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妹が婚約者のためにコーヒーをやめていたと、兄の私は知らなかった  作者: あずきまんま


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第5話

婚約解消が正式に決まったのは、それから三週間後だった。


陛下も王妃殿下も最後まで迷われたらしい。


だが、エドワード殿下の意志は変わらず、カフェリーヌも復縁を望まなかった。


ベルージュ家と王家の話し合いの末、婚約は解消された。


表向きは円満。


私は円満だとは思っていない。


父も同じだろう。


それでも、カフェリーヌが望んだ。


だから余計なことはしなかった。


婚約解消後の妹は、暇になるどころか以前より忙しくなった。


朝は乗馬。


昼は語学や領地経営の勉強。


午後には王妃殿下から頼まれていた慈善施設の仕事。


夜は好きな本を読む。


友人に誘われれば出かける。


疲れた日は何もしない。


そして朝食にはコーヒー。


「お前、前より忙しくないか?」


ある朝、尋ねた。


「そうですか?」


「王妃教育がなくなったんだから暇になると思ってた」


「やりたいことが多いんですもの」


「疲れない?」


「疲れたら休みます」


「王妃教育のときは休まなかっただろ」


「ですから、今は休むんです」


なるほど。


私よりよほどしっかりしている。


そして私は、自分が知らなかった妹を少しずつ知った。


カフェリーヌは馬がうまい。


本気で走らせると、私でも追いつくのに苦労する。


推理小説を読むと、途中で犯人を予想する。


外れると悔しがる。


辛い料理が好きだが、翌日に響くほど食べることはない。


赤だけでなく黄色のドレスも好き。


花は薔薇より、小さな白い花が好き。


コーヒーは砂糖一杯とミルク。


ただし疲れた日は砂糖を二杯入れる。


「知らなかった」


そう言うたび、カフェリーヌは笑う。


「今、知ったでしょう?」


その通りだった。


知らなかったことを悔やむより、今から知ればいい。


妹は十七歳。


これから先も変わるだろう。


今好きなものを嫌いになるかもしれない。


今嫌いなものを好きになるかもしれない。


それを全部知る必要もない。


ただ、妹が話したいと思ったときに聞ける兄でいればいい。


そう思うようになった。





婚約解消から二月後。


王宮で大きな夜会が開かれた。


ベルージュ家にも招待状が届く。


カフェリーヌが選んだのは、深い赤のドレスだった。


鮮やかだが、派手すぎるほどではない。


よく似合っている。


「どうです?」


出発前、カフェリーヌが尋ねた。


「何が?」


「ドレス」


「似合ってる」


「それだけ?」


「綺麗だ」


「最初からそう言ってくださいませ」


面倒な注文だ。


「殿下も来るぞ」


言うと、カフェリーヌは肩をすくめた。


「王宮の夜会ですもの。当然でしょう」


「大丈夫か?」


「何が?」


「会っても」


「お兄様」


「なんだ」


「心配しすぎです」


「兄だからな」


「便利な言葉ですこと」


最近は何を言ってもこれで返される。


王宮へ到着すると、エドワード殿下はすでにいた。


その隣にはマリアンヌ・ローレン伯爵令嬢。


正式な婚約発表こそまだだが、二人が親しくしていることは誰の目にも明らかだった。


カフェリーヌは一瞬だけ二人を見た。


だが、それだけ。


友人に呼ばれると、そちらへ歩いていった。


私は少し離れたところから見ていた。


いや。


見守るのもやめたほうがいいのかもしれない。


そう思い、飲み物を取りに向かう。


そこでエドワード殿下と鉢合わせた。


「アルフレッド」


「殿下」


礼をする。


正直、話したくない。


だが、逃げるのも違う。


「久しぶりだな」


「はい」


「領地から戻っていたのか」


「しばらく王都におります」


「そうか」


会話が続かない。


以前なら、妹の婚約者としてそれなりに親しく話していた。


今は何を話せばいいのか分からない。


殿下の視線が私の後ろへ向いた。


振り返る。


カフェリーヌが友人たちと飲み物の卓を囲んでいる。


その手には、小さなカップ。


「……あれは」


殿下が呟いた。


「コーヒーか?」


嫌な予感がした。


エドワード殿下がカフェリーヌのほうへ歩き出す。


私は少し迷ってから後を追った。


「カフェリーヌ」


呼ばれた妹が振り返る。


「エドワード殿下」


カフェリーヌが礼をする。


以前のような親しげな呼び方ではない。


