#28¦静かな海は明日を夢見る¦
隠れ家の扉が、ゆっくりと閉まる音がした。
薄暗いランプの光が、部屋の中を淡く照らした。壁の傷跡が影を長く伸ばしている。夜風が窓の隙間から忍び込み潮の香りと寒さを運んでくる。
セレナは階段下の避難場所を覗き込んだ。狭い空間に、布団が敷かれている。そこにリリアが小さな体を丸めて眠っていた。髪が頰にかかり、穏やかな寝息が聞こえる。
セレナの紫の瞳が、優しく細まる。そっと毛布をかけ直す。指先が娘の肩に触れ、温かさが胸に染みた。
「……おやすみ、リリア」
小さな声で呟きセレナは振り返った。
ソラリスは部屋の中央でマントを脱いだ。ピンク色の髪が、ランプの光に包まれ柔らかく輝いた。リリアと同じ年頃の小さな体。それでも、ソラリスは疲れた様子を見せなかった。
セレナは、テーブルに手を差し出した。
「座って。……お茶を入れるわ」
簡素なテーブルに、二人は向かい合う。湯気が立ち上るカップから温かいハーブの香りが広がる。
セレナは、カップを握り、ゆっくり息を吐いた。
「……さっきは、ありがとう。海側を任せて正解だったわ。あなたに頼んでいなかったらもっと被害が出ていたわ」
ソラリスは、静かに微笑んだ。
「皆さんがご無事で何よりです。……セレナさん。私はこの街のことを、もっと知りたいんです。20年間、何があったのか改めて教えてもらてませんか?」
セレナの指が、カップの縁をなぞる。紫の瞳が、遠くを見る。記憶の糸を、ゆっくり解くように。
「……そうね、続きを話すわ。……フロレンシアが、いなくなった日から」
セレナの声が静かに部屋に響く。ランプの炎がわずかに揺れる。
――あれは、20年前の朝だった。
ある日、フロレンシアが私の元を訪れた。最後に見た彼女は、いつもどおり穏やかで、でもどこか決意を秘めていた。
「アッシュと一緒に少し遠くまで出かけてくるね! この街のこと、任せてもいい?」
彼女の言葉は軽やかだった。でも、瞳の奥に、覚悟が見えた。アッシュ――あの魔族の青年。フロレンシアの傍らにいつもいた。
――遠いところってどこ?危なくはないの?
彼女にそう伝えたかった。しかし聞けなかった。
きっと彼女に聞いても答えてはくれないと思った。
私を心配させない為に。
彼女はいつものように笑って手を振って去っていった。
それから、間もなくして。
スウィートピア港に、突然の嵐が襲ってきた。
空が黒く染まり、雷が海を裂いた。波が港を飲み込みたくさんの船が犠牲になった。
地上も屋根が飛ばされ、市場の色鮮やかなテントが一瞬で泥にまみれる。あの美しい街が、一夜で様変わりしてしまった。
嵐が過ぎ去り、私たちは壊れた街を直そうとした。瓦礫を片付け、壁を修復し、皆で歌を歌い合ってお互いを励ました。
でも、復興の兆しが見えるたびまた地震や竜巻が来る。
地面が揺れ、空が渦を巻く。すべてを、壊し尽くした。
何度目かの嵐の時だった。港の中央にそびえていた結晶石の塔が、雷に撃たれ、真っ二つに折れた。聖女と魔法使いの力を増幅する、あの巨大な結晶石だ。砕け散る音が、街中に響いた。
それから、魔物が港を襲うようになった。海から、森から、闇に紛れて。私の魔法も使えなくなった。
「歌っても、誰も癒せなくなったの。結晶石が壊れたせいなのか……力が、弱まってしまったわ」
そんな時、この街の海軍、ゼイルが立ち上がった。彼と共に、私たちは街を守るようになった。剣を片手に魔物を退け、住民を導く。
彼はとても強い男だった。
魔物が来れば、いつも先頭に立った。
皆の信頼を集め、街の柱のような存在だった。
「最初の頃は、王都からも支援物資が頻繁に届いていたわ。食料や薬、建材。国が、私たちを支えてくれていると思っていた。でも、次第に少なくなっていったの。道が荒れ、連絡が途絶え……ついには、ぱったりと」
その頃から、ゼイルが変わり始めた。
彼は酒に溺れるようになった。皆、疲弊していたから誰も彼を責めれなかった。街が壊れていくように、次第に人も壊れていった。
「ここは活気溢れていた頃から人もだいぶ減ってしまったわ」
街は、次第に復興不可能な状態になった。美しい海は荒れ、港は瓦礫の山。人はどんどん減り、残った者たちは、隠れ家で息を潜めて生きるようになった。私も、リリアを守るために、戦い続けた。
そうしてここまで必死で生きてきて気が付けば20年が経っていた。
でも、4日ほど前。荒れていた海が、ぴたりと止まった。嵐が来なくなり、波が穏やかになった。まるで、何かが変わったように。
「あなたが出会った馬車も嵐が静まって道が通れるようになったから、どこかから助けに来てくれようとしたんだわ」
――セレナの話が、そこで止まる。
ランプの光が、彼女の顔を照らす。紫の瞳に、20年の疲れが滲む。でも、どこか希望の光も。
ソラリスは、静かに聞いていた。
ゲーム内のストーリーと比べながら。
(この世界は私が遊んでいたゲームよりもずっと後なのね)
セレナが、カップを置く。
「……これが、この20年間のことよ。ねぇソラリス、何か思い出せることはない? あなたがここに来た理由とか」
ソラリスは、ゆっくり首を振る。でも、思い当たる節があった。
「セレナさん、私が目覚めたのは……ちょうど4日前なんです。棺桶の中で目が覚め、気がついたら知らない小屋の中にいたんです」
セレナの瞳が、大きく見開かれる。
「……4日前? 海が静まったのと同じ……」
二人は、顔を見合わせる。偶然とは思えない。胸の奥で、何かが繋がる気がする。
(私が来たせい? 聖女の力で、災害が止まった?)
ソラリスもセレナも、その場で考え込んだ。
ランプの炎が、静かに揺れる。
やがて、セレナが口を開いた。
「……明日、一緒に結晶の塔まで行かない? 壊れた塔だけど、何か手がかりがあるかも」
ソラリスは、頷く。青い瞳に、決意が宿る。
「ぜひ連れて行ってください。……なにか新しいことがわかるかもしれません」
夜が、更けていく。
静まった海が、二人の未来を見守るように揺れていた。
まるで、嵐の前の静けさのように。




