【喫茶『アマリリス』】
チリリン…。
耳に心地良い鈴の音が響き、棗さんが開けた扉の先の店内が露わになる。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー!」
落ち着いた老婆の声と、活発さが垣間見える元気な男性の声に歓迎され、私達は店内へ入る。
店内は壁一面が看板と同じく赤茶色の木材で仕切られ、窓から差し込む太陽光と、天井に小さく吊るされた照明だけの明かりで店内を照らしていた。
等間隔で配置された丸型の机と、背もたれに繊細な細工が用いられた椅子が、西洋感を嫌味無く醸し出していた。
だけど、最初に目に付いたのは、やはりお店に入ってすぐ目の前に置かれた長方形の机。
その机は縦に長く、まるで調理場と客席の境目となるように置かれている。
壁と同じ色で備え付けられたその長方形の机にも、等間隔でお洒落な椅子が置かれ、更に椅子と椅子の間に位置する場所の机の上には小さな額縁に入った絵画や花が置かれている。
何より、一番目を引くのは―――店内で寛いでいるお客さんだった。
異国情緒溢れる店内には、西洋の服の『わんぴーす』や『すーつ』と呼ばれる衣服を着た恋人達や、鮮やかな着物から除く素肌が炭の様に真っ黒な人型の妖。
そして何より―――まるで親友の様に談笑する人、人間の男性と獣耳を生やした妖の姿に目を奪われた。
「すごい……本当に、人と妖が仲睦まじく共存している…!」
思わず、私は感嘆の声を漏らした。
棗さんと葵さんが嬉しそうに私の浮かれた様子を見守っていたようだけれど、今は自分の事より、念願の喫茶店の方が気になってしょうがない。
「それにお店の中も凄く綺麗…! 昔読んだ本の世界に入り込んだみたいです…!」
「おっほっほ。どうもありがとうございます。可愛らしいお客様」
感動が尽きる事なく声に出した私の言葉に、喫茶店の店主と思われる老婆が微笑みながらお礼を言ってくれた。
老婆は杖を突き、少し腰を丸めてはいるが、淡い色の着物姿には一切の縒れが無く、その出で立ちには老舗旅館の大女将の様な貫録を感じられる。
掛けた眼鏡の奥……皺が寄って垂れ下がった瞼の奥から、微かに青色を帯びた瞳が此方を見つめる。
「ようこそ、喫茶『アマリリス』へ。わたくしはこの店の店主の、メラと申します。以後お見知りおきを…」
「はっ、はじめまして! 椿と申します。此方こそ、以後よろしくお願い致します」
「まぁ、礼儀正しい娘さんだ事。ではどうぞ、此方へ」
店主のメラさんに挨拶をして、私達は窓側の席に案内された。
【白城の里】では絶対にお目にかかれなかったレースのカーテンを透かして差し込む陽の光が温かくて心地良い。
席に着くと、机……テーブル(?)の上には、花瓶に入った花の他に、小さな壺に入った砂糖、瓶に入った塩、あとは紙製のナフキン(?)が備え付けられている。
「ご注文は、どうなさいますか?」
「俺はいつもので。葵は?」
「うちはメロンソーダとロールケーキ」
「椿ちゃんは初めてだし、メラさんのお勧めにしても良いかい?」
「は、はい! お任せします!」
「かしこまりました。では暫しお待ちを」
メラさんは杖を突きながら調理場の方へ戻って行く。
その背を目で追っていると、視界の端に次々と知らない調度品が映りこんでしまって、其方に目が奪われる。
物珍しい調度品の数々に目を奪われ、幼い子供の様に辺りをきょろきょろ見渡してしまった。
そして、そんな私を向かいの席で、にこにこしながら見守る棗さん。
「どう? 初めての喫茶店は?」
「えっ、あ…は、はい…その…」
浮かれ過ぎてた事に気付かされて急に恥ずかしくなる。
「初めて目にする物ばかりで、素直に興味が尽きません」
「そうだよねぇ。俺も初めて来た時は何が何やら、まるで別世界に来た気分だったよ」
「うちも。初めて来た時は主と棗君も一緒だった」
「もしかして……養子の皆さんは全員最初にこのお店に来るのですか?」
「まぁね。メラさんはこの常世が【憂楽街】になってからこの場所に店を構えてる古株さんだ。付き合いが長いから主も護符も無償で提供してて、見えない場所に貼ってある。いざって時はお屋敷の次に安全な場所なんだよ」
「そうなんですね」
だからなのか……此処に入って来た時、物珍しさに興味を惹かれたけれど、何処となく安心感もあった。
自分座ってる席から、長方形の机(カウンター席と呼ぶらしい)の先で作業するメラさんの姿が見えた。
動きはのんびりだけど無駄の無い丁寧さ所作で、棚から茶器を取り出して、沸かしていたお湯を注いで放置―――かと思えば空かさず麻袋の中から黒い豆の様な物を計量器で計り、それを回せる取っ手が付いた不思議な入れ物の中に入れて、ゆっくり回しだす。
ガリガリ…ガリガリ…というと音がこの席まで聞えて来た。
暫く取っ手を回した後、下部に付いている引き出しの様な場所を開け、その中に溜まっていた黒い粉を、薄い紙を窪み状に沿ってはめ込んだ容器の中に入れて、そこにお湯を注ぎ入れる。
ゆっくり、ゆっくり、ゆーっくりと、まるでそこだけ時間の流れが遅くなっているかのように、丁寧に、丁寧に、お湯を注ぎ入れる。
お湯を注がれた黒い粉から、薄い紙を通して、下の硝子容器に黒い液体が溜まって行く。
一体何をしているのか、不思議で堪らなかった。
思わず自分の席からメラさんの様子を凝視していると、向かいに座る棗さんから―――
「見て来て良いよ。何をしてるのか、きっとすぐに分かるから」
「は、はい!」
棗さんに勧められて、私はカウンター席の方へ移動する。
一度着いた席から離れるなんて行儀が悪いけど、好奇心が勝ってしまって断る事が出来なかった。
はて……私はこんなにも自制が出来ない性格だったでしょうか?
