楓はすぐに深く息を吐き出し、押さえていた手をデスクへと戻した。
まだ、ニュースの向こう側の出来事だ。
「……いえ。なんでもありません、アイデン。少し、画面を見すぎたようです」
楓は髪を軽く揺らし、いつもの静かなトーンで応えた。
アイデンはその言葉にそれ以上の追及はせず、そうかと短く呟いて自分の定位置へと戻っていく。
「ノヴァ、テレビの音量を下げて」
『了解しました、マスター』
音量の小さくなったテレビ画面では、依然として煙を上げる施設の映像が流れている。
「政府も大変ね~」
地下の防音室から出てきたシヴォンがそう言いながら、カウンターの上にあるお菓子の籠に手を伸ばした。
「全く朝から騒がしいニュースだな。政府もだいぶやられてるようだ」
陣が作業机から立ち上がった。手元の工具を丁寧に並べ、カウンターへと歩いてくる。
「陣さーん、すき焼きの残りは冷蔵庫?」
廊下の奥から、寝ぐせ頭を掻きながらしずなが現れた。
「ああ、冷蔵庫にある。だが凪が起きてきてからにしろ」
「えー、凪くん、ノヴァに起こされてまだ格闘してるみたいですよ?」
しずなが苦笑混じりに二階へ続く階段の方を指差す。
ちょうどそのタイミングで「お、おはようございます……」と、まだ眠そうな顔をした凪が廊下からふらふらと足を引きずってやってきた。
「凪、早く顔を洗ってこい。学校に遅れるぞ」
「うう、陣さん、ノヴァの目覚ましは心臓に悪すぎるんすよ……」
「おはようございます、凪。早くしないと、本当に遅刻しますよ」
「うわ、もうこんな時間! やっべ、遅刻する!」
凪はリビングの壁掛け時計を二度見し、文字通り飛び上がった。
先ほどまでの眠たげな空気は一瞬で吹き飛び、持ち前の高い身体能力を遺憾なく発揮して、猛烈な勢いで洗面所へと駆け込んでいく。
バタバタと響く足音に、カウンターでお菓子を摘んでいたシヴォンが楽しそうに肩を揺らした。
「ふふ、元気ねぇ。若さって素晴らしいわ」
「シヴォンさん、呑気に笑ってないで朝ごはんの準備手伝ってくださいよ。僕、すき焼きの残りでうどん温めますから。シヴォンさんも食べるでしょう?」
しずなが冷蔵庫を開けながら、手際よく動き始める。
そんな賑やかなやり取りを背中で聞きながら、楓は静かにノートパソコンの画面を見つめていた。
テレビの音量は下がっているが、画面の隅では依然として速報と襲撃の文字が明滅している。
ノヴァが自動で収集しているネット上のタイムラインには、事件に対する世間の困惑と恐怖のコメントが、秒単位で無数に流れていた。
陣のポケットで携帯電話が短く震える。
画面を確認した陣はわずかに眉をひそめ、すぐにそれを仕舞うと楓の方を振り返った。
「楓、悪いが頼みがある」
「何でしょうか、陣さん」
「今日、十時から凪の学校で進路指導の三者面談がある。本来は俺が保護者代わりとして行く予定だったんだが……急な大口の取引先から呼び出しが入った」
陣の言う『取引先』が、ガラス細工に関わる話でないことは、楓にもすぐに察しがついた。
「問題ありません。私が代わりに行くので陣さんは安心してください」
「すまない、助かる」
そこへ、髪をきっちりセットし、制服に着替えた凪が洗面所から全力で戻ってきた。
「行ってきます! 陣さん後でよろしく!」
「はーい」
そのまま凪はカバンをひっつかんでご飯も食べずに工房を出た。
「......よかったんですか?私が代わりに行くって言わなくて」
「いいだろ。どうせあいつのことだから成績が悪くて恥ずかしいとか君の前で言い出すはずだ。当たってたら今度飯を奢ってくれ」
「ふふ、賭けになりませんね。その通りでしょうから」
楓は小さく笑い、ノートパソコンをパタンと閉じた。
席を立ち、出かける準備をするために一度自室へと向かう。
数十分後、いつものように落ち着いた私服に身を包んだ楓は、工房を後にした。
外の空気は清々しく、街を行き交う人々もいつもと変わらない日常を送っている。
凪のいる学校に今から行くにしても約束の時間には一時間余る。




