5話(10人)
5話(10人)
「カチャ」「カチャ」と、硬い金属音が響き、二人の動きが止まった。
「包丁を置け」
恐る恐る腰の包丁を外し、床に置いて手を挙げた。
「ひざまずけ。他に仲間は?」
若い男の声だった。二人は膝を床につける。学が真っすぐに続く廊下を見つめたまま言った。
「仲間はいない」
誰かが階段から急いで降りてくる音が聞こえる。背後で靴が後退りする音がした。小声で何かを話しているようだ。
「お前たち、本当に仲間はいないのか」
「いない」
「何しに来た」
「食料をもらいに来ただけだ。危害は加えない」
額から汗が垂れる。信太が学に視線を送るが、学は小さく首を振った。
「堤防の裏に隠れてるのは仲間じゃないのか」
「……知らない」
学が信太に目配せをすると、二人はゆっくりと前傾姿勢になり、いつでも飛びかかれるよう身を構えた。その時、
「そうか、手を下げていいよ」
不意に口調が変わった。「あの人たちをここに呼んでもいいよ」
あっけにとられた。「どういうことだ?」
「こっち向けよ」
恐る恐る振り返ると、高校生くらいの青年と男の子が銃を下ろしていた。その後ろに、小学生くらいの女の子が隠れている。
「最初からあんたらが堤防を歩いてたのを知ってた。堤防に隠してる人たちを守ろうとしてたから、悪い奴らじゃないと思ったんだ」
「ふーっ……」
信太が心底ホッとした顔をした。学が青年に問いかける。
「食料を分けてもらえないか」
「別にいいけど」
青年は無愛想に答えた。
その夜は、学校の図書室を借りることになった。カーペットが敷かれた床は冷たくなかった。
調理室では、秋と学と信太が米を炊いている。鍋の蓋が白い泡を噴き出し、カタカタと音を立てていた。
秋が提案する。「ねぇ、あの人たちもご飯に呼ぼうよ」
「いいなそれ」信太が学を見つめる。
学も頷いた。「その方が良さそうやな。信太、保健室にいるみたいやから呼んできて」
「え、俺かよー」
「こういうのは信太のほうが得意やろ」
「へいへい」
調理室から学と秋が大きな鍋を図書室に持ち運ぶ。学は、隣を歩く秋の横顔をたまに盗み見た。
図書室のカーペットの上に鍋を置くと、ちょうど信太が帰ってきた。両手をスリスリと擦り合わせて鍋の前に座る。
「飯!飯!」
「あの人たち、来るのかな」秋が廊下を気にする。
「来るって。10人分炊いたって言ってあるから」
信太が笑って白米をかき込む。傍らでは、三月と遥が並んで絵本を読んでいる。みなとと数豊は互いを背もたれにして、熱心に漫画を読みながらご飯を食べていた。数豊のほうが身体が大きいせいで、みなとが少し猫背になっている。
しばらくして、図書室の扉がきしみながら開いた。青年は古びた扇風機を担いでいた。
「あの、これ……」
「来てくださったんですね!」
信太がすかさず扇風機を受け取る。学も遅れて立ち上がり、挨拶をした。「どうぞ」
みんなで鍋を囲んだ。先に口を開いたのは、青年の方だった。
「僕はふみです。高2です」
女の子と男の子が続いた。
「なな、小4です」
「まさる、小6」
秋が笑顔で茶碗に米をよそって手渡した。
少し沈黙が流れたが、数豊とみなとが「まさる」を呼んで図書室の奥へ連れていき、すぐに打ち解けた。ななは三月たちを見て、もじもじしている。ふみがななの背中を優しく押した。「行ってきぃ」
信太は、少し張り詰めた様子で下を向いている学を見かねて、場を繋ぐように言った。
「ふみさんは、あの子たちに信頼されてるんですね」
「いえいえ……」
学がふみの顔色をうかがうように切り出す。
「明日はここを出ようと思ってるんですが……食料の方を、少し分けていただければ……」
「僕らもついて行こうと思って」
ふみはまるでささやくように言った。学は意表を突かれた顔をする。
「マジで?歓迎もんやな!」信太が笑って乾パンを貪る。
