気が付いたらファーストブラッド枠から外れてました
それからも、何も起こらなかった。
薪拾いでも湖でも、誰一人として欠けることなく、気づけば日は森の向こうへ沈んでいた。そして夜になっても――何も起こらない。
……いや、いいんだけど。
焚き火を眺めながら、私は首を傾げた。何も起こらないように、昨日からあれだけ死亡フラグを潰して回ったんだから。むしろ、これでいい。
これでいいんだけど……本当に何も起こらない?
私の記憶が確かなら、とっくに誰かがジャクソンの犠牲になっていてもおかしくない。それなのに今、七人全員が揃って焚き火を囲んでいる。
もしかして、私が色々やったせいで展開が変わった? それとも、そもそも私の記憶が間違ってる? ひょっとして、このまま何事もなく――。
……いやいやいや。油断しちゃダメだ。こういうときに「もう大丈夫かも」と安心した瞬間、ろくでもないことが起きる。それがスラッシャー映画というものだ。
「ジェシカ、食わないのか?」
隣から声をかけられて我に返ると、ブラッドが私の紙皿を指さしていた。大きな身体を丸めるようにして焚き火の前に座り、片手にはビール缶を持っている。
「あ、食べる」
慌ててフォークを手に取り、すっかり冷めかけた肉を口に放り込む。
「さっきから何考えてんだ?」
「別に」
「またジャクソンのことか?」
「そうよ。悪い?」
ブラッドは何も言わず、やれやれと眉を上げてビールを一口飲んだ。まったく、こっちはみんなの命を心配してるっていうのに。
そう思いながら周りを見れば、みんなはいたって普通……いや、ヤバい!
エミリーとマイクはコーヒーを片手に何か話して笑っている。さっきから妙に距離が近い。肩が触れそうなくらい寄っているし、エミリーが笑うたびにマイクも嬉しそうに笑っている。その様子をケビンが面白くなさそうに横目で見ながら、焚き火へ薪を一本放り込んだ。
……おい、そこの二人。すぐ離れろ。
そしてサラとトム。こっちは「ちょっと」どころじゃない。サラはほとんどトムに抱きつくように身体を預けているし、トムの腕はしっかり腰に回っている。さっきから顔を寄せては何か囁き合って、そのたびに二人で笑っていた。
というか、そのまま押し倒しておっぱじめそうな雰囲気なんですけど。お前ら、その状態で森の中に消えたら十分後には死体だからな。
「そういやさ」
ケビンがビールを一口飲んで、エミリーとマイクへ視線を向けた。
「ジャクソンって、カップルから狙うって話じゃなかったっけ?」
「あ、それ聞いたことある」
サラがトムにへばりついたまま答える。
「二人でイチャついてると出てくるんでしょ?」
「どこからアウトなんだ?」
マイクが笑う。
「キス?」
「最後までいったら確実じゃね?」
「じゃあ途中でやめればセーフ?」
「試してみろよ」
「嫌だよ!」
みんな笑ってるけど、笑い事じゃないんだけどなあ。
スラッシャー映画の殺人鬼というのは、若者の素行にやたらとうるさい。酒、ドラッグ、セックス、夜中に「ちょっと」とか言って女の子を連れ出す馬鹿。そういう死亡フラグを踏んだ奴から、律儀に襲撃されていく。そしてジャクソンは、そのへんのテンプレートを作った殺人鬼だった。
当然、今夜も油断はできない。
「みんな、寝る前に確認!」
「あー、始まった」
ケビンが露骨に嫌そうな顔をする。
「そこ! 聞く!」
「はいはい」
「何かあったら全員起こす! 『ちょっと見てくる』は禁止! いい?」
「はい、ママ」
ケビンが手を上げた。
「誰がママよ!」
「夜中にヤりたくなったら?」
「サカってないで寝なさい!」
「ほらママじゃん!」
「誰がよ!」
また笑われた。こいつら、本当に一回ジャクソンに追いかけられてみれば――いやダメだ。ゴア死体の品評会になるだけだ。
私は改めて焚き火の周りを見回した。さっきからくっつきっぱなしのサラとトム。妙に距離の近いエミリーとマイク。そして隣にはブラッド。
……うん。こいつら放っておいたら絶対何かやる。
「というわけで、今夜はセックス禁止だからね!」
