表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹が婚約者のためにコーヒーをやめていたと、兄の私は知らなかった  作者: あずきまんま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/6

第6話

屋敷へ戻ったのは、かなり遅い時間だった。


それでもカフェリーヌは、本当にコーヒーを飲むと言った。


使用人たちはほとんど休んでいる。


「俺が淹れる」


「お兄様が?」


「何だ、その顔は」


「淹れたことあります?」


「ある」


「いつ?」


「……たぶんある」


「ないんですのね」


「できる」


結果。


できなかった。


「薄いですわ」


一口飲んだカフェリーヌが即答する。


「そこまで?」


「かなり」


「好きなものを好きと言うようになった途端、兄への遠慮までなくなったな」


「嫌いなものも嫌いと言うことにしたんです」


「俺で練習するな」


「お兄様なら怒らないでしょう?」


「怒るぞ」


「では、怒ってください」


言われると怒れない。


私は砂糖壺を差し出した。


「何杯?」


「二杯」


「今日は二杯?」


「疲れましたから」


「なるほど」


カフェリーヌが砂糖を二杯入れる。


次にミルク。


茶色だったコーヒーが、少しずつ柔らかい色に変わる。


それを見ていると、十年前を思い出した。


七歳のカフェリーヌ。


大麦コーヒーに砂糖を二杯。


ミルクをたっぷり。


「お兄様と同じです!」


そう言って笑っていた。


十二歳の誕生日。


初めて本物のコーヒーを飲んで、苦いと顔をしかめた。


それでも砂糖とミルクを入れたら、


「おいしいです!」


と笑った。


目の前にいるのは、もうあの頃の少女ではない。


十七歳のカフェリーヌだ。


私の知らない本を読み。


私の知らない大会で馬を走らせ。


私の知らない仕事をして。


恋をして。


傷ついて。


泣いて。


それでも自分で終わらせることを選んだ。


私が守らなければ何もできない妹ではない。


だからといって、兄をやめるつもりもない。


困ったときには助けたい。


泣いていれば話を聞きたい。


もし殴ってほしいと言われたら……そこは父と相談しよう。


だが。


妹の人生を、妹の代わりに決めることだけはしない。


それでいい。


「お兄様」


「ん?」


「何を見ているんですの?」


「いや」


「また七歳のわたくしを思い出しています?」


「よく分かったな」


「顔に書いてあります」


「十二歳のときも思い出してた」


「初めてコーヒーを飲んだ日?」


「ああ」


カフェリーヌが少し笑う。


「お兄様が覚えているとは思いませんでした」


「覚えてるよ」


「わたくしも覚えています」


「苦いって言った」


「苦かったんですもの」


「無理して飲むから」


「無理ではありませんでした」


カフェリーヌはカップを両手で持つ。


「好きになりたかったんです」


その言葉に、少しだけ引っかかった。


「コーヒーも?」


「ええ」


「殿下と同じ?」


妹は考えた。


「……少し違いますわね」


「どう違う?」


「コーヒーは、一口目は苦かったけれど、砂糖とミルクを入れたら本当においしいと思いました」


「うん」


「だから好きになったんです」


「殿下の好きなものは?」


「好きにならなければ、と思っていました」


なるほど。


似ているようで違う。


「好きになろうとすること自体は、悪くないと思うんです」


カフェリーヌが言う。


「誰かがおいしいと言ったものを食べてみる。誰かが面白いと言った本を読んでみる。そうして自分も好きになれたら、嬉しいでしょう?」


「ああ」


「でも、好きになれなかったときに、嫌いだと言えなくなるのは違ったんです」


「そうだな」


「やっと分かりました」


「十七で分かったなら早いほうだろ」


「お兄様は分かっています?」


「俺?」


「ええ」


考える。


「……たぶん」


「怪しいですわね」


「うるさい」


笑われた。


カフェリーヌがコーヒーを一口飲む。


薄いはずなのに、おいしそうだった。


「でも」


「何だ?」


「わたくし、本当にコーヒーが好きだったんですわね」


「今さら?」


「四年も飲まなかったのに、一口で思い出しましたもの」


