#17¦白い雲は踊り出す¦
ソラリスは手に取った小さな瓶に視線を向けた。淡い青みがかったガラス瓶の中で液体がゆらゆらと揺れている。
――『宵月の変華水』。
それは『フロレンシアの誓約』の第3回イベント報酬で手に入るアイテムだった。あのイベントはゲーム内で魔族の潜む森を探索し、幻の花を集めるもの。ランキング上位者だけがもらえる特別なアイテムで、主人公の見た目をランダムに変更できた。うさぎや猫などの動物から全く違う人間になれたりするため、変身内容によってフロレンシアとキャラクター達との様々なサイドストーリーが読めるイベントだった。
ソラリスは現実世界で化粧水ブランドとコラボして実際に発売されたことを思い出す。あの時、フロレンシアのイラスト入りのパッケージが可愛くて開店前から並び手に入れた時はとても嬉しかったことを思い出して、つい表情がとろける。
「あのイラスト可愛かったなぁ」
思い出を脳内の宝箱にそっとしまい、ソラリスは、再びロベリアの花環匣に意識を集中させた。頭の中に流れ込む情報から、この匣の中身が前世でプレイしていたゲームのアイテムデータそのものだと確信する。イベント限定のレアアイテムから、基本的なポーション類まで。まるで、自分のアカウントがこの世界に引き継がれたみたいだ。
――これで、シラタマの姿を変えられる。
ソラリスはシラタマに視線を移した。小さなドラゴンが、好奇心いっぱいの目でこちらを見ている。
「シラタマ、ちょっと聞いてくれる?」
「うん!何?ソラリス」
ソラリスは、ゆっくりと説明を始めた。
――このままドラゴンの姿でいると、王都から狙われてしまうかもしれないこと。
――城を壊した犯人として、追手がかかる可能性があること。
――そしてドラゴンがいるだけで人々を驚かせてしまうかもしれないこと。旅をするなら、目立たない方が安全だ。
だから、見た目を変えさせてほしい、と。
シラタマは首を傾げて少し考えたが、すぐににこっと笑った。
「ソラリスがそうしたいなら、いいよ! ソラリスが喜ぶことなら何でもする!」
従順な返事に、ソラリスはほっと胸をなでおろした。シラタマの純粋さが心を温かくする。
「ありがとう、シラタマ。本当に助かるわ」
そう言いながら、ソラリスはシラタマの頭を優しく撫でた。小さな鱗の感触がどこか懐かしい。現実世界で飼っていたトカゲの頃を思い出す。あの頃も、こんな風に撫でるとピタッと手にくっついてきたっけ。
(本当はこのままでいて欲しかったな)
ソラリスは懐かしい感触と別れることに少し寂しさがあった。悲しい気持ちをぎゅっと胸にしまい、ソラリスは瓶の蓋を開け、数滴の液体を手のひらに垂らした。宵月の変華水は、冷たくて少し粘り気がある。手に馴染ませ、シラタマの肌にペタペタと塗りつける。イメージするのは、可愛らしくて目立たない姿。ドラゴンの威圧感を消し愛らしい形に。
すると、シラタマの体が淡く光り始めた。光の中で形が溶け、ゆらゆらと変化する。ソラリスは息を呑んで見守った。
光が収まると、そこにいたのは、もこもこした白い雲のような生き物だった。大きさはソファのクッションくらい。形は常にゆらゆらと変形可能で、黒い点々のシンプルな目が現実世界で好きだったキャラクターによく似ていて可愛らしい。小さな口は感情で変形し、頭部にはドラゴンの名残かアイボリー色の小さな竜の角が生えている。まるで、雲のぬいぐるみが命を吹き込まれたみたいだ。
「わあ……! すごく可愛いくて素敵よ!」
ソラリスは思わず抱きついた。スーパーもふもふタイム。雲のように体は柔らかく、温かく、抱き心地抜群。某大型スーパーマーケットに3980円で売っていたら5個は確実に買っていた。シラタマも嬉しそうに体をくねらせ、ソラリスに纏わりつく。
「えへへ、ソラリスに褒められた! この姿、好き?」
「大好き!」
もふもふを堪能した後、ソラリスはふと馬車の荷台に視線を戻した。おそるおそる覗き込む。そこには、変わらず死体と、運んでいた荷物が散らばっていた。血の匂いが鼻を突く。
ソラリスは死体に向かって手を合わせ、静かに祈った。
(知らない人だけど、こんなところで命を落とすなんて、可哀想だわ)
馬車の中の箱を調べ始める。手がかりがないか、何かこの世界の情報が得られそうなものを探す。箱を開け、中身を見ると食料らしきものと布地、道具類、そして地図。箱の側面にはかっこ『スウィートピア港』と書かれていた。
