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36話(スキー場)

36話(スキー場)

 

 学の作業室に大地が飛び込んできた。

「学、テレビつけろ!」

 学は言われるがままにリモコンを操作し、テレビをつける。

「――政府は先月から、衣服不足解消のために京阪神から衣類を集めていました。しかし……」

 画面のカメラが切り替わり、ある施設を映し出した。

「今、政府の衣服消毒施設に来ています。これが、ここで消毒された服なのですが……」

 リポーターがぽっかりと穴の開いた服を掲げてみせた。

「ここで消毒される服の二割は、このように極めて質の低いものとなっています。地元の方に意見を聞いてみたいと思います。――消毒された服についてどう思われますか?」

 画面に、メガネを掛けた小太りの男が映し出される。

「京阪神から送られたものですよね。パンデミックのウイルスとかが心配で、とてもじゃないけど着られませんよ」 

 大地が苦々しく眉をひそめた。

「学、これって……」

「湖南放送局はこんなもんや。こんなん気にしてられへん」

「でもなぁ……」

 

 理奈と別れてから、四ヶ月が過ぎていた。

 

 広場に雪が舞い散っている。そこでは大勢の自衛隊員が整列し、背後には何台もの車両が控えていた。学が列の前に設置された台へと登る。

「今から、東京遠征を開始する。中央銀行の確保だけでなく、関東から北海道へとつながる街道の封鎖も我々の任務だ。関東地方は荒廃し、略奪や紛争が絶えない。決して気を抜くな」

「大隊、敬礼!」

 隊員たちの動きがピタリと揃い、乱れのない敬礼が捧げられた。

「隊長、頼みます」


 大和と学が役所へ戻る途中、駅前で榊原が演説をしているのが目に入った。

「この、衣服すら足りない非常時に、首相は血税を使って東京遠征を行っています! 今は衣服の供給を安定させることが最優先の時なのです。しかし! 彼はそれを省みることなく、京阪神から集めた質の悪い衣服を国民に着せようとしている。彼にとって国民の生活などどうでもいいのです! 彼はまたしても自衛隊を使って物事を進めている。好戦的な人間だと断言できます! 物事は、平和的に解決なさねばなりません!」

