3話(出会い)
3話(出会い)
声のする方へ走った。
「学、こっち!」
とっさに振り向く。若い男が、今にも折れそうな棒切れでゾンビと格闘していた。その背後では、12歳くらいの女の子が腰を抜かして泣き叫んでいる。
「数、さすまたで押さえろ!」
数豊が突進し、ゾンビを民家の塀に圧着させた。すかさず学が包丁を突き刺す。放物線を描いて飛び散った返り血が、塀を汚した。血はオタマジャクシのように先端を膨らませながら、どろりと滴り落ちる。
ゾンビが首を精一杯に伸ばし、口を大きく開けた。
「カチッ、カチッ」
歯と歯が擦れ合う、不快な音が響く。
「数、もっと強く押さえろ!」
ゾンビが再び口を開けた瞬間だった。若い男が、やつの口に棒をへし折るように突っ込んだ。ゾンビの口からどす黒い血が垂れる。学がやつの首深くに包丁を突き立てると、ようやく動きが止まった。
「ハァ、ハァ……死ぬかと思った。……三月ちゃん、大丈夫か?」
男が荒い息を吐きながら声をかける。女の子――三月は、うつむいたまま身をすくめていた。
「ずっと目ぇ閉じとったんか。もう大丈夫やで」
男は三月の頭を優しく撫で、安心させるように微笑んだ。
学が額の汗を拭う。
「一旦、落ち着ける場所に移動しよう」
男の呼吸も次第に整ってきた。
「このすぐ近くに拠点があるねん……」
2人の様子を窺いながら、学が先を急かす。
「早く行こう」
男は三月をおんぶし、歩き始めた。学は周囲への警戒を怠らない。
「助かったわー、ほんまに」
男は学と同じくらいの背丈で、少し肌の焼けた青年だった。
「そこは安全な場所なん?」
「保証するって」
一分ほど歩くと、土壁の塀に囲まれた古風な寺が見えてきた。下から見上げても、立派な瓦屋根が周囲の民家より一際高くそびえ立っているのが分かる。門の横にある小さな潜り戸から、身を屈めて中に入った。改めて男の横顔を見ると、やはり自分たちと同年代のようだ。敷地内は、外観の厳かさに反して意外とこじんまりとしていた。
「学、一応、塀の中を一周確認してくるわ」
「数、頼む」
ひと息つき、本堂で話を始めた。
「改めて自己紹介しとくな。俺は信太。で、こっちが……」
「山、山田三月です……」
「俺は学。こっちは――」
「僕は数豊です」
「信太さんは何歳なんですか?」
「高校三年で17歳。そっちは?」
「大学一年で18歳」
「僕は中学一年で13歳です」
「私は、小学6年生……」
三月の声はまだ緊張で震えていた。
「ここに食料はあるん? 無かったら俺たちの拠点に来おへん? いっぱいあるから」
「ちょっとしかなくて……情報を集めるために歩いてたら、さっき襲われてもうて」
「なら、日が暮れる前に移動しよう。すぐ近くの学校やから」
三月が不安そうに信太の服の裾をつまんだ。
「三月ちゃん、大丈夫やで! もしもの時は、お兄ちゃんが元陸上部の筋肉で背負ったるから」
信太が頬にエクボを作って笑う。その様子を見て、数豊が学に視線を送った。
「行こう」
日が沈みかける街を、4人は小走りで駆け抜ける。機能していない街灯は、ただの鉄の棒として佇んでいるだけだった。正門にはゾンビが徘徊していたため、裏門の柵をよじ登って敷地内へ侵入する。
「早く、手を貸して」
倉庫の中が蒸し暑くなることを見越して、学たちはある程度の食料を保健室へと運び込んだ。
「僕は飯の用意してきます。学、手伝って」
「ああ」
職員室のコンロを使い、防災米を炊く。数豊が周囲を警戒しながら口を開いた。
「あの女の子のことだけど……どうしても移動が遅くなる」
「嫌でも強くなるよ。男手も増えたんや、気ぃ遣ってやって」
「うん……分かった」
4人で温かい米と魚の缶詰を囲む。信太が拳を握りしめて言った。
「あぁー、塩の味が懐かしいわ!えぇ、数豊くん、魚残すん? もったいないって」
「あげますよ」
「信太って、なんか明るいよな」
学の言葉に、信太が眉を下げた。「そう? もしかして、うるさい?」
学は微笑みながら首を振った。
「全然。賑やかになって良い」
その夜、信太と三月は保健室のベッドに、学と数豊はソファに横になった。
数豊が静かに囁く。「一旦は落ち着いたな」
「うん。明日は工具店に行こう。学校の防衛を固めたい」
「あの子も連れて行くん?」
「手を貸してやってくれ」
「……ふぅ」
数豊は曖昧に息を吐いた。
そのやり取りを、ベッドの上の信太は片目を開けて聞いていた。彼は気づかれないよう静かにあくびを噛み殺した。
翌朝、4人は20分ほど歩いて工具店を目指した。移動時のフォーメーションもあらかじめ決めてある。