臣下としての礼。


殿下も気づいたようだった。


「久しぶりだね」


「はい」


「元気そうだ」


「おかげさまで」


そこで殿下の視線がカップへ落ちた。


「それは……コーヒー?」


「ええ」


「君、コーヒーを飲むのか?」


カフェリーヌが目を瞬いた。


「飲みますわ」


「でも、嫌いだと……」


「好きです」


殿下が黙った。


「……いつから?」


「十二歳の頃からです」


「そんなに前から?」


「はい」


「だが、僕といるときは一度も」


「殿下が香りをお嫌いでしたから」


エドワード殿下の顔が変わった。


「僕が?」


「覚えていらっしゃいません?」


「いや……覚えている」


殿下は少し考える。


「婚約したばかりの頃だったか」


「そうですわ」


「でも、僕は君に飲むなとは言っていない」


「ええ」


カフェリーヌはあっさり頷いた。


「一度も」


「では、なぜ」


「わたくしが勝手にやめたんです」


殿下は何も言えなくなった。


その視線が、今度はカフェリーヌのドレスへ向かう。


「赤も……好きだったのか?」


「ええ」


「君は青が好きだと」


「青も好きですわ」


「でも、赤は派手だと」


カフェリーヌが少し考える。


「それは、殿下がおっしゃったのでは?」


エドワード殿下が息を止めた。


「乗馬も?」


「好きです」


「辛い料理は?」


「大好物です」


「推理小説は?」


「好きですわ」


殿下は黙った。


一つ知るたび、表情が変わる。


私は横で見ていて、ようやく理解した。


殿下は本当に知らなかったのだ。


カフェリーヌが何を好きなのか。


カフェリーヌ自身が隠していたのだから、当然なのかもしれない。


だが。


「僕は……」


殿下が呟く。


「君のことを、何も知らなかったんだな」


カフェリーヌはすぐには答えなかった。


「わたくしも、お話ししませんでしたから」


「でも」


「殿下だけのせいではありません」


責めないのか。


私は少し驚いた。


もっと言ってもいい。


五年間も自分に合わせさせておいて、最後に「自分がない」と言った男だ。


だが、何を言うかを決めるのもカフェリーヌだ。


「僕は、君には自分がないと思っていた」


殿下が言った。


「マリアンヌは僕と意見が違えば、すぐに違うと言う。僕が嫌いなものを好きだと言うこともある。それが新鮮だった」


「はい」


「君はいつも僕と同じだった」


「そう見えるようにしていましたから」


短い返事だった。


だが、殿下には十分だったらしい。


「……そうか」


「はい」


「僕は、それに気づかなかった」


カフェリーヌは何も言わない。


「すまなかった」


やがて殿下が言った。


「君に我慢させていた」


「いいえ」


「でも」


「殿下」


カフェリーヌは静かに首を振る。


「わたくしも間違えました」


「君が?」


「好きになっていただきたいからと、自分の好きなものを隠すべきではありませんでした」


カップの中のコーヒーを見る。


「そのせいで、殿下はわたくしを知ることができなかった」


「カフェリーヌ……」


「ですから」


妹が顔を上げた。


「マリアンヌ様とは、どうかたくさんお話をなさってくださいませ」


エドワード殿下が驚いた顔をする。


「好きなものも、嫌いなものも。意見が違ったときも」


「……」


「わたくしたちのようになりませんように」


殿下は答えなかった。


カフェリーヌは一礼する。


「失礼いたします」


私も殿下へ頭を下げ、妹の後を追った。


少し離れたところで聞く。


「いいのか?」


「何がです?」


「もっと言ってもよかったんじゃないか」


「例えば?」


「五年返せ、とか」


カフェリーヌは嫌そうな顔をした。


「言いませんわ」


「なんで」


「殿下のために、これ以上時間を使いたくありませんもの」


私は足を止めた。


カフェリーヌは二、三歩進んでから振り返る。


「お兄様?」


「……いや」


笑いそうになった。


今日一番殿下に聞かせるべき言葉は、たぶん今の一言だった。


残念ながら本人は聞いていない。


「それより、お兄様」


「何だ?」


「帰ったらコーヒーを飲みません?」


「こんな時間に?」


「少しくらい夜更かししてもいいでしょう?」


「十七歳だから?」


「ええ」


「便利な言葉だな」


「お兄様の『兄だから』よりは」


それは認めざるを得なかった。



お読みいただきありがとうございました!


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