「これじゃあ、私が盗賊ね」
独り言のように呟きながら、ソラリスは苦笑した。一方、シラタマは自分の新しい体を試すように、ふわふわと宙を浮遊して遊んでいる。形を変えてみたり、くるくると旋回してみたりとても無邪気だ。
箱の側面の文字と地図からこの馬車が南西の『スウィートピア港』に向かっていたことがわかる。ゲームにも登場する都市で、カラフルな街並みと、日々色を変える美しい海が有名だ。ソラリスはゲームのホーム画面に、その背景を設定していたことを思い出す。あの幻想的な景色を、自分の目で見てみたいと思った。
――港を目指してみようかしら。
ソラリスは決意した。そこなら人も多くて情報が集まるはず。フロレンシアやゲームに登場したキャラクター達がいるかもしれない。
ただ、馬車の死体を眺めてソラリスは悩む。このまま放置してしまっていいのだろうか。埋葬してあげたいが、どう運ぶ? 8歳の体では、とても重くて不可能だ。
そんなソラリスにシラタマが声をかけた。
「どうしたの、ソラリス?なにか悩んでるの?」
「この人を、埋葬してあげたいの。でも、運ぶのが大変で……」
シラタマは、にこっと笑って体をくねらせる。
「僕、運べるよ!」
そう言うと、シラタマの体がもくもくと膨張し、巨大な人型に変化した。見た目は、生前見た映画に登場した「可愛い破壊神」のように、ふわふわで可愛らしいけど、威圧感がある。ソラリスは目を丸くした。
(シラタマは好きな形に変えられるの?)
ただ、素材はもこもこな雲のまま。変形自在の雲ボディだ。
これならいけそう。ソラリスは馬車の中にあった馬の糞を片付けるためのスコップを拾い、道から少し離れた場所で穴を掘り始めた。死体を埋めるには、60cmから80cmの深さが必要と以前新聞かなにかで目にした記憶があった。頑張って掘り進めるが8歳の体でら力が入らない。汗が額を伝う。
シラタマはそれを見て、楽しそうに言った。
「僕もお砂で遊びたい!」
「これは遊びじゃないのよ。ちゃんと埋めてあげないと……」
説明しようとしたところで、シラタマは穴の上まで浮遊し、突然雷を落とした。ズドンッ! と、音とともに、穴が一気に深くなる。土が飛び散り、ソラリスは唖然とした。
「ええっ!? 今の、何!?」
シラタマは嬉しそうに、自分の能力を説明し始めた。
「僕、雷を出すことできるよ! あと、お水を出したり、霧を発生させたり、風をだしたり! それに、ソラリスくらいの大きさなら乗せて飛べちゃうもんね!」
ただし、シラタマの大きさが大きいほど範囲は広いが威力は弱く、小さければ小さいほど範囲は狭いが威力が上がるらしい。ソラリスは感心して、シラタマを褒めた。
「すごいわ、シラタマ! 頼りになるわね」
その後、穴の形を整え、シラタマと協力して死体を埋めた。花を添えたかったけど、朽ちた森には咲いていない。せめて、と馬車の一部を埋めた場所の近くに置いて、ソラリスは祈った。
「使えそうな食料はいただきます。あなたが運びたかった荷物も港まで私が代わりに届けるわ……」
荷物をアイテムボックスに入れ、シラタマと港へと向かう準備を整えた。
ふと、ソラリスは馬車を引いていた馬に視線を移した。茶色の毛並みが艶やかで、幸い怪我はしていないようだ。盗賊の襲撃に巻き込まれながらも、静かに佇んでいた。目は優しく、どこか悲しげだ。
ソラリスは馬に近づき、軽く一礼した。
「あなたも一緒に、港を目指さない? 荷物を届けるお手伝いをしてもらえると嬉しいわ」
馬は人の言葉を理解したかのように、ゆっくりとソラリスの手に頬を寄せてきた。温かな感触が伝わり、ソラリスの心が和らぐ。シラタマも興味津々で、ふわふわと馬の鼻先を眺めている。
「シラタマ、手伝って。馬車から馬を外すわ」
「うん! 僕、力持ちだから!」
シラタマと協力して、馬車から馬を外し、乗馬用の手綱をつけた。ソラリスは前世で青城社長と一緒に乗馬を習っていたことを思い出す。現実世界の経験が異世界で役立つことが嬉しかった。
馬もソラリスが乗ることを許してくれているようだ。シラタマに階段の形になってもらい、馬の背に乗る。馬は静かに受け入れ、ゆっくりと歩き始めた。
森の中を歩き出し、再び旅が始まる。シラタマは小さく戻り、ソラリスの肩にふわっと乗る。
1人で不安だった旅路にシラタマがいる。それだけでソラリスの心は少しだけ弾んだ。