先鋒(学): ピストルと包丁を持ち、前方を警戒。
右翼(数豊): さすまたを持ち、右側を警戒。
中央(三月): 全員の荷物が入ったリュックを背負い、左側を見る。
後ろ(信太): さすまたとナイフを構え、後方をカバー。
「若干狭い道に入るぞ。索敵警戒」
学が低く声を出す。
「右前方、一体。約50メートル」
数豊が報告する。
「小走りで一気に抜けるぞ」
都会の道路には、衝突した車が無残に横たわり、車両での移動は不可能だった。時折、首輪をつけたままの犬や猫が路地を闊歩している。人懐っこく寄ってくることもあったが、絶対に触らないよう徹底した。
「三月さん、疲れてないですか?」
「うん、まだ歩ける」
敬語で気遣う数豊の姿を、信太がこっそり横目で見て、小さく笑った。
無事に工具店へと到着する。信太を見張りに残し、3人で店内に滑り込んだ。釘、木板、金槌などを手当たり次第にリュックに詰め込み、帰路につく。
(さっきの狭い道は通りたくないな……)
「ここから迂回する」
学の指示で大通りへ出た。
「右側が見えにくい。注意して進め」
少し歩くと、巨大な総合病院が見えてきた。
「信太……あれ、見て……」
三月が震える声で指をさした。全員が、足を止めずにはいられなかった。
病院の駐車場。そこに広がっていたのは、目を疑うような光景だった。
何重にも重なり合って倒れた、ゾンビの屍の山。
「――ヒタ」
死体は1メートルほどの高さまで積み上がっている。だが、本当に恐ろしいのはその先だった。積み重なったゾンビたちが、互いの肉を貪り合っているのだ。
「――ヒタ」
足がなかろうが、手がなかろうが、執念深く生肉を咀嚼し続けている。最後の一人になるまで貪り合い、少しでも長く生きながらえようとする。
「――ヒタ、ヒタ」
「緊急事態宣言が出た時、病院に人が押し寄せてあんなことになったんやな……」
「三月ちゃん、見んほうがいい」
信太が遮るが、全員がそのおぞましい光景に目を奪われていた。
「――ヒタヒタヒタヒタ!」
突如、激しい裸足の足音が近づいてきた。
「三月、後ろや!」
背後から飛び出してきた裸足の女ゾンビが、三月のリュックサックに猛然とかみついた。学はとっさに身体ごと体当たりをかます。女が地面に転倒し、すぐに起き上がろうとする。すかさず信太と数豊がさすまたで地面に押さえつけた。学は包丁を握り直し、女の首筋へ何度も、何度も突き刺した。
三月はあまりの恐怖に凍りつき、呼吸を忘れたように立ち尽くしていた。
対照的に、学は冷静だった。
「三人いれば、ゾンビ一体くらいなら何とかなるな。……でも、リュックに入ってた昼飯はもう食えへん」
信太が三月の肩を抱き、宥めるように言った。
「いっつも非常食ばっかやと飽きるし、今日はどっかコンビニでも行こや」
数豊が周囲を見渡す。「行くなら早く行きましょう」
10分ほど歩き、一軒のコンビニを見つけた。
「おい、これ見てみ」
信太が指さした先――入り口のガラス扉に、細い木板が一枚だけ打ち付けられていた。
中に入ると、棚にはまだ商品が残っていた。
「カップラーメンあるやん!」信太が嬉しそうにリュックへ詰める。
「信太、トイレ行ってくる」
三月が声をかけ、店の奥へと向かった。
その時、店外の暗がりから、誰かの視線が学たちをじっと射すくめていた。
『……仲間を集めろ』
だが、学たちはその気配に全く気づいていなかった。
学が索敵のために一歩足を店から出した、その時だった。
「ギギギギ、ギギギ……」
鉄パイプや金属バットをアスファルトに引きずる不快な音が響く。路地の奥から、6人の若い男たちが無言でぞろぞろと近づいてきた。
学は直感的に危険を察知し、一歩後退する。腰の後ろに隠していたピストルを、見えないようズボンの奥へと押し込んだ。
「こ、こんにちは……」
「誰のシマで勝手に食料取ってんじゃ」
野太い声の大男が、金属バットを肩に担ぎ直した。
異変を察し、店内から信太と数豊が飛び出してくる。
「みんな集まれ!……シマって、どういうことですか」学が冷静を装って尋ねる。
「ここはオレらのシマや。さっさと置いて出ていけ」
大男が顎で指図すると、背後の男たちが凄んだ。
「おい、中確認してこい」
ぞろぞろと2人の男がコンビニ内へ入っていく。
「ちょっと待ってください、中は――」
「おい! 班長、奥に女の子がおったぞ!」
男たちが三月の腕を乱暴に掴み、引きずり出してきた。
学の目が一瞬で据わる。
「その子を離せ」
大男がすかさず睨み返してきた。
「だったら、その食料を全部置いていけ」
学は仲間たちに短く指示を出した。