一瞬、静かになった。
「はぁ!?」
真っ先に声を上げたのはサラだった。
「なんでよ!」
「今の話聞いてたでしょ! ジャクソン風紀委員様が出るからよ!」
「ただの怪談でしょ!?」
「それでも禁止!」
「横暴!」
「死ぬよりマシ!」
「ちょっと待って」
今度はエミリーが手を上げた。
「なんで私とマイクまで見たの?」
「え?」
「見たでしょ。今」
……周りからどう見えてるのか認識しなさいよ優等生。
「念のため?」
「何よそれ!」
「いや、ほら。なんか今日いい感じだったし」
「そ、そんなことないから!」
「え」
マイクが地味に傷ついた顔をした。
「あ、違う! 今のはそういう意味じゃなくて!」
「あは、そうだよね、エミリーにはやっぱり……」
「だから違うって!」
「はい、そこ! そういうのが危ない!」
また笑いが起きる。
最後に隣を見ると、ブラッドと目が合った。嫌な予感でもしたように、すぐ眉をひそめる。
「……」
「……」
「ダメだからね」
「まだ何も言ってねえよ」
「顔に書いてある」
ブラッドは不満そうに口をへの字にした。
「昨日から何もさせてもらってないんだけど」
「帰るまで我慢!」
「俺、彼氏だよな?」
「彼氏だからよ! 死なれたら後味悪いでしょ!」
しばらく私を見ていたブラッドは、諦めたように肩を落とした。図体がでかいせいで、妙にしょんぼりして見える。
好きなだけ笑えばいい。明日の朝になって七人全員生きていたら、私の勝ちなんだから。
それからしばらく焚き火を囲み、夜も深くなったところで、それぞれテントへ引き上げることになった。私とブラッド、サラとトムが二人用。エミリー、マイク、ケビンは、それぞれ一人用のテントだ。
カップル二組には釘を刺したし、ブラッドにも言い聞かせた。ケビンにも散々言った。ここまで言えば、わざわざ死亡フラグを踏みに行く馬鹿はいない……いや待て。スラッシャー映画の登場人物だとしたら、バカさも天元突破してるはず。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみー」
「いい? 夜這いとか、二人で裸で湖に泳ぎに行くとか絶対禁止だか――」
そこで、なぜかサラとトムが揃って目を逸らした。
「……何?」
「別に」
「何でもないわよ」
なんで二人ともそんなバツの悪そうな顔してんの?
「とにかく絶対禁止!」
「分かったって!」
ケビンに先回りされた。
「おやすみ、ジェシカママ!」
「ケビン!」
笑いながら自分のテントへ逃げ込んでいく。
私もブラッドとテントに入り、入り口のファスナーを閉めた。薄手の毛布をかぶると、すぐ隣でブラッドがごそごそと身体を動かす。ただでさえ狭いテントなのに、こいつがいると余計に狭い。
「……ジェシカ」
「ダメ」
「まだ何も言ってない」
「ダメ」
「キスくらい」
「ダメ」
「おやすみのキス」
「寝ろ」
「はい」
ブラッドは大人しく毛布を引き上げると、私に背中を向けた。……なんでそんな大きな背中でいじけるのよ。
しばらくすると、ちらっとこっちを見る。
「寝ろ」
また背中を向けた。素直でよろしい。
やがて外から聞こえていた話し声も消え、キャンプ場は静かになった。風が木々を揺らす音と、虫の声。焚き火で薪が弾ける音。それだけだ。
私は毛布の中で目を閉じた。今日一日、何も起こらなかった。このまま朝まで何も起こらなければ、それでいい。
そう。何も起こらなければ――。
◇ ◇ ◇
――面白くねえ。
ケビンは薄手の毛布をかぶったまま、暗いテントの天井を睨んでいた。
せっかくのキャンプだっていうのに、計画は完全に台無しだ。ジェシカが昨日からやたらとうるさいせいで、エミリーと二人になる機会がほとんどなかった。そのうえ今夜はセックス禁止ときた。
何様だよ、あいつ。
まあ、ブラッドまでおあずけを食らってるのを見る限り、本気で例の怪談を怖がってるらしい。昨日から散々ジャクソンジャクソン言いやがって。
