6話(敵)
6話(敵)
街の中に入ってからは移動速度が落ち、何日か歩くことになった。何度かゾンビと出くわしたが、成人に近い男が3人もいれば、もはや戦うというより「処理」だった。
「ふみ、来てくれてありがとうな。信太も」
「いえ」ふみが信太の肩を軽く叩いた。「このゾンビも痩せてますね。ほっといても勝手に死ぬんでしょうね」
信太が汗を拭う。「ゆっくりと、こういうのが増えてるな」
学が包丁の血を拭きながら、声を張った。「全員、陣形取り直して!」
ふみは最後尾から、時折学の背中に目をやった。堤防を離れてからというもの、学の顔はずっと、何かを激しく睨みつけるような険しさを帯びていた。一度だけ目が合ったが、ふみは気まずそうに目をそらした。
その夜は小さな寺に泊まった。境内の中で、信太が深刻な顔で学を呼び、蛇口をひねってみせる。「ここ、水道が止まってる」
「そろそろやと思ってた。電気も怖いな」
「マップは頭に入ってんやろ?」
学が蛇口を見つめたまま頷く。廊下の奥から足音が聞こえた。
「田舎に行けば、まだ残ってるよ」
秋が少し疲れたように苦笑しながら、お盆に載せたおにぎりを持って歩いてきた。信太が秋に付き添って、笑いながら何かを話している。学はそれをちらりと見てから、一人で外に出た。
赤く染まった庭で、ヒグラシがカナカナと鳴いていた。門の近くの木の上にいたふみに話しかける。
「お疲れ。どう?」
「門に1体だけいます」
「手伝うわ」
二人でさすまたを使ってゾンビを押さえつけ、首を一突きして放っておいた。
「人数が増えて、ほんまは街を歩きたくないけど……助けてな、ふみ」学が視線を送る。
「……うん」ふみはそっぽを向いて答えた。何か別のことを考えているようだった。
翌朝、空は曇っており、街は一層薄暗かった。
学の歩行ペースが速い。隊列が若干縦に伸びてしまっていた。
昼は草が生い茂る公園でご飯を食べた。草が我先にと背を伸ばしているせいで、外からは死角になって見えにくい場所だった。みなと、数豊、まさるの男の子3人は遊具で遊び、三月たち女の子3人はあやとりをしている。学はその様子をじっと眺めていた。
ふみが学の前を横切って、信太に声をかける。「今のうちに少しでも周りの情報を集めましょう」
信太がさすまたを持ってきて、公園の入り口で学を待つ。学は秋に見張りを頼むと言い残し、信太からさすまたを受け取って公園を出た。
その時だった。遠くの民家の陰で、何かの影が素早く動いた。しかし、3人は気づかないまま薄暗い街へと歩みを進めてしまった。
倒れたゴミ箱にカラスが群がっている。街角の自販機は、鍵がぐにゃりと曲げられて大きくこじ開けられていた。
信太が近づく。「学、これ……」
「警戒しよう」
しばらく歩くと、ポツポツと雨が降り出してきた。「戻ろう」
翻ったその時、ふみが足を止めた。
「どうしたん?」信太が聞く。
ふみは手を広げて二人を制した。「何か聞こえた」
かすかな複数の足音が、奥の路地から聞こえてくる。3人は顔を見合わせると、一目散に公園へと走り出した。
公園が見えてきた。だが、公園の塀に背を低くし、小走りで近づいていく不審な影たちが見える。
「秋ーー!」信太が叫んだ。
学が大声を張り上げる。「警戒態勢!!」
公園に入ると、みんなが木造の東屋(屋根のある休憩所)の下で、慌てて身支度を始めていた。学が秋に駆け寄る。
「秋! 全員おるか!?」
「な、ななちゃんがトイレに……みんなカッパを着て!」
「隊列を組め! ふみ、トイレに行ってくれ!」
ふみが包丁を握りしめ、反対側のトイレに向かって走る。パシャパシャと水たまりを蹴る音が響く。学がさすまたを数豊に渡した。
「数、頼むぞ。全員ついてこい!」
数豊は無言でさすまたを握りしめた。全員でトイレに向かう。雨の中、ふみの後ろ姿が揺れていた。
その時だった。トイレの影から、若い男がななの身体を掴んでゆっくりと出てきた。手にはナイフを握り、ふみを威嚇している。
「近づくな!」
学がふみの前に出て、男を鋭く睨みつけた。
「お前、人数見ろ。その子を返せ」
男はせせら笑った。「人数? 周り見ろよ」
公園のあちこちの茂みから、若い男たちが6人ほど、ズラズラと武器を手に出てきた。
「お前ら動くな」学が包丁を取り出す。
男たちの中から、一人、産毛のひげを生やしたリーダー格の男が一歩、また一歩と近づいてきた。
「その女を渡せば、命までは取らん」
そいつが指さしたのは、秋だった。秋は恐怖に震えながら学を見返す。
学は、静かに、深く息を吐いた。
「……わかった」
「っ!」信太が息を呑む。ふみは信じられないというように横目で学を睨みつけた。
次の瞬間、学が小さく声をかけた。
「信太、ふみ、いけるな」
学は持っていた包丁を隣のみなとに手渡した。ひげの男は交渉が成立したと思い込み、「わかればいいねん」と下卑た笑みを浮かべる。
信太がゆっくりと腰に手を回した。ふみは状況についていけず、視線が定まらない。
「信太、ふみ、今や!!」
学は素早く腰から拳銃を抜き放ち、引き金を引いた。
──パーン!
