10.
餃子がおいしすぎて
「ここは異夜に関する支部でもありません。凪や一部の未登録者を一時的にここに管理し、異夜に売り渡す場所。というのが正しいでしょう」
つまり、異夜に凪の情報は渡っていてもまだ時間はあるということだ。
眼前にそびえるのは、役目を終えて久しい地下化学プラントの巨大なコンクリートの壁。
楓はタブレットを見つめる。
入ってくる情報は少ない。
おそらくここはそこまで重要な場所でなく、セキュリティもしっかりしていないという事はすぐにわかった。
防犯カメラは三台だけであり、それ以外の死角が多い上に凪の居る場所が掴めない。
「カメラの死角、北側の搬入口に敵の影が二つ。手薄だ。いつでもいける」
通信機から飛び込んできたアイデンの淡々とした声が、手元の不完全なマップデータを綺麗に補完していく。
防犯カメラがない場所をアイデンがその目で直接確認し、陣と楓の持つデータをリアルタイムで埋めていくのだ。
『楓、本来君の力はこんな辺鄙な場所で発揮されるものじゃない。リハビリだ。今日くらいは思い通りにいけ』
耳元に届いた陣の声に楓はしゃがむのを辞めて立ち上がる。
さらり、と茶色い長い髪が肩から滑り落ちた。
「え、楓?」
シヴォンが困惑した声を漏らす。
楓は姿勢を正し、表に出ていたしずなの横を突っ切って北側へ向かった。
「シヴォン、しずな付いてきてください」
迷いのない足取りで楓は進んでいく。
しずなはどこか察したのか大人しく、シヴォンは焦燥を込めた視線を楓にぶつけながらついていく。
昼下がりの午後三時。
傾きかけた太陽の光が、鉄扉の隙間からわずかに差し込むものの、一歩足を踏み入れたプラントの内部は、外の明るさを拒絶した深い薄暗がりに包まれていた。
足元からは古びた床の冷たさが伝わり、湿った空気が肌をなでる。
アイデンの言う北側の搬入口。
薄暗い通路の向こうから男たちの話し声が反響する。
(......五メートル)
「いきますね」
穏やかな声色で二人に告げ、まるで重力を感じさせない滑らかさで加速する。
薄暗い曲がり角をすり抜けた瞬間、楓は男二人との間合いを詰める。
「なっ――」
一人目の男が慌てて突き出そうとした腕。楓はその手首の動きに自らの手のひらを添え、泳がせるようにして力をいなした。
そのまま、滑り込ませた己の体軸を起点にして、相手のバランスを完璧に奪い取る。
流れるような足さばきで男を壁へと激突させると、動転して銃に手をかけようとした二人目の男の懐へも、一瞬で滑り込んだ。
大振りの拳を最小限の動きでかわし、その手首を掴んで勢いのままに床へ受け流す。
ドサリ、と音が鳴る。
わずか数秒で二人の大人が瞬時に無力化されていた。
「わわ」
「楓、あなたこんな力を隠してたなんて。言ってくれればよかったのに。私の目には戦闘に不慣れな人が無謀に突っ込んでいってるように見えたのよ。心配して損したじゃない」
「とはいえ、本調子ではないので時間が掛かってしまいました」
楓は来ていた上着を軽く整えて、倒れた男の懐から無造作に通信機を抜き取る。
タブレットと同期させて、電子の鍵を調達する。
二人とも楓が戦闘技術を持っていたことに驚愕していた。
「それで本調子じゃないって」
「動くのは久しぶりなんです。別に隠していたわけではありませんよ。ただ機会がなかっただけですので」
『楓が今渡してくれた情報によると内部はかなりシンプルな構造のようだな。扉の先をまっすぐ進んだ突き当りの区間だ。仕掛けはあるかわからない』
「仕掛けくらいあっても僕が解くよ」
『ああ、信頼してるぞ』
通信の向こうから聞こえる陣の笑い声。
楓もふと笑ってそのまま通路を進み扉を突破した。
陣の言っていた通り、このプラントの内部は信じられないほどシンプルな造りとなっていた。
余計な分岐もなければ、行く手を阻むような警備の追加人員が現れる気配もない。
やはりここは、ただの即席の檻に過ぎなかった。
「能力を使うまでもなさそうね。ま、凪の元にいくまではわからないけど」
シヴォンがそう呟き、背中に背負ったバイオリンケースのストラップに、そっと細い指先をかけた。
「あっけなく着いてしまいましたね」
しずなが静かに、と声をかける。
奥の扉から声が聞こえてきた。
「渦垂? 珍しい苗字しているのね」
「......」
それは間違いなく凪の声だった。
三人は気配を消して扉に近づく。
扉は完全に閉まりきっておらず、わずかに生じた隙間から中の様子がうっすらと見えた。
雑然と古い資材が積まれただけの、ただの物置のような狭い部屋。
その埃っぽい床に凪は拘束もされずただ座っていた。
だが少しぐったりとしているように見える。
「未登録の能力者なんて探せば転がってるけどあんたの血筋には少し興味があるわ。異夜も色よい返事をしてくれるはずよ」