問題はエミリーだ。今日一日、マイクとやけに楽しそうに話していた。別に二人は付き合ってるわけじゃないはずなのに、ずいぶんいい雰囲気じゃねえか。このまま何もしないで帰って、マイクに先を越されるなんてのは面白くない。
明日には帰る。だったら、今夜が最後のチャンスだ。
ケビンはしばらく耳を澄ませた。外から話し声は聞こえない。もうみんな寝たらしい。毛布をどけて起き上がり、音を立てないようにテントのファスナーを開けると、冷たい夜気が入り込んできた。
『いい? 夜這いとか、二人で裸で湖に泳ぎに行くとか絶対禁止だからね!』
ジェシカの声が頭をよぎる。
「……うるせえよ、ママ」
小さく呟いて外へ出た。
焚き火はほとんど消えかけ、周囲のテントも静まり返っている。ケビンは足音を忍ばせてエミリーのテントへ向かった。
入り口の前で一度だけ周囲を確認してから、ファスナーをゆっくり下ろす。中へ潜り込むと、エミリーは薄手の毛布にくるまって眠っていた。
ジェシカほどじゃないが、毛布越しでもわかる胸の膨らみに、ごくりと生唾を飲み込む。
「エミリー。おい」
「……ん……」
肩を軽く揺すると、エミリーが薄く目を開けた。
「……マイク?」
ケビンの手が止まる。
「俺だよ」
「……ケビン?」
眠そうに瞬きをしていたエミリーの目が、少しずつ開いていく。
「何してるの?」
「ちょっと話したくてさ」
「今?」
「ああ」
ケビンは笑いながら、その隣へ腰を下ろした。
「昼間、全然二人になれなかっただろ?」
「……だからって、こんな時間に勝手に入ってこないでよ」
「いいじゃん、少しくらい」
ケビンが身体を寄せると、エミリーは毛布を胸元まで引き上げながら身を引いた。
「ケビン、戻って」
「なんだよ。俺が誘ったキャンプに来たんだから、俺の気持ちくらい分かってただろ?」
「みんなで行くって聞いたから来ただけ。そういうつもりじゃないから」
「でも今日、マイクとはずっと一緒にいたじゃん」
「……何それ」
「楽しそうだっただろ」
「普通に話してただけでしょ」
「俺よりあいつのほうがいいのかよ」
「だから、そういう話じゃないって」
エミリーはうんざりしたように息を吐いた。
「もう眠いから。戻って」
「エミリー」
「戻って」
はっきり言って、エミリーは入り口を指さした。
ケビンの顔から笑みが消える。
「……俺じゃダメってこと?」
「そういう言い方やめてよ」
「マイクならいいのか?」
「ケビン!」
エミリーが声を強める。
「いい加減にして。嫌だって言ってるでしょ」
一瞬、ケビンの顔が引きつった。
「……お前まで俺を馬鹿にすんのかよ」
「そんなこと言ってない」
「今日だって、俺が誘ったキャンプなのに、ずっとマイクとばっかり――」
「だから関係ないでしょ!」
「あるだろ!」
ケビンがエミリーの手首を掴んだ。
「痛っ……離して!」
「俺の話くらい聞けよ!」
「聞いてる! そのうえで嫌だって言ってるの!」
エミリーが手を振りほどこうとする。
「離して!」
「暴れんなって!」
「ケビン!」
エミリーは空いた手でケビンの胸を押した。だが、ケビンは退くどころか、そのままエミリーの肩を掴んで毛布へ押しつける。
「きゃっ!」
「ちょっとくらいいいだろ!」
「嫌! やめて!」
両腕を突っ張っても、ケビンは体重をかけて覆いかぶさってくる。
「離して!」
「大声出すなって!」
「誰か――!」
エミリーは必死に身体を捻った。腕の力だけでは押し返せない。ケビンとの間へ膝をねじ込み、腹を思い切り押し上げる。
「やめてってば!」
「うおっ!?」
そのまま両手でケビンを突き飛ばす。
ケビンの身体が横へ弾かれ、その勢いでエミリーも反対側へ転がった。
二人の間がぱっと開く。
その瞬間だった。
――ザシュッ!
「…………え?」
空いた場所へ、赤さびた斧が叩き込まれた。天井の布が一気に裂け、そのまま刃が地面へ食い込む。
エミリーの顔から血の気が引いた。ほんの一瞬前まで、ケビンに押さえ込まれていた場所だった。あと一秒遅かったら、二人まとめて真っ二つだった。
斧が引き抜かれる。
「な、なんだよ……」
ケビンが呆然と裂けた天井を見上げた。
――バキッ!
