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#27¦聖女と救国の乙女¦


 夜の海は、静かに息を潜めていった。

 

 波の音が瓦礫を優しく洗う。黒い水面に月光が細かく砕け、海蛇の死骸がゆっくりと潮に引きずられていくのが見えた。体液の紫が海に溶け込み、消えていく。


 シラタマの雷撃の余熱が、まだ空気に残っていた。焦げた匂いが、鼻を刺した。

 ソラリスは息を吐くと、マントのフードを深く被り、カバンをそっと開く。

 

「シラタマ、ありがとう。……姿が元に戻るまで、カバンの中にいてね」

 

 小さなドラゴンが、ぴょんと飛び込む。カバンの蓋を閉じ、ソラリスは周囲を素早く見回した。人の気配はない。遠くで、森側の戦いの残響が、かすかに聞こえてくる。爆発音、叫び声。セレナたちの戦いは、まだ終わっていないようだ。

 

(シラタマの力……本当に、圧倒的ね)

 

 海側の魔獣は群れを成していたのに、数分で全滅した

 稲妻が連鎖し、闇を切り裂く光景は、まるで神の裁きのように壮絶だった。一方、森側は人間たちの力で戦っている。きっと、苦戦を強いられているはず。

 

 ソラリスは、歩いて街の中央へと向かう。8歳の身体はでは一苦労だった。距離も遠く、瓦礫の道を避け、迂回しながら夜道を進む。時間が、倍近くかかった。

 

 中央広場に着いた頃、森側の戦いがようやく終わった気配がした。鐘の音が止まり、交代するかのようにため息と呻き声が広がる。

 

 広場には、住民たちが集まっていた。皆、息を切らし、泥と血にまみれている。剣を地面に突き立て、肩で息をする者。包帯を巻く者。疲弊の色が、濃い。

 

 セレナの姿が見えた。黒髪が汗で張り付き、剣に赤い血が付いている。その姿は、ゲームで眺めていた歌姫とは程遠かった。むしろ、生前に読んだ歴史小説に出てきた〝救国の乙女〟のようだった。

 

 紫の瞳が、疲れを隠しきれていない。彼女の隣で、数人の男たちが地図を広げ、何かを話し合っている。

 

 ソラリスが近づくと、住民たちの視線が一斉に集まった。

 

「……あの子ども、ひとりで戻ってきたぞ」

 

「海側はどうなったんだ?」

 

 ざわめきが広がる。セレナがハッと顔を上げ、ソラリスに駆け寄る。

 

「ソラリス!? 良かった無事で」

 

 声に、安堵と驚きが混じる。紫の瞳が、ソラリスの全身を素早く確かめる。傷はなく服も汚れていない。

 

 ソラリスは、静かに微笑んだ。完璧な角度で、唇を上げる。甘さではなく、安心感を意識したトーン。

 

「ええ、無事です。海側は、比較的数が少なかったみたいで……なんとかなりました」

 

 言葉を、少しだけ濁す。自分が倒したとは言わない。

 シラタマの存在を隠し、場の空気を読み、大事にしないようにした。

 

(ここで目立ったら、面倒になるわ。……まずは、信頼を築かないと)

 

 セレナの眉が、わずかに寄る。

 

「……本当に? あそこは、いつも群れが来るのに」

 

「運が良かったんですかね。詳しい話は、後でゆっくり」

 

 ソラリスは、話題を自分から住民たちへと逸らす。広場を見渡し、怪我人たちに視線を移す。地面に座り込む者、壁に寄りかかる者。血を拭う手が震えているのが見えた。

 

「それより、皆さん大変だったんですね。怪我人を見ましょう。何か、手伝えることはありませんか?」

 

 セレナは、一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。

 

「……ごめんね。だったら、手当を終えた人たちに、食べ物と水を配ってくれる? あの隅に、物資があるわ」

 

 セレナが指差す先。簡素なパンと水の入った袋。保存食らしい。

 

「わかりました。任せてください」

 

 ソラリスは、セレナから袋を受け取る。小さな手で、しっかり抱える。8歳の身体でもできることはある。

 

 彼女は、周囲を安心させる笑顔を浮かべ、配り始める。視線を、一人ひとりに合わせ寄り添っていく。

 

「どうぞ、少しですがお召し上がりください」

 

 最初に、壁に座るおじさんにパンを差し出す。おじさんは、驚いた顔で受け取る。

 

「……ありがとう、嬢ちゃん」

 

 次は、包帯を巻いた女性。彼女の目を見て、優しく。

 

「お水をどうぞ。ゆっくり休んでくださいね」

 

 女性の肩が、わずかに緩む。

 

「……ありがとう」

 

 ソラリスは、次々と回る。子どもらしい無邪気さを、ほんの少し混ぜる。作った笑顔ではなく自然にみせる。皆の疲れた顔が、少しずつ柔らかくなった。

 

(これで、いいわ。……皆の心を、ほんの少しだけ癒していくのよ)

 

 セレナは、少し離れたところから、その姿をじっと見つめていた。小さな背中が忙しなく動く。笑顔でパンを配る手つきと優しい声。

 

 一瞬だけ、胸がざわついた。

 

(……本当に、フロレンシアみたい)

 

 喉元で、言葉を飲み込む。20年の記憶が、よみがえる。あの聖女もこんな風に皆を励ました。戦いの後、笑顔で手を差し伸べくれた。

 

 でも、セレナは口に出さない。ただ、静かに見守る。

 広場の空気が、少しずつ落ち着いていき怪我人たちの呻きが次第に弱まる。ソラリスの小さな行動が、波紋のように広がっていった。

 

 ――この子は、ただの少女じゃない。


 「……あの子、まるで聖女みたいだな」

 

 住民たちの間で、そんな囁きが、生まれ始めていた。

 

 ソラリスは、最後の一人に水を渡し、セレナのもとへ戻る。袋を返し静かに息を整える。

 

「終わりました。皆さん、少し元気になったみたいです」

 

 セレナは、ゆっくり頷く。紫の瞳に、複雑な光が宿る。

 

「……ありがとう、ソラリス。……本当に、助かったわ」

 

 二人は、隠れ家へと向かう。リリアが待つ、地下の安全な場所へ。

 

 夜の廃港に、静けさが戻る。

 でも、その静けさの中に、新しい風がそっと吹き始めていた。

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