【あの件】
「椿、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「ほんと? また棗君に泣かされたら言って? 成敗するから」
「俺、悪い事してないのに?」
轟さんの中で眠っていた葵が目を覚ましたら、目の前には涙を流す私と、向かい合って座るなつ兄様の姿があった。
即座に…
「何事…!?」
と大声を上げて飛び起きるや否や、なつ兄様を押し退けて、私をぎゅっと抱きしめた。
すぐさま事の成り行きを説明して落ち着いてもらったは良いものの、葵はお屋敷に着くまで私となつ兄様の間に割って入っていた。
おまけに…
「まだ養子入りして数刻なのに、もう兄様呼びを強要しているとは……恐ろしい」
「だから違うってばぁ」
私の『なつ兄様』呼びに、酷く驚愕していた。
もしかして、葵も姉様呼びを希望しているのかと聞いたら…
「否。うちは『葵』が良い。最初にそう言ったし、それに………お、お姉ちゃん呼びは……何か照れる……」
そう、頬をほんのり赤らめながら小さく呟いていた。
その姿は小柄な彼女を更に幼く見せたので、確かに『姉』よりも呼び捨ての方がしっくりくる。
私達三人と荷物を降ろすと、轟さんは再びゆっくりと車輪を動かして、不可視化の術で消えてしまった。
「お礼を言いそびれてしまいました…」
「大丈夫だよ。移動目的以外でも呼べばすぐに来てくれるし、何より自分の中でゆったり過ごせてもらえるだけで嬉しいみたいだからね」
「朧車としての誇りがあるの、偉い」
「そうなんですか? でしたら、次に乗らせてもらった時には、存分に轟さんの中でのんびりさせて頂こうと思います!」
「そうしてあげて」
荷物を軽々と持ち上げながら、なつ兄様がお屋敷の玄関を開けた。
後に続いて玄関に入ると、廊下の奥からウデさんがふわふわ浮かびながら此方へ寄ってくる。
『お帰り 買い物は どうだった?』
「ウデさん、只今帰りました。とても楽しかったです!」
『それは良かった』
ウデさんがそう紙に綴り終えた後、筆を止めて動きを止めた。
腕しかないはずなのに、何故か視線を感じる。
その視線が、なつ兄様が抱える大荷物に向けられているのも……なんとなく察した。
『凄い量だな』
「あ…葵が、厳選してくれたんです」
「えっへん」
自信満々の笑みを浮かべて胸を張る葵。
再びウデさんは視線(?)を葵に向けて静止した。
そしてたっぷり時間を空けて……一言。
『厳選?』
「言いたい事は分かるよ。ウデさん」
なつ兄様がウデさんに同調するような物言いで、苦笑いを浮かべた。
そんな二人のやり取りに、葵は不服そうに頬をぷくーっと膨らませた。
「ウデさん。荷物を椿ちゃんの部屋に運ぶの手伝って」
『分かった』
「うちも荷物片付けるの手伝う」
「あ、ありがとう」
そそくさと荷物を抱えて部屋に運んで行くなつ兄様とウデさんに続いて、葵と私も部屋に向かう。
来たばかりで調度品が殆ど無い私の部屋に、少しずつ家具が増えて行く。
私と葵だけでは動かせない重たい家具をなつ兄様とウデさんが設置してくれた所に、葵が購入したばかりの小物を収納していく。
流石は大勢居る義兄弟妹達の長男と長女なだけあってか、搬入と設置の手際が良い。
「さて―――俺は一旦、主の所に行ってくるよ。昼食の用意もそろそろしないとな」
「あ…そう言えば、もうそんな時間でしたか?」
「どうり。でお腹空いて来た訳だ」
「ウデさん、此処の手伝いが一段落したら、広間の準備頼む」
『承知した 坊は庭に居るはずだ』
「分かった。それじゃ後で」
なつ兄様は部屋を後にして、主様の所へ向かう様だ。
「ぼ、ぼん…?」
「主のこと。ウデさんは主が若かった頃からの付き合いだから、そう呼んでるらしい」
『あいつの方が 歳下だからな あと 出会った当時は くそ生意気な餓鬼だったから』
「そ、そうなんですね…」
なつ兄様もウデさんも、主様の事になると口や態度が悪くなりがち…。
飄々とされているのは初老の余裕の表われかと思っていたけど、もしかして昔からあんな感じだったのでしょうか?