「うわああああっ!?」
「きゃあああっ!」
二発目の斧がポールを叩き折った。支えを失ったテントが一気に潰れ、二人の上へ覆いかぶさる。
「何!? 何なの!?」
「知らねえよ! どけ! これどけろ!」
「そっち引っ張らないで!」
「俺じゃねえよ!」
「足! 踏んでる!」
「見えねえんだよ!」
暗闇の中で二人して暴れ、身体にまとわりつく布を引っ張る。当然、余計に絡まる。その上から、また斧が叩きつけられた。
――ザシュッ!
「きゃあああああっ!」
「殺される! マジで殺されるって!」
「誰か! 助けて!」
斧が布を切り裂き、そこから月明かりが差し込んだ。裂け目の向こうに大きな靴が見える。
ケビンが顔を上げると、斧を持った大男が立っていた。顔には白いマスク。
「…………ジャクソン?」
白いマスクがゆっくりとケビンを見下ろす。
「ジャクソン! ジャクソンだあああああっ!」
◇ ◇ ◇
絶叫で目が覚めた。
「なんだ!?」
隣でブラッドも飛び起きる。さっきまでいじけていた大男が勢いよく身体を起こしたせいで、一気にテントが狭くなった。
「今のケビン!?」
外からエミリーの悲鳴が聞こえ、続いて何かを叩き壊す音が響いた。
「ジャクソンだああああ!」
間違いない。ケビンの声だ。
……って、なんでケビン!?
私は毛布を蹴飛ばし、ブラッドと一緒にテントを飛び出した。ほぼ同時にサラとトム、マイクもそれぞれのテントから出てくる。
「何だよ!?」
「エミリーは!?」
「あそこ!」
エミリーのテントが潰れていた。その残骸の前に、大男が立っている。
白いマスク。赤さびた斧。映画の画面越しに何度も見た姿だった。
「……ジャクソン」
本当にいた。いや、いるのは知ってた。知ってたから昨日からあれだけ騒いでいた。でも、実際に目の前にいるのは話が違う。
でかい。映画で見るよりずっとでかい。
しかも今、その足元では潰れたテントが激しくもぞもぞ動いている。
「エミリー!」
「殺される! 誰か助けてくれえええ!」
中から聞こえてきた声に、私は一瞬固まった。
……ケビン?
お前、なんでエミリーのテントにいる。あれだけ夜這いするなって言ったのに、あの野郎――!
いや、説教は後!
ジャクソンが足元でもがく二人へ向き直り、赤さびた斧を大きく振り上げた。
「エミリーから離れろーっ!」
マイクが駆け出した。
「え、マイク!?」
そのまま勢いよく地面を蹴り、跳ぶ。
高っ!?
「うおおおおおっ!」
振り下ろされるより早く、マイクの靴底が白いマスクへ叩き込まれた。
――バゴンッ!
ジャクソンの頭が大きくのけぞった。斧を振り上げていたせいで重心まで崩れ、その巨体が後ろへ派手にひっくり返る。蹴ったマイクも反動で地面を転がった。
「…………え?」
何、今の。マイク、そんなことできたの!?
いや、待って。そういえばマイク役の俳優さん、この映画のあとカンフー映画でブレイクしたんだっけ。
……って、こんな設定あったの!?
映画じゃ終盤で、ファイナルガールのエミリーに「君だけは助ける」とかカッコつけた直後、背後からジャクソンに頭を斧でカチ割られて、盛大にエミリーを血まみれにして退場してたじゃん! あんな見事な飛び蹴り、一回もしてなかったぞ!?
「ジェシカ! 二人を!」
「えっ――あ、そうだ!」
ブラッドはもう潰れたテントへ駆け寄っていた。私も慌ててその横へ飛びつき、二人で裂けた布を掴んで引っ張る。
「エミリー!」
「ジェシカ! 助けて!」
残骸の中から伸びてきた手をブラッドが掴む。その太い腕で一気に引っ張り、私も絡まった布を剥がすと、エミリーが転がるように這い出してきた。
「マイク!」
エミリーはすぐに立ち上がると、地面に座り込んでいるマイクへ駆け寄り、そのまま抱きついた。
「大丈夫!?」
「あ、ああ……エミリーは? 怪我してない?」
「私は大丈夫。ありがとう。本当にありがとう……!」
「いや……無我夢中だったから。エミリーが無事でよかった」
マイクは抱きつかれたまま、心底ほっとしたように笑った。
おお。やるじゃん、マイク。あの飛び蹴りといい、今の台詞といい、完全にヒーローじゃん。ナード枠だと思ってたけど、ひょっとして映画と違ってマイクにも生存ルートが――。
「おい! 俺を忘れんな!」
「あ、忘れてた!」
「早くしろ!」
サラとトムが残骸を引っ張り、布を頭からかぶったケビンが這い出してくる。そのまま地面を転がり、慌てて四つん這いになった。
私はちらっとエミリーとマイクを見る。
……おや?
