1.
深夜の『清月工房』。
表通りの喧騒を吸い込むように、店内にはガラス細工が放つ静謐な空気が満ちている。
店の奥にある応接用のテーブル。
その椅子に深く腰掛け、所在なげに指を組んでいた依頼人の女性は、カツン、と小さな足音が響くのと同時に弾かれたように顔を上げた。
「……お待たせしました」
陣が、一脚のトレイをテーブルに置いた。
そこには、一輪の白い布の上に載せられた、銀色の指輪が静かに鎮座している。
楓は廊下の影から、そっとその様子を見守っていた。
数時間前まで組織の手によって、能力増幅器であると売りまわされていた代物。
それなりに丁重に扱われてきたようだが輝きが薄れていた。
だが今、目の前にあるそれは、陣の繊細な研磨技術によって本来の輝きを取り戻している。
「ああ、これ、です。私の……」
女性の手が震えながら、指輪に伸ばした。
それをそっと手に取り、胸に抱きしめた瞬間、彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
その様子を見て陣も安堵した表情になった。
「確かにそれは能力増幅器でした。思い出の指輪があの雨によって本質変えられてしまったようです。現状、その力を取り除けません」
「構いません......ありがとうございます」
その言葉を聞いて楓はそっとその場から離れた。
与えられた己の部屋に行き、すでに騒がしくなっているリビングの音を聞きながら椅子に座った。
中学生の時から切りもせず、ただ長く伸ばし続けている髪が、少しだけ肩に重い。
さらりと流れる毛先を片手でまとめ、一本のゴムで緩く結び直す。
服の袖を軽く捲り、デスクの上のノートパソコンを開いた。
画面に映る無数のログファイルを、指先一つで完全にクローズしていく。
「……お疲れ様、楓」
いつの間にか背後に立っていたのはアイデンだった。
三十二歳、無口で真面目なスナイパー。
それが楓からみたアイデンだった。
アイデンは淹れたての紅茶をデスクに置くと、楓の横顔を静かに見つめた。
「ありがとうございます、アイデン」
楓は小さく微笑み、温かい湯気が立ち上るカップに目を落とした。
その一連の動作すら、長い茶髪と相まって、彼が美しい絵画のような錯覚を抱かせる。
だが、この容姿の美しさ以上に恐ろしいのが、彼――秋月楓という人間の本質だった。
楓はハッカーだ。
数年前日本を襲った桜雨。
異能に目覚めた人間は皆政府に登録させられ、この頃ではその能力で将来の仕事も振り分けつつある。
楓が手にしたのは『調空』だった。
だが政府の目を盗み、登録を避けてこの清月工房に身を置いている。
「ところで、リビングの方では豪華な食事が並んでいるようですが、いかないのですか?」
「騒がしいところに率先していく人に見えるか?」
「......私も同じですから特に何も言えませんね」
楓はノートパソコンを閉じ、アイデンに向き合った。
「でも、今回は行きましょうか」
紅茶のカップをもって立ち上がる。
二人がリビングに入るとしずなの遅いですよ二人とも!!という元気な声が響いた。
すき焼きのセットがテーブルの上に展開されている。
「留年危機の俺への嫌がらせか......」
ソファにこじんまりと一人だけ体育座りしている凪はすき焼きを食べれずにいる。
「そんなに食べたいならちゃんとテストで点数を取ることね」
シヴォンの言葉に凪は体育座りしたままソファに倒れた。
嘆く彼にみんな笑いを隠せなかった。




