#23¦歌姫セレナ・マリーナとの遭遇¦
そのとき――
背後から、鋭い足音が響いた。
ソラリスは咄嗟にシラタマと少女を岩陰へと押し込み
「危ないからここから顔を出さないで」
と小声で言い聞かせた。
数十秒後、黒髪の長い女性が剣を構えて飛び出してきた。歳は30代半ば。スボンを履き、腰に短剣を差した実戦的な装い。だが、その背筋は美しく伸び、所作の一つ一つに気品が溢れていた。紫の瞳が、シャープに光る。
ソラリスはその瞳に見覚えがあった。
セレナ・マリーナ――。
ゲームでは、回復魔法を操る優しい歌姫。
スウィートピア港の象徴。
今は、まるで戦士のように剣を握っている。
セレナはソラリスの顔を見た瞬間、表情を凍らせた。
そして――
パァン!
容赦ない平手打ちが、ソラリスの頰に炸裂した。
「っ……!」
小さな体がよろめく。
頰が熱く腫れ上がり、痛みが脳天まで突き抜ける。
ソラリスは思わず目頭が熱くなった。
――痛い……。
No.1キャバ嬢として店のバックヤードで女性キャストから叩かれる経験は何度かあった。痛みには比較的慣れているほうだと自負していたが、さすがに8歳の身体で受けるには強烈な力だった。
泣きそうになるのを、必死で堪える。
セレナの声が、怒りと安堵と複雑な感情を孕んで響いた。
「今までどこに行ってたのよ!その姿は何!?フロレンシア!」
ソラリスは頰を押さえ、紫の瞳を真正面から見つめ返した。
セレナは、ソラリスをフロレンシアだと思っている。
完全に勘違いしている。
「落ち着いてください。私はフロレンシア様ではありません」
セレナの眉がピクリと動く。
「何を言ってるの?その髪、その瞳……20年経っても変わらないじゃない!あなたは聖女フロレンシアよ!どうしてそんな子供の姿で……」
ソラリスは腫れた頰をそっと押さえながら、静かに微笑んだ。
――痛い。でも、ここで泣いたら負け。
まずは「受け止める」。
「私はソラリス。あなたが待っていたフロレンシア様ではありません。でも……あなたのその瞳を見ていると、胸が痛くなるんです。きっと、すごく大切な人を、ずっと待ち続けていたんですね」
声は幼いまま、でもトーンは落ち着いた中音域。
甘さではなく安心感を意識し、まずは共感する。
セレナの肩が、わずかに下がった。
「……どうして、そんなことを」
「昔、大切な人を待つ方をたくさん見てきました。あなたもあの人たちと同じ目をしています。だから、あなたの怒りも悲しみも全て理解できる訳ではないですがわかるつもりです。私とフロレンシア様は見た目が似ているから、本人だと思い込んでしまうのも、当然だと思います」
セレナの眉がピクリと動いた。
――効いている。
ソラリスはゆっくり首を振った。
「セレナさん、私は本当にフロレンシア様ではありません。ですが、あなたが守り続けたこの街のことを知りたいんです。この20年間、何があったのか。なぜスウィートピア港がこんな姿になってしまったのか教えてくれませんか?」
セレナの唇が、かすかに開いた。
「……あなたは、本当に……」
「ええ。本当です。もし私がフロレンシア様なら、あなたとの再会はこんな形じゃなかったと思います。それとも今、目の前にいる私がまだフロレンシアに見えますか?」
ソラリスは腫れた頰にそっと触れ、ほんの少しだけ眉を下げた。
セレナの目が、わずかに揺れた。
「ごめんなさい……つい、勢いで……」
「いいんです。20年待った人に突然似たような子が現れたら、私だって取り乱すと思います。ですが、これだけは言わせてください。私はあなたを、敵だとは思っていません。むしろ……味方になってほしいんです」
ソラリスは、ゆっくりと右手を差し出した。
小さな8歳の手。
「この街を、もう一度輝かせるために。あなたが守り続けたものと、この街の人たちが生きる未来のために。一緒に考えて行きませんか?」
――私は私に出来ることをしてみることにしよう。