なんか一気に距離縮まってません?
ケビン、お前これ完全に負け――。
「立てる?」
エミリーがマイクの腕を肩に回し、立たせようとする。
「ああ、大丈――っ!」
右足を地面についた瞬間、マイクの顔が歪んだ。
「ぐあっ!」
力が抜け、そのままエミリーに支えられながら地面へ座り込む。
「マイク!?」
「足……! 足が……!」
「どうしたの!?」
「分かんない……!」
エミリーがマイクを支えながら足元を見る。私もそちらへ駆け寄り――固まった。
「…………え」
変な方向に曲がってる。
「折れてる!?」
「ええっ!?」
ですよねー! 映画じゃ完全にナード枠だったもんねー!
役者さんが後にカンフースターになったからって、役までカンフーマスターになってるわけないよね! というか、だったらなんで飛び蹴りした!?
そのとき、倒れたジャクソンの少し手前に、斧が落ちているのが目に入った。
……あれ?
これ、今のうちに捨てればよくない?
私は斧へ駆け寄り、柄を両手で掴んだ。
「よいしょっ――」
持ち上がらない。
「……え?」
もう一度、今度は腰を落として両手で引っ張る。
「んんんっ……!」
斧が地面からほんの少し浮いて、すぐにゴトンと落ちた。
「重っ!?」
何これ!? 映画じゃ片手でブンブン振り回してたじゃん!
――バキッ。
背後で枝を踏み折る音がした。
ゆっくり振り返ると、さっき派手にひっくり返ったジャクソンが、もう立ち上がっていた。
「嘘でしょ……」
ジャクソンは無言のままこちらへ歩いてくる。
……待って。
これ、私いまジャクソンの斧の横にいるんですけど。
私は慌てて斧から離れた。
「ブラッド! マイク担いで!」
「分かった!」
ブラッドはすぐにマイクの前へしゃがみ込み、その腕を肩へ回した。
「掴まってろ」
「悪い……」
「謝るのは後だ」
そのままマイクを背負い、大きな身体をほとんど揺らすことなく立ち上がる。
その間にもジャクソンはこっちへ歩いてくる。私が諦めた斧の前まで来ると足を止め、片手で柄を掴んだ。
ひょい。
「…………」
嘘でしょ。私は両手でも持ち上がらなかったんですけど!?
「車! 全員、車まで走って!」
全員が一斉に走り出した。
ブラッドはマイクを背負い、サラとトムがその横につく。エミリーも必死に走り、ケビンはいつの間にか先頭にいた。
「ちょっとケビン! あんた元気なんだから――」
――ブンッ!
「ひゃっ!?」
何かが耳元を掠めた。
直後、目の前の木に斧が突き刺さる。
――ドガッ!
「…………」
足が止まりかけた。
今、かすった。
いま絶対かすった!
「なんで私!?」
振り返ると、ジャクソンがこっちを見ている。
私!? なんで!?
ケビンいるでしょ! 夜這いまでした問題児があっち走ってるでしょ!?
「ジェシカ! 走れ!」
「分かってる!」
ブラッドに怒鳴られ、慌てて走り出す。
「いっ……!」
痛い。
胸が。
全力で走るたびに上下に揺れて、めちゃくちゃ痛い!
思わず両腕で胸を押さえる。走りにくい。というか、痛くてまともに走れない。
待って。
ノーブラ!
全力疾走!
揺れる胸!
ちぎれそうに痛い!
……そりゃ逃げられないわ!
「だからビッチ枠ってすぐ死ぬの!? 自然淘汰か!」
「何言ってんだジェシカ!」
「こっちの話!」
こんなスラッシャー映画の生態系、体験して知りたくなかったよ!!