学の拳銃が火を噴く。一瞬遅れて信太も続いた。
──パン!
激しい二発の銃声。ひげの男の頭部から血が吹き飛び、「ガッ」と短い声を上げてその場に崩れ落ちた。
突然の事態に、残された男たちは動揺し、お互いの顔を見合わせる。ふみは驚愕して学を見た。学は銃口を向けたまま、男たちを値踏みするように首を少し傾げ、冷徹に睨みつける。
「次は……殺す。……失せろ」
カチリ、と学が再び撃鉄を引いた。
その威圧感に耐えかね、男たちはクモの子を散らすように逃げ去っていった。ななを掴んでいた男は腰を抜かし、ななと一緒に地面に倒れ込んだ。そいつは弱々しい声で「……頼む、助けてくれ」と手を合わせる。
学はみなとから包丁を受け取り、冷たく言い放った。「信太、警戒態勢。……お前、その子離せ」
学の目は前髪で隠れ、秋の立ち位置からはどんな表情をしているか見えなかった。
「……はよ行け」
男は這いつくばるようにして立ち上がると、一目散に逃げていった。
激しい雨の中、学は一人、前髪から滴る水に濡れながら、地面を見つめて立ち尽くしていた。
信太がすかさず駆け寄り、肩を叩く。
「終わったで、学」
「……まだや」
学はそれだけ言うと、怯えるななに自分のカッパを手渡した。そして何も言わず、方位磁針を手に公園を後にした。公園には、ひげの男の遺体が激しい雨に打たれたまま横たわっていた。
土砂降りの中、先頭を行く学だけがずぶ濡れのまま、マップを見つめて歩き続ける。雨は夕方になっても止まらず、日が沈んでも歩みを止めなかった。学の右手には、いつでも撃てるように拳銃がぶら下がっていた。その異様な気迫に、誰も言葉を発せずについていくしかなかった。
「バシャバシャ」と水たまりを跳ね上げ、信太が学の横に並ぶ。「学、どこまで行く気や」
「……街から、離れる」
学はボリボリと頭を掻き、取り憑かれたように歩いた。
やがて、林に囲まれた鳥居の前で学が立ち止まった。石畳の参道へと入っていく。懐中電灯で照らしても、生い茂る草木に光が遮られ、外からは見えない格好の隠れ家だった。
「ガタガタ」と社の古びた木扉を開け、全員で中に入る。秋が子供たちの濡れた頭をタオルで拭き、乾パンを開けてみんなに配った。
学は社の隅にぽつんと座り、床の一点を見つめていた。秋がそっと学の頭にタオルをかけ、隣に乾パンの残りを置く。
しばらくしてみんなが食事を終えた頃、学は何も言わずに立ち上がり、扉を開けて再び雨の外へと出ていった。信太は、いつも身につけている自分のデジタル時計を秋に手渡すと、「かっぱ」を羽織って学の後を追いかけた。
二人が出ていくと、張り詰めていた空気が緩み、子供たちがようやく小声で話し始めた。秋は壁にもたれかかり、学の隣に残された空っぽの乾パンの容器を見つめながら、信太から渡された腕時計のタイマーをセットした。
「ピピピッ」
社の中にアラーム音が響いた。秋は目をこすりながら社を出た。ふみがその背中を横目で追う。
竹の葉からポタンと頭に水滴が落ちる中、石畳を歩いていくと、鳥居にもたれかかる学と信太の姿があった。
「お疲れ様。交代しよ」秋が声をかける。
「信太、行けよ」
「学が行け」
夏の大三角が美しく輝く夜空の下、少しの押し問答のあと、沈黙が流れた。
「ザッザッ」と足音がして、ふみがさすまたを片手に歩いてきた。それを見届け、ようやく信太と学は社に戻って深い眠りについた。