「好きなものって、そういうもんじゃないか」


「そうかもしれませんわね」


私は自分の失敗したコーヒーを飲む。


やはり薄い。


「カフェ」


「はい?」


「今度から我慢するな」


言ってから、違うと思った。


「いや」


「何です?」


「今のはなし」


「なぜ?」


「我慢するかどうかも、お前が決めることだ」


カフェリーヌが目を丸くする。


「……お兄様」


「なんだ?」


「本当に領地で何かありました?」


「何もない」


「少し大人になられました?」


「俺は最初から大人だ」


「二十二歳ですものね」


「そうだ」


「では二十二歳として扱います」


「それ、どういう意味だ?」


「自分のコーヒーくらい、上手に淹れられるようになってくださいませ」


痛いところを突かれた。


「明日は料理長に頼む」


「それがいいです」


「お前も手伝え」


「嫌です」


「なんで」


「お兄様が覚えるんでしょう?」


「兄を助けろ」


「兄だから?」


「そうだ」


「便利な言葉ですこと」


また笑われた。


しばらくして、カフェリーヌが砂糖壺へ手を伸ばす。


「まだ入れるのか?」


「もう一杯」


「三杯目だぞ」


「薄いからです」


「それは砂糖じゃなくて俺の淹れ方の問題だろ」


「では、明日はもう少し濃くお願いします」


「注文が多いな」


「嫌です?」


「いや」


「でしたらお願いします」


砂糖が一杯、カップへ落ちる。


カフェリーヌはスプーンでゆっくり混ぜた。


そして飲む。


満足そうだった。


それでいいのだと思う。


苦いものを好きになる必要はない。


誰かがブラックを好むからといって、同じ飲み方をする必要もない。


砂糖一杯でも。


二杯でも。


今日みたいに三杯でも。


ミルクを入れてもいい。


何も入れなくてもいい。


好きな味を、自分で選べばいい。


「カフェ」


「はい?」


「明日の朝も飲むか?」


カフェリーヌが笑った。


「もちろんですわ」


「砂糖は?」


「一杯」


「本当に?」


「たぶん」


「ミルクは?」


「たっぷり」


「分かった」


「お兄様は?」


「ブラック」


「相変わらずですわね」


「好きだからな」


カフェリーヌは少しだけ目を細めた。


それから自分のカップを持ち上げる。


「では、お互いに好きなものを飲みましょう」


「ああ」


カップを軽く合わせた。


小さな音がした。


十年前とは違う。


あの頃のカフェリーヌは、私と同じものを飲みたがった。


同じであることが嬉しかった。


けれど、もう同じでなくていい。


私はブラック。


カフェリーヌは砂糖とミルク入り。


違う味を選んでも、同じテーブルで笑っていられる。


たぶん、人と一緒にいるというのは、そういうことなのだろう。


翌朝。


朝食室へ入ると、カフェリーヌはもう席についていた。


当然のようにコーヒーを飲んでいる。


私は向かいへ座った。


「おはよう」


「おはようございます、お兄様」


料理長が淹れたコーヒーが運ばれてくる。


昨日とは違って、きちんとした香りがした。


私は一口飲む。


うまい。


向かいでは、カフェリーヌが砂糖を入れている。


一杯。


そして、もう一杯。


「カフェ」


「何ですの?」


「二杯入れたな」


「ええ」


「昨日、一杯って言ってなかったか?」


「気が変わりました」


「疲れてるのか?」


「いいえ」


「じゃあ何で?」


カフェリーヌはミルクを注ぐ。


スプーンで混ぜてから、一口飲んだ。


「今日は二杯の気分なんです」


「そんな理由?」


「そんな理由で十分ですわ」


言われて、私は笑った。


「そうだな」


「ええ」


「好きにしろ」


「最初からそのつもりです」


カフェリーヌも笑った。


もう、私は砂糖の数を気にしなかった。


一杯でも。


二杯でも。


何杯でも。


その味を選ぶのは、私ではない。


王太子でもない。


カフェリーヌ自身なのだから。


そして妹は今日も、自分で選んだコーヒーを、おいしそうに飲んでいる。

お読みいただきありがとうございました!


面白かったらぜひ【ブックマーク】とページ下の【★★★★★評価】で応援よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