ふみの視線がゆっくりと学に移った。学は少し苦笑いを浮かべ、「ええ、歓迎しますよ」と答えた。その時、ふみが初めて小さく微笑んだ。
その夜、一行は準備をしつつ次の陣形を考えた。身体の小さい子は荷物持ちに。学、信太、ふみの3人が「さすまた」と「拳銃」を持ち、比較的軽量の荷物を背負って前後に分かれることになった。
翌朝、学を先頭に学校をたつ。ふみが麦わら帽子をかぶって最後尾についた。
淀川の堤防沿いを10人で歩く。やがて木造りの古い家が現れるようになってきた。幸い、ゾンビと遭遇する頻度は少しずつ減っている。右手の街並みも徐々に建物の背が低くなってきた。
「ここらで昼飯にしよう。秋、頼む」
秋は橋の下にみんなを集めて支度を始める。
「信太、数、監視頼む」
数豊は、食事の用意をするみなとたちを名残惜しそうに見つめてから、学の方へ走った。
ふみが学の肩を軽くつかむ。「学さん、監視手伝いますよ」
「いや、戦えるやつは交互に休ませる。次は頼む」
「わかりました」ふみは麦わら帽子を学に手渡した。
信太が橋の上を監視し、学が前方を、数豊が後方を見張る。橋の影から一歩出ると、チクチクとするような鬱陶しい暑さだった。
ふみが土手で薪を集めて秋に渡す。ふと見ると、三月が遥の靴擦れに絆創膏を貼ってやっていた。
ふみが声をかける。「大丈夫か?」
遥が補聴器のボタンをオンにした。淡い緑色の光が点滅する。「歩けるのか?」
「うん。みんなに遅れられへんもん」遥は足をさすって笑って答えた。
「そうか」ふみは、堤防の上で麦わら帽子をかぶり、鋭い目で周囲を警戒している学を見上げた。
いつものように秋が握り飯を渡しに行く。土手は公園になっており、みんな給水蛇口で水を飲んだり頭から浴びたりした。
「しゅっぱーつ、陣形!」
再び何分か歩くと、堤防道路の右側に線路が並走する区間に入った。ふみが信太の横に並ぶ。
「いっつもこんなに歩いてるんですか?」
「今日はちょっと長いかな」信太が苦笑した。
しばらく進むと駅が現れ、その右奥には大きなショッピングモールが見えた。秋がそれを見つめながら歩いている。
信太が学の横にやってきた。「前に街を抜けたと思ったら、また街やな」
「うん。でも、もうすぐ京都に入るから」
みんながモールやマンション群を見て黙り込む。信太が空気を変えるように叫んだ。
「みんな、もうすぐ京都に着くでー!このペースや!」
「いつもありがとう、信太」学が言うと、信太は嬉しそうに眉を上げてみせた。
その日は、淀川沿いの水道局に泊まることになった。
「信太、食料はあと何日持つ?」
「4日やな。切り詰めれば8日かな。それより水がなぁ。水道局やのになぁ」
「明日はちょっとだけ街に入って、公民館に泊まるわ。そこで自販機を壊そう」
水道局の建物の中、冷たいコンクリートの床に雑魚寝した。真夏の夜には、その冷たさがかえって悪くなかった。
次の日は昼まで歩いてから堤防を離れた。緑の丘がどんどんと遠ざかり、家々が木のようにそびえ立つ住宅街へと入っていく。最後尾のふみが、離れていく堤防を名残惜しそうに振り返った。
やがて、巨大な団地群の中に入っていく。
前方で学の声が響いた。「警戒態勢」
ふみが信太に近づく。「信太さん、10人もいるのに町中に入るのは危なくないですか?」
「水がな……」信太が肩をすくめる。
「そうですか。……ていうか、いっつも移動してますけど、僕たちはどこに向かって進んでるんですか?」
「滋賀だよ」
「どうしてですか」
「食料を自分たちで作れるようにせんと、あかんやろ?」
「そうですけど……」
ふみは立ち止まり、納得のいかない顔で最後尾に戻った。
堤防にいたときとは明らかに空気が違う。大きな団地の群れの中は、真っ昼間だというのに薄暗かった。駐車場では、ゾンビが車の中で干からびたまま下を向いていた。




