第4話:砕かれる自我と過酷なる地獄の門
王都の地下最深部――陽の光など一瞬たりとも届かぬ、湿ったカビと腐臭が漂う暗黒の訓練場。
そこは、かつて王宮の豪華な執務室で温々と過ごしていたエドワードにとって、紛れもない「地獄」そのものであった。
「――無様ね。脚の踏み込みが浅いわ、ドブネズミッ!」
ドゴォォォンッ!!!!
漆黒のローブを翻したセラフィナが指先を軽く振るった瞬間、見えない魔力の衝撃波がエドワードの胸板を直撃した。
「ぐ、がぁぁぁぁぁッ!?」
激しい落雷に打たれたような衝撃とともに、エドワードの身体は数メートルも吹き飛ばされ、水溜まりと泥に塗れた冷たい石畳の上を無様に転がった。
「カハッ……がはっ……息が……っ」
肋骨が数本砕けたかのような激痛。口からあふれ出る血混じりの吐射物が、泥水を黒く染めていく。
第3話で全身に流し込んだ禁忌の毒薬が、激しい運動によって体内で暴れ回り、血管を内側からカミソリで切り刻まれるような絶叫ものの激痛が全身を苛んでいた。
「はぁ……はぁ……っ! セラフィナ……様……っ! 私は……私はこれでも王家の血を引く……魔法の英才教育を……ッ!」
苦し紛れに、泥に顔を伏せながらエドワードは命乞うように叫んだ。
まだどこかで「自分は選ばれた存在だ」という甘い思考が、捨てきれずに残っていたのだ。
だが――その惨めな叫びに対するセラフィナの答えは、冷酷極まる一撃であった。
ビシィッッ!!!!
「ぎゃああああぁぁぁぁッ!?」
闇の魔力を帯びた長鞭が、エドワードの背中を肉ごと引き裂く。
「黙りなさい。誰が口を挟んでいいと言ったの?」
セラフィナは踏み込み、泥の中でもがくエドワードの頭を、革靴の先で容赦なく石畳へ踏みつけた。
ズブズブと、鼻や口に腐った泥水が侵入し、息が詰まる。
「王家の英才教育? 腹がよじれるわね。お前が受けてきたのは、温室の中で飾られていたおままごとの魔法よ。実戦の死線においては、そんなゴミのような知識は何の役にも立たない」
「く、ぐ……ぶ……ッ!」
「立て。立ち上がって、その泥を喰らいながら魔力を練り直しなさい。お前のその甘ったれた『王子の自我』を、骨の髄まで叩き潰してあげるわ」
セラフィナの瞳には、一切の情けも容赦もなかった。
彼女はエドワードの甘いプライドを1ミリたりとも残さず粉砕するため、人間の限界を遥かに超えた地獄の鍛錬を課していた。
「あ……が……あぁぁぁ……ッ!」
激痛と酸欠で視界が赤く染まる。
立とうとするたびに魔力の衝撃波が身体を穿ち、皮膚が裂け、血が吹き出す。
何度も、何度も、倒れては泥を舐めさせられた。
(死ぬ……! 逃げ出したい……! 誰か……誰か助けてくれ……!!)
心が折れ、涙と血で汚れた顔を歪めるエドワード。
かつて弟のジュリアンやシェリィを見下していた威厳などどこにもない。ただ痛みに怯え、恐怖に震える哀れな虫ケラがそこにいた。
「どうしたの? もう終わりかしら?」
セラフィナは嘲笑いながら、手に炎の魔導陣を浮かび上がらせた。
「言っておくけれど、私はお前を冒険者ギルドへ連れて行って『私の弟子だ』とコネで登録させる気なんて微塵もないわよ。ギルドマスターはおろか、一番底辺の冒険者すら納得させられない無能なら、このままここで燃やして灰にして捨てるだけ」
(あ……この女は……本気だ……!! 私を……殺す気だ……!!)
絶望が、エドワードの胸を冷たく支配する。
助けなど来ない。王子の立場も、誰も庇ってくれない。
あるのは、目の前にある「死」という絶対の現実と、自分を容赦なく踏みつける魔女の冷酷な瞳だけ。
「さあ……どうするの、ドブネズミ? 灰になるか、泥を舐めてでも生き足掻くか……選びなさい」
「ひ……ひぃ……っ……あ……あああああッ!!」
エドワードは激痛に悲鳴を上げながら、ガタガタと震える手足で、ドブ水に塗れた石畳を必死に這い進んだ。
プライドも、誇りも、王子としての記憶もすべて踏みにじられ、ただ「死にたくない」という本能と激痛の中で、彼の自我は完全に崩壊していく。
終わりなき地獄の修行。
光など一切届かない闇の底で、元王子エドワードは、ただ惨めな悲鳴を上げながら泥を舐め続けるのだった――。