そんな事が頭を過ったけれど、カウンター席に近づく程に香ってくる芳ばしい香りに、意識はあっさりすり替えられた。
「良い香り…」
「おっほっほ。そうでしょう? 入荷したばかりだから新鮮な豆を使ってるんですよ」
「やっぱり、さっきの黒い物は豆だったんですね?」
「その通り。この黒い豆を挽いて粉上にしてね、お湯を注ぎながら、ろ過紙でろ過していくんですよ。そうすると―――ほら。黒くて、子供には苦いけど、美味しい飲み物が出来るんですよ」
「それって…! もしかして…?」
私は期待を込めた眼差しをメラさんに向けた。
メラさんはそんな私の事を楽しそうに見つめて、ろ過が終わった黒い液体を、先程お湯を注ぎ入れていた茶器の中のお湯を捨てて、熱で温まった茶器の中に注ぎ入れた。
白い内側の茶器に映える黒い液体。
苦みを含む芳ばしい香りが、鼻腔を擽る。
その飲み物の正体は、ずばり―――
「お待たせ致しました。珈琲でございます」
「これが…!」
あの噂の……西洋で親しまれる飲み物……憧れの“珈琲”…!
「や…やっぱり、苦いんですよね?」
「おっほっほ。よろしければ、お嬢さんにも少し入れて差し上げましょうか?」
「え…で、ですが…」
ここの支払いをするのは私ではない。
かと言って、棗さんの頼んだ物を分けてもらうのも気が引ける…。
私は卑しいと分かりつつも、期待の眼差しを棗さんの方へ向けてしまった。
私の視線に気付いた棗さんは、今の会話が聞こえていたみたいで、にっこりと微笑みながら―――
「折角だし、頂きなよ」
「~~~はいっ」
棗さんの返答に嬉しさが込み上げた。
実の兄にすら、こんな風に我儘を言った事は無かったのに……不思議ですね。
「では、注文のお品を揃えてテーブルにお持ち致しますね」
「はい! よろしくお願い致します!」
メラさんに頭を下げて、私は真っすぐ自分の席へ戻った。
「まだか? まだか?」とソワソワしながら、時折メラさんの方へ視線を向けてしまう私の事を、棗さんや葵―――更には周りのお客様にまで、温かい視線を向けられてしまった。
ソワソワが治まらないまま席に着き、暫くすると若い男性の店員さんが注文の品が乗った御盆を手にして、私達の席の前で立ち止まった。
「お待たせしましたー。ご注文の品、お持ち致しましたー」
「あぁ。ありがとう、露呂」
「はーい。ごゆっくりー」
ずっとにこにこしていてのんびりと話す男性店員さんが去った後、机の上に置かれた目新しい品の数々に視線を移した。
棗さんの前には、先程メラさんが淹れた湯気の立つ珈琲。
葵の前には、緑色で何だか泡が立っている……白い半円の氷菓と、小さくて茎が付いたままの赤い実が乗っている不思議な飲み物(?)と、厚みのある生地で『ほいっぷ』と呼ばれる牛の乳を柔らかく固めた物を巻いた形の『けーき』の一種。
そして私の前には、先程メラさんが淹れてくれた珈琲と―――プルプルとした、肌色の物…?
「あの……これは?」
「これは“プリン”っていうお菓子だよ。プルプルしてて面白いでしょ?」
「は、初めて見ました…」
「だろうね。はい、スプーン。これで掬って食べてごらん」
棗さんはこの“プリン”と呼ばれるお菓子の事を良く知っているらしく、得体の知れないそのお菓子の食べ方まで教えてくれた。
「で、では……いただきます!」
棗さんに言われた通り、銀製の匙で“プリン”の表面を掬い取った。
物凄く柔らかくて、匙に乗った欠片すらもプルプルと踊っている。
意を決して、プルプルのそれを口の中に入れると、歯には一切力を入れなくてもホロホロと? ポロポロと? 何とも言えない食感がした。
その歯触りに驚いていると、今度は舌の上に乗ったそれの優しい甘みに感動した。
牛乳? 卵? それと、この上にかかっている茶色で液状の物は極甘で、肌色の所と一緒に食べると甘さが調和されて、更に美味しく感じる。
「棗さん…! これっ…これっ…!」
「ハハッ。美味しかった?」
笑顔の棗さんに、私は首を縦に何度も振った。
こんなに甘くて美味しい物がこの世にあったなんて…!
(はぁ、幸せ…)
―――ふと、感動と歓喜が止まない私の視界に、湯気が立つ珈琲が映り込んだ。
「そうだ。珈琲…」
「飲んでみな。結構苦いし熱いから、初めはゆっくり飲んだ方が良いよ?」
「は、はい」
棗さんに忠告されて、火傷しないようにゆっくり黒い液体を口の中へ流し込む。
「ッ―――!?」
(に―――苦いッ!)
「椿?」
「つ、椿ちゃん? 大丈夫?」
「~~~ッ」
プルプル震える私を心配そうに見つめる棗さんと葵。
私は舌が痺れそうな程の苦みに身震いを起こし、甘みを求めて残りのプリンを匙で何度も口の中に含んだ。
憧れの珈琲は、私には大人の味過ぎたみたいです…。