民衆の声が強まる。

「戦争反対!」

「三浦は辞めろ!」

 学と大和は、遠くからその姿を横目に通り過ぎた。

「大和、榊原と初めて会った時、平和ボケは無責任だとかほざいてたよな」

「そうやな、学。ハァ……けどな、自由信党の支持率が50%を切った。それが今の『国民の声』や」

 学は何も答えなかった。支持率の低下を聞いても、もはや何一つ心に沸き立つものはなかった。

「学、こっちはタンカーもピストルも用意できた。ニューギニアへの航路も問題ない」

「うん。ピストルは日本製かってわからんように細工しとけ。あそこは内戦状態やから気をつけろよ」

「お前の策は完璧や。あとは任せろ」

 大和はそう言って、「敦賀行」と書かれた列車に乗り込んでいった。


「――では、閣議を始めます」

 いつもの日常が過ぎていく。学の下まぶたは、ずっと痙攣けいれんするように震えていた。

 閣議が終わり、学の作業室にいつもの面々が集まる。そこへ大和の姿はなかった。

 大地が口を開く。

「学、大学再開の件、どこまで進んでる?」

「このままいけば、来年の4月には再開できる」

「支持率が下がってるんだ。成果として大々的に報道したらどうだ?」

「広報は他県の議員に任せてる」

「そうか。じゃあ、次の仕事の分担についてだが……」

 秋は、疲れ切った学の横顔をじっと見つめていた。自分の腕をそっとさすりながら、秋が口を開く。

「学、クリスマスくらい休んだら? 大地も花穗も数豊も、みんな限界だよ」

 学が顔を上げると、全員の目の下に、自分ほどではないものの深いクマが刻まれていた。

「そうか……じゃあ、そうしてくれ」

「学も休むんやで。わかった?」

 学はうつむいたまま、蚊の鳴くような声で答えた。

「……わかった」

 学の視線は、手元の腕時計の秒針へと向いていた。

 仕事が一段落し、仲間たちが部屋を出ていく中、秋だけがその場に残っていた。

「秋、どうしたん」

「クリスマスな……スキー場行かん? もうチケット買ってあるねん。温泉旅館の宿も取ってるし」

 学の心の中で、一人の男の影が邪魔をした。その男が誰なのか、自分でも分からなかった。

「俺は……まだ仕事しなあかん」

 秋は温かいお茶を注ぎ、学に手渡した。

「休むのも仕事のうちやろ。それに、チケットもう買っちゃってるんやで?」

 学は少しの間を置いて答えた。

「もったいないよな。わかった、行こう」

 

「学ー! こっち!」

 あたり一面の銀世界の中で、秋が大きく手を振っている。

「秋、お待たせ。去年より人が多いな」

「うん、はいこれ」

 秋からリフトのチケットを手渡される。学は久しぶりにひげを綺麗に剃っていた。だが、クマは消えなかった。

 二人でリフトに乗り込む。座席に腰掛けた二人の間には、まだ少しの隙間が空いていた。

「学、新雪やからふかふかやで」

「ほんまやな」

 それきり、少しの間沈黙が流れた。

 リフトがガタガタと規則的な音を立てて上昇していく。

「歯科の勉強、どうなん?」

「……ここに来てまで仕事の話するん?」

 学が気まずそうに秋の顔を盗み見た。

「……何を話していいかわからんくて。思い出話なんて、信太のことくらいやし……」

 秋は長い髪を握りしめ、リフトの下の滑り降りていく人たちを眺めた。秋は唇を噛み締めた。その髪型は、二人が初めて出会った時のままだった。

「学がずっと疲れてるように見えたから、少しでも休んでもらおうと思って誘ったんだよ」

「そう……ありがとう。……秋の、好きなものは何なん?」

 秋が小さく微笑んだ。

「栗、かな」

 

 頂上に着き、二人は滑り始めた。秋はスノーボードを悠々と操り、鮮やかに斜面を滑り降りていく。

 再びリフトに乗る。下から見上げれば、学と秋のスノーボードが綺麗な平行線を描いて並んでいた。

「学、今日は温泉旅館を予約してるから、このあと一緒に行こ」

「うん」

 一緒に滑っている間、学は無意識のうちに秋の姿を目で追っていた。昼は二人で山頂から琵琶湖を眺めながら、静かに食事をとった。

 気がつけば、太陽が地平線へと近づいている。リフトに腰掛ける二人の隙間は、時間の経過とともに、どんどん縮まっていった。

 リフトに座っている時、学のポケットで電話がせわしなく鳴り響いた。

「はい、もしもし」

 秋の耳に、受話器から漏れる焦燥した声が届く。

『東京遠征の件で少し問題が起こりまして……至急、戻ってきてください』

「今は……」

 学の視線が、雪の上へと落ちた。

「学?」

 秋は優しく声をかけた。

「俺は……」

 秋の瞳に、学のひどく弱々しい表情が映る。

 秋には、学がどうしてそんな顔をするのか、まだ分からなかった。ただ、彼が背負うものの重さだけが伝わってきた。

「学、行かないとだね」

「でも……」

「また一緒に行こう。 私、待ってるから」

 リフトが頂上についた。

 学は急ぎ足でリフトを降りる。

 そして秋は、少し前を颯爽と滑り降りていく学の背中を、必死に追いかけた。

 

 後ろから見る学の姿は、どこか遠く、どれだけ滑っても追いつけないような気がした。秋はウェアの隙間から吹き込んでくる冷たい風を、ただ肌に感じることしかできなかった。



 学は自衛隊の通信施設で、硬い椅子に座っている。

 隊員から手渡されたヘッドホンを耳に当てた。

「大和、成功したか?」

『ああ、成功した。これで石油が手に入るぞ』

「本州が石油の利権さえ手に入れれば、北海道はこれまでみたいに富をむさぼることはできなくなる。時間が経てば、向こうから合流を申し出てくるはずや」

『学、お前についてきて正解やったわ』

「大和、お疲れさま」

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