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29/30

#29¦結晶の塔¦

 

 朝の光が、隠れ家の窓から差し込む。

 柔らかな陽射しが部屋を優しく照らした。潮の匂いが、かすかに混じり、昨夜の静けさが余韻として残る。

 

 ソラリスは、目を覚ました。

 8歳の小さな体を起こし、ピンクの髪を軽く整える。


 隣の布団でリリアがまだ眠っていた。


 セレナは、すでに起きていて、簡素な朝食を準備していた。


 パンとスープ、温かいお茶。

 

 セレナの紫の瞳が、ソラリスを見つめる。


 「おはよう。よく眠れたかしら?」


 「おかげさまで。布団貸してくださってありがとうございました。よく眠れました」

 

 「それはよかったわ。これを食べたら出かけましょう。結晶の塔までは歩いて30分くらいよ。


 ソラリスは小さく手を合わせた。


 「いただきます」

 

 そこにリリアが、目をこすりながら起き上がる。小さな声で、母親に甘える。

 

「お母さん、今日はお留守番?」

 

 セレナが、娘の頭を撫でる。

 

「そうよ。リリアは、家で待っててね」


 リリアは寂しそうにセレナを見つめていた。

 

 ソラリスは閃いたように、カバンからふわふわの雲を取り出した。


 シラタマだ。


 「ねぇ、シラタマ。今日はリリアと一緒にお留守番してくれる?彼女のことを守って欲しいの」

 

「いいよ〜〜!」

 

 ソラリスはクッションサイズのシラタマをリリアに渡した。リリアはふわふわなシラタマの身体に顔を埋める。


 「あなた、すっごくふかふかなのね!」


 喜ぶリリアを見てソラリスも笑顔になった。

 シラタマも、新しい友達ができたようで嬉しそうにしていた。体をくねらせ、ふわふわと浮かぶ。

 

(シラタマ、よかったね)

 

 ソラリスは、昨日と同じようにフード付きのマントを深く被る。ピンクの髪を隠し、8歳の少女らしい姿を覆うとセレナと共に隠れ家を出た。

 

 街の中を、歩き始める。

 

 瓦礫の道を、慎重に進む。住民たちの姿がちらほらと視界に入った。

 

 朝食を運ぶ者。


 修理をする者。


 みんな、どこか疲れた顔をしている。

 

 ソラリスたちの姿に、視線が集まる。

 

「……あの子、昨日の……」

 

「海側の魔物を沈めて、生きて帰ってきたって聞いたぞ」

 

「セレナさんといるけど……魔法使いかな? ゼイル大佐みたいに」

 

 囁きが、耳に届く。住民たちの目が、好奇心と疑問で満ちる。まだ、大声で「聖女」と叫ぶ者はいない。噂は、朝霧のように薄く、ぼんやりと広がっていた。

 

 ソラリスは、視線を感じながら歩く。崩れた市場の跡。色褪せた看板が風に揺れ音を出している。割れた楽器は地面に転がり使えなくなっていた。潮で痛んだ舞台の残骸。木が腐り、布がぼろぼろ。人が住めなくなった家々。窓ガラスが欠け扉が傾く。

 

 この20年間の街の悲鳴が、胸を締めつけた。

 

(あんなに美しかった街が……)

 

 ソラリスはゲームの記憶がよみがえる。

 華やかな港、歌声が響く街。フロレンシアが守っていたはずの場所。


 今は、ただの廃墟。


 ソラリスの心が、締め付けられる。


 

「……ここよ。壊れた結晶石の塔」

 

 やがて、結晶石の塔が見えてきた。

 かつて、聖女の力を祀るために建てられた塔。

 高くそびえていたはずのそれは、今は真っ二つに砕け、地面に崩れ落ちている。


 無数の結晶片が散らばっていた。朝陽を浴びても、輝きを失い灰色に沈む。死んだように静かに散らばっている。


 塔の基部はひび割れ、苔に覆われる。砕けた断面が、鋭く空を指す。無音の塔は、街の絶望を象徴するかのようだった。


 ソラリスは、塔の残骸に手を伸ばす。砕けた結晶石の表面に指先を触れる。

 

 その瞬間――


 ソラリスの足元に落ちていた小さな結晶石の破片が淡く光った。

 

 「……!」


 青白い光が柔らかく瞬く。まるで眠りから覚めるように。

 

 その光が地面に散った他の細かな破片へ、凍った水路に春の水が戻るかのようにゆっくり伝播する。

 

 やがて光の糸が繋がり、一つ、また一つと淡い輝きが広がっていった。


 しばらくすると光はまた静かに眠りについた。

 

 真っ二つの塔そのものは、完全には戻らなかった。崩れた形のまま。

 

 砕けた断面の奥に、ほんの一瞬だけ、脈打つような青白い光が走った。心臓の鼓動のように、弱く、しかし確実に。

 

 ソラリスが来たことで、結晶石は反応した。


 しかし、それだけだった。

 

(本当に、私と聖女は関係してるの……?)


 夢の中の出来事が核心へと変わっていく恐怖があった。

 

 フロレンシアに会いたかっただけなのに。

 フロレンシアの変わりとして、この国の聖女になる覚悟を、求められ始めている。


 前世の記憶から期待されることへの危うさはよく分かっているつもりだ。

 他者からの期待やプレッシャー。頂点に立つ重み。一歩間違えれば、すべてを失う。異世界でもソラリスは同じ生活を送る可能性があることに漠然とした不安があった。

 

(私、ここでも期待に応えられる? フロレンシアみたいに……)

 

 心が、ざわつく。8歳の小さな手が、震える。

 

 セレナが、声が震えた。

 

「……信じられない。光が……」

 

 その時、背後から、声がかけられる。

 

「……おい、何をしてる」

 

 低く、渋い声。酒の匂いが、かすかに混じる。

 

 振り返る。そこに立っていたのは、ゲームでもよく見た顔に面影がある人物だった。

 

 ゼイル・ケイン。

 

 硬派な横顔が、朝陽に浮かぶ。片手には酒瓶を握り、目が鋭く光っていた。


 元海軍の男。

 変わったのは、髭の伸び具合と、疲れた表情。

 

 紫の瞳が、セレナに注がれる。

 

「……セレナか。お前がここに連れてきたそいつは、誰だ」

 

 声に、警戒が滲む。

 

 ソラリスは、フードの下で、息を潜める。

 

(ゼイル……ついに現れたわね)

 

 塔の光が、消えた後も、風が吹き続ける。

 この風は向かい風となるか、それとも追い風となるか。

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