『椿もその内分かる 腹が立った時は 遠慮なく怒って良いんだぞ』
「お、恐れ多いのですが……その時が来たら、善処します」
何だか、皆さんの主様への慣れ親しんだ態度の理由がよく分かった気がします。
私は気を取り直して、手が止まっていた購入品の整理に戻る。
「………?」
あれ? そう言えば…。
「あの、葵? さっき予算を超えるから厳選したって言っていたけれど……これ等の料金って何処から…?」
今更だけど、全て合わせるととんでもない額になるはずだ。
まさか、葵のお金で全部買った訳ではないはずだ……―――と、いう事は、つまり…。
「え? うん。全部主の私財から拝借した」
「へっ」
変な声が出た。
「あ、ああ、主様の私財からって…! これだけ買える額を事前に渡して戴いてたの!?」
「ううん。へそくりを拝借した」
「へそっ…!?」
とんでもない事をさらっと言ってのける葵の発言に、またも変な声が出てしまった。
「い、良いの? 主様が知ったら怒られたり…?」
「しないよ。私達が勝手に取ってる事、主知ってるから」
『あいつは私財を 全て無駄に高い酒代に費やしている 回収した私財は 全て家計に回している 私欲目的で拝借していないから 問題無い』
『私と棗が皆に許可を出してる』―――と続けて書き足すウデさん。
趣味のお酒に費やせさせないという事は……。
「主様、昔お酒で何かあったのですか…?」
『よく分かったな』
「年に一度の当主会合で大酒仰って、各党首と現帝様の明之彦の御前で、大いびきかいて寝ちゃったの」
「ひぇ」
極東皇国の現帝―――天神院明之彦様の御尊名を耳にしただけでも、無意識で背筋が伸びるというのに、そんな御方の御前でいびきをかいて寝るだなんて……。
主様の事は敬愛しているし、私にとって大恩人ではあるのですが……。
「………少し、眩暈がします」
「でしょ? 実際、迎えに行った棗君が次の日に一日中寝込んでた」
『「絶対、寿命減った…」 と唸っていた 流石に不憫過ぎて その日から坊の酒の量を厳重に守らせるようにした』
「だけど主って凄い飲兵衛だから、こうやって大金を隠してこっそりお酒を買い込んでるの。反省してない」
「それ……なつ兄様も相当怒ったんじゃ…?」
『怒りを通り越して 呆れ半分 図太い神経への関心半分 になっていた』
「えーと……つまり?」
『「色々諦めた」』
葵の声と、ウデさんの筆の動きが重なった。
なつ兄様、思った以上に苦労されているんですね…。
「私……今度から家事を積極的に手伝います!」
「うん。皆もそんな感じになるから、棗君に頭上がらないの」
『まぁ 一番良いのは 坊を反省するまで折檻 棗もそれで大分気が晴れるらしい』
怒られる主様の姿を愉悦に塗れた笑顔で見つめるなつ兄様の姿を想像してしまった。
―――って駄目! なつ兄様の印象を悪くさせては…!
なつ兄様は優しくて、格好良くて、慈愛に満ちた人だから…!
*
*
*
「は―――っくし!」
「あや? お帰り、棗君。珍しいねぇ、風邪かい?」
「ただいま。だけども、ここ何年も風邪なんかひいた事ないよ」
「そう言えばそうだね」
椿の花が咲き誇る庭に向かうと、鋏を手にして剪定に勤しむ主の姿を確認した。
珍しくくしゃみなんかしたお陰で、主も俺の存在に気付いて剪定の手を止める。
そのまま流れで縁側に腰を下ろして、一息つき始めた。
「椿の買い出しはどうだった? 楽しんでくれたかな?」
「物珍しい物が多くて興奮気味だったよ。昨日の今日だし、あまり無理させたくなかったんだけどな」
「まーた葵が新入りを引っ張り回したんだね? やれやれ、妹が増えたのが嬉しいのは分かるけど、葵もそろそろ落ち着きを持って行動してもらわないとねぇ?」
「いい歳して酒でやらかす爺には言われたくないだろうよ」
「酷いッ」
袖で出てもいない涙を拭うフリをする主に、俺は呆れ切った視線を向けて、隣に腰かける。
「……椿ちゃん、少しは緊張解けたみたいだぞ。葵が強引に連れ出した甲斐があったな」
「キミだって、色々話したんだろ?」
「まぁな。あの酷い因習里から出られたっていうのに、まだしんどそうだったからね」
「少しは吹っ切れたっぽい?」
「少なくとも、自分に嘘は吐かなくなってくれそうだ。あとは、過去の闇との決別と、“妖まじり”に対する酷評に耐えられるかどうか……」
「それと……あの件もね。ある意味、これが一番きついかもね…」
「……」
主の言う“あの件”―――。
椿ちゃんに最も関係するあの“真実”を聞いて、彼女がどう思うか……。
「―――……いや。話さなくても、いいのかもしれない」
「棗君?」
「“あの件”を聞かされれば、当然動揺も驚愕もするだろうけど、気に病んだり、変に自己嫌悪に苛まれる事は無いと思う。さっきの買い出し中、一度も“妖まじり”の自身に関して不満を口にしてないし、態度にも出してなかった。まぁそれでも、内心は分かんないし、本人がそこまで気にしてないなら、敢えて此方から深堀するのも可哀そうに思う―――結局は本の意思に関係無く、そうさせられたんだからね」
「そうだねぇ」
主は俺の意見に同意して、再び鋏を手にして腰を上げた。
「棗君がそう言うなら、あの子もきっと同じ様に感じるだろうね。何せ“妖まじり”になった経緯が―――キミ達は全く同じなのだから」