「……食料を渡そう」
すると、横にいた小柄な男が甲高い声でそそのかした。
「なぁ班長、この娘、ボスに持っていかへん?」
大男は1秒ほど沈黙し、今にも泣き出しそうな三月の髪を掴んで、その顔を至近距離で凝視した。
「……いくつや」
三月が声を震わせる。「……12、です」
学の手が、自然と腰の後ろへ回る。
信太がさすまたを両手で強く握り締め、一歩前に出た。「その子を返せよ」
大男が信太を冷たく見つめる。他の男たちも一斉に鉄パイプを構えた。ピリついた空気が流れた。
数秒の緊迫した沈黙。
大男は、不意に大きなため息をついた。
「……若すぎるわ。おい、離せ」
学がすかさず畳みかける。
「食料は全部置いていきますから」
大男は学を鋭く睨みつけた。
「この子は返す。……さっさと失せろ」
命からがら食料を差し出し、4人は学校への帰路についた。三月は一滴も涙を流さなかった。帰り道、誰一人として言葉を発する者はいなかった。
学校に戻り、備蓄で食事の用意をする。
ようやく信太が口を開き、三月の頭を優しく撫でた。
「三月ちゃん、泣かんくて偉かったなぁ」
その言葉を聞いた数豊が、学に厳しい視線を送る。学もその意図に気づいていた。
「信太、三月ちゃんって呼ぶのもうやめろ」学が静かに言った。「もう『三月』や」
数豊も、三月も、気まずそうに視線をそらした。三月は黙々とご飯を口に運んでいる。
「……ほんまやな」
信太は真剣な表情で学の言葉を受け止めた。
数豊が静かに口を開く。
「アイツらのことですけど……これから、ああいう奴らが増えますよ。敵はゾンビだけじゃない」
学はうつむいたまま、その言葉を噛み締めていた。
信太がみんなの暗い顔を見渡し、無理に声を張る。
「ま、まぁ俺らにはピストルがあるし、死ぬことはないって! なぁ? ほら、飯食おうや」
焚き火の淡い光に照らされながら、学がぽつりぽつりと話し始めた。
「……俺が甘かった。視野が狭すぎた」
右手で頭を強く抱え込む。数豊がそっと目を伏せ、学の肩に手を添えた。
「学、頼りにしてるから」
信太もすかさず声をかける。
「学一人の責任じゃない」
学は大きく深呼吸をし、顔を上げた。
「いつか、都市部の食料は完全に尽きる。そうなったら、この学校で引き籠もって暮らすなんて不可能や」
そう言うと、工具店から苦労して持ち帰ったはずの木板を、無造作に焚き火の中へ投げ入れた。パチパチと音を立てて炎が燃え上がる。
「食料も足りなくなる。身の安全も……もっとちゃんと計画するべきだった。もっと、ちゃんと……」
赤々と燃える炎を、学はただじっと見つめていた。信太が学の肩にそっと手を置く。
「学は一人じゃない。もっと俺たちを頼れよ」
「……ありがとうな」
学は小さく微笑み、自分の拳を強く握りしめた。
「これからの計画を言う。信太、数、三月。俺たちは『田舎』に移動する。自分たちで食料を生産できるようにならなあかん」
全員がうつむく中、信太だけがみんなの顔を見回した。
「こういう時は、こうすんねん!」
信太が中央にパッと手を出した。
「ほら、みんなも!」
促されるように、全員がその手に重ねていく。
「田舎に行くぞー! えいえい、おーー!」
「……おー!」
火を囲みながら、みんなの顔にようやくクスクスと笑みが戻った。
その夜、学は一人、スマホの明かりを頼りにノートへ大まかなルートマップを書き写していた。
翌朝から、大移動のための準備が始まった。
「信太、食料と水の割り当てと管理を頼む」
「おう、任せろ!」
「数は武器の点検。それから理科室にあるガスバーナーやマッチ、使えそうな備品を全部かき集めてくれ」
「分かりました」
「三月は倉庫から手回しラジオを回収。それと、校舎の上階から周囲にゾンビがいないか見張りをお願い」
「うん、やってみる!」
信太がパンッと勢いよく手を叩いた。
「俺らで絶対、生き残るぞ!」
「おー!」
準備は万全だった。数豊と三月のリュックにはマッチや保存食が隙間なく詰め込まれ、さすまたや包丁は丁寧に研ぎ澄まされた。
夕方、4人は出発前最後の食事をとる。
「いよいよ明日やな」
「ルートはどうする?」数豊が尋ねる。
学はスマホの地図画面を広げ、指でなぞった。
「まずは滋賀へ抜ける。滋賀なら琵琶湖があるから水には困らん。水田も豊富。
今の俺たちの位置は守口市。ここからずっと北東に進む。大阪を出て京都に入る。都市部を極力避けながら滋賀を目指す。この辺りは障害物が多すぎて車は使われへん。けど田舎に近づけば車も使えるはずや。いつかは車に乗ろう」
「よし!」
「明日はまず、隣の寝