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妹が婚約者のためにコーヒーをやめていたと、兄の私は知らなかった  作者: あずきまんま


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第4話

翌朝。


朝食室へ行くと、カフェリーヌはもういた。


やはりコーヒーを飲んでいる。


私は向かいへ座った。


「おはようございます、お兄様」


「ああ」


使用人が私のコーヒーを置く。


しばらく、どちらも話さなかった。


先に口を開いたのは私だった。


「父上から聞いた」


カフェリーヌのカップが止まる。


「そうですか」


「婚約解消」


「はい」


「お前も望んでるって」


「はい」


「本当に?」


カフェリーヌが私を見る。


「本当です」


「殿下が好きなんだろ?」


少しだけ間があった。


「好きでした」


過去形だった。


「なら、なぜ」


「殿下から言われたんです」


「何を?」


カフェリーヌはカップへ視線を落とす。


「わたくしには、自分というものがないと」


一瞬、聞き間違えたと思った。


「……何だって?」


「マリアンヌ様は、ご自分の好きなものを好きだと言える方なのだそうです」


「……」


「殿下と意見が違えば、違うと言う。嫌いなものは嫌いだと言う。そんなところに惹かれたのだと」


「ふざけるな」


「お兄様」


「誰のせいで――」


「わたくしです」


「違う」


「わたくしなんです」


はっきりと言われた。


「殿下はコーヒーをやめろとは言いませんでした。乗馬をやめろとも、辛い料理を食べるなとも」


「それでも」


「全部、わたくしが決めたんです」


カフェリーヌは静かだった。


「最初は楽しかったんです」


「楽しかった?」


「好きな人の好きなものを知るのって、楽しいでしょう?」


それは分かる。


「殿下がお好きな音楽を聴いて、同じところを好きになれたら嬉しかった。殿下がお好きな本を読んで、そのお話ができるのも嬉しかった」


「……」


「だから、もっと殿下の好きなものを知りたいと思いました」


カフェリーヌは少しだけ笑った。


「でも、いつからでしょうね」


「何が?」


「同じものを好きになるのではなく、違うものを隠すようになったのは」


私は何も言わなかった。


「コーヒーは飲まない。辛い料理は頼まない。乗馬の話はしない。推理小説を読んでも、殿下には話さない」


「フェリ」


「赤いドレスを着たいと思っても、青を選ぶ」


「……」


「気づいたら、殿下の前で『わたくしはこれが好きです』と言うことがなくなっていました」


朝食室は静かだった。


「それなのに」


カフェリーヌは続ける。


「殿下から、自分がないと言われたんです」


私は拳を握った。


腹が立つ。


王太子に。


そして少し、妹にも。


なぜそこまで合わせた。


なぜ何も言わなかった。


そして何より。


なぜ私は気づかなかった。


「そのとき、思ったんです」


「何を?」


「殿下は正しいな、と」


「どこが」


「殿下から見れば、本当にそうでしょう?」


「違う」


「違いません」


「お前はコーヒーが好きだろ。馬にも乗る。小説だって――」


途中で言葉を止めた。


それは父から聞いたことも含まれている。


私は、妹のことをどこまで知っていた?


カフェリーヌが少し笑った。


「ね?」


「何が」


「お兄様も知らなかったでしょう?」


痛い。


「……悪かった」


「責めていませんわ」


「それでも」


「お兄様は領地のお仕事がありましたもの」


「だからって妹が馬術大会で優勝したことくらい知っててもいいだろ」


カフェリーヌが目を丸くした。


「お父様から聞いたんですの?」


「ああ」


「二年前のことですわ」


「なんで教えなかった」


「聞かれませんでしたから」


「普通、兄には報告するだろ」


「兄だから?」


「そうだ」


言ってから気づく。


まただ。


カフェリーヌが笑った。


「お兄様も、少し殿下に似ていますわね」


「やめてくれ」


「冗談です」


全然笑えない。


「それで」


私は話を戻す。


「殿下に自分がないと言われて、婚約解消を受け入れたのか?」


「それだけではありません」


「ほかにも?」


「殿下がマリアンヌ様のお話をなさるとき、とても楽しそうだったんです」


カフェリーヌは窓の外を見る。


「わたくしには、あんなふうに話したことがありませんでした」


「……」


「最初は悔しかった」


「そりゃそうだ」


「悲しかったです」


「当然だ」


「泣きました」


「父上は泣かなかったって」


「王宮では、です」


少し安心した。


いや、妹が泣いたことに安心するのもおかしい。


だが、何も感じていないわけではなかったのだ。


「部屋に戻って、泣きました。ずっと好きだった方ですもの」


「……そうか」


「でも、泣いて、疲れて、次の日の朝になったら」


カフェリーヌは自分のカップを見た。


「コーヒーが飲みたいと思ったんです」


「コーヒー?」


「ええ」


「そんなときに?」


「自分でも不思議でした」


小さく笑う。


「四年くらい飲んでいなかったのに。急に、ものすごく飲みたくなって」


「それで料理長に?」


「お願いしました」


「どうだった?」


「おいしかったです」


即答だった。


「砂糖を一杯と、ミルクを入れて。一口飲んだら、十二歳のときのことを思い出しました」


「初めて飲んだ日?」


「ええ」


「苦いって顔してたな」


「苦かったんですもの」


「俺は言ったぞ」


「でも、お兄様が覚えていてくださったのは嬉しかったです」


知らなかった。


あの日のことを、カフェリーヌも覚えていた。


「それで思ったんです」


「何を?」


「わたくし、コーヒーが好きだったんだなって」


妹は笑った。


「たったそれだけなんですけれど」


「たったそれだけじゃないだろ」


「そうでしょうか」


「四年ぶりなんだろ?」


「ええ」


「だったら大事だ」


カフェリーヌは少し黙った。


「そうですわね」


そして、カップを持ち上げる。


「だから、もうやめようと思ったんです」


「コーヒーを?」


「逆です」


笑われた。


「好きなものを、誰かに好かれるためにやめることを」


その言葉を聞いたとき。


ようやく分かった気がした。


カフェリーヌは婚約を解消されるから、昔の妹に戻ったのではない。


自分で選び直しているのだ。


何を飲むか。


何を着るか。


何を読むか。


誰と生きるか。


「フェリ」


「はい?」


「俺にしてほしいことはあるか?」


妹が目を瞬いた。


「殿下に文句を言ってほしいなら言う」


「結構です」


「一発殴ってほしいなら」


「絶対にやめてください」


「一発だけ」


「駄目です」


「じゃあ婚約解消を止める?」


「それも嫌です」


「分かった」


カフェリーヌが不思議そうに私を見る。


「……それだけ?」


「ああ」


「もっと反対すると思っていました」


「俺もそう思ってた」


昨日までなら反対した。


妹のためだと言って。


勝手に。


「でも、お前が決めたんだろ?」


「はい」


「なら俺が変えることじゃない」


カフェリーヌは黙った。


少しして、笑う。


「ありがとうございます、お兄様」


「礼を言われることじゃない」


「では、一つだけお願いがあります」


「何だ?」


「明日の朝も、一緒にコーヒーを飲んでくださいな」


私は砂糖壺を妹へ押した。


「それくらいなら毎日でも」


「領地へ戻るまでですわよ」


「分かってる」


カフェリーヌが砂糖を一杯入れる。


私は何となく聞いた。


「二杯じゃなくていいのか?」


「十七歳ですもの」


「砂糖と年齢は関係ないだろ」


「では二杯入れます」


「増やすのかよ」


カフェリーヌが笑った。


久しぶりに見る、子供の頃と同じ笑い方だった。



お読みいただきありがとうございました!


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