第3話:泥の中のプライドと魔女の鞭
ヴァルモント王国の華やかさから完全に切り離された、王都の地下最深部――『ドブ街』の廃聖堂。
生ゴミと腐敗臭が漂う冷たい石畳の上で、エドワードは激しく血を吐きながら這いづり回っていた。
「あぐっ……がハッ……! こ、こんな……泥水を飲まされるような真似……! 私は……私は王子だぞ……ッ! ヴァルモント王国の正統なる後継者、エドワード・ヴァルモントだ!!」
ドロドロに汚れた破れ衣を纏い、髪を乱したエドワードが叫ぶ。
その声には、かつての大講堂で響かせていた威厳の面影など微塵もなく、ただ惨めに震える弱者の遠吠えでしかなかった。
その頭上から、冷酷で澄んだ嘲笑が降り注ぐ。
「――王子? ふふ、笑わせないでちょうだいな、ドブネズミ」
漆黒のローブを揺らし、薄暗がりから姿を現したのは『黄昏の魔女』セラフィナであった。
彼女は冷ややかな蔑みの瞳でエドワードを見下ろすと、その華奢な手から闇の魔力を帯びた長鞭をしならせ、躊躇なくエドワードの背中へ叩きつけた!
ビシィッッ!!!!
「ぎゃああああああッ!?」
跳ね上がる悲鳴。激痛にのたうち回るエドワードの顔を、セラフィナは革靴の先で容赦なく踏みにじった。
「勘違いしないでちょうだい。お前は父王からも、母からも、臣民からも見捨てられ、歴史から消された惨めな敗北者。ただの『ドブネズミ』なのよ」
「ぐ、ぐぬぅぅ……ッ! 離せ! 愚かな魔女め、私に触れるな!!」
「威勢だけは一人前ねぇ。だが、その中身は空っぽ」
セラフィナは踏みつける足にぐっと体重をかけ、エドワードの頬を冷たい石畳に押し付けた。
「あのシェリィという娘の『莫大な魔力』と『国家への献身的な貢献』も見抜けず、計算高い無知なお前とお似合いな男爵令嬢ごときのお色気に騙されて国を自滅させた愚か者。……お前のそのちっぽけなプライドが、お前自身をドブ川へ叩き落としたのよ?」
「シェ……リィ……ッ!!」
その名を聞いた瞬間、エドワードの眼光が血走った。
あの無能な欠陥品だと思っていた少女。自分が「役立たず」と蔑み、追放してやったはずの女。
それが今や、アスタリアの地で莫大な資源を見つけ出し、自分の兄であるジュリアンやレオンハルトと共に輝かしい未来を切り拓いているという。
「……殺してやる……。あの女も……ジュリアン兄上も……父上も母上も……! 私をコケにした奴ら全員……この手で……殺してやるぅぅッ!!」
血混じりの唾液を吐き出しながら、狂気と殺意に満ちた声を張り上げるエドワード。
セラフィナはその醜くも凄絶な執念を目にし、満足そうに口元を歪めた。
「そう……その目よ。身程知らずのプライドは捨てることね。今の貴方に残された価値は、その醜くドロドロとした『執念』と『復讐心』だけ」
セラフィナは足を離すと、怪しく紫色に光る薬品の瓶を、泥の中に転がした。
「拾い上げて飲み干しなさい。それは魂を削り、泥の底から闇の力を引き出す禁忌の薬。……死ぬほどの激痛が伴うけれど、本物の『毒蛇』になりたいのなら、泥を舐めてでも飲み込むのね」
エドワードは震える手で、泥に塗れた薬瓶を拾い上げた。
手は激しく震え、屈辱と激痛に全身の血が逆流している。
(飲み込めば、もう人としての戻り道はない……。王家の一員としての誇りも栄光も、完全に捨てることになる……!)
だが、目の前には自分を切り捨てたシェリィやジュリアンの顔が、憎悪の炎となってちらついていた。
「……う……おおおアアアアッ!!」
エドワードは躊躇を捨て、泥まみれの薬瓶の栓を歯で引き抜くと、一気にその猛毒を喉奥へと流し込んだ!
「ガァぁぁぁぁぁぁッ!? ぐ、アぁぁぁぁぁッ!!」
全身の血管が黒く浮き上がり、絶叫とともにのたうち回るエドワード。
肉体が内側から焼き切られるような激痛の中で、彼の心から「甘い王子のプライド」は完全に消え去り、漆黒の復讐鬼としての産声が上がっていた。
それを見下ろしながら、セラフィナは妖しく微笑むのだった。
「いい声で鳴くじゃない、私の可愛いドブネズミ。……さあ、地獄の修行を始めましょうか」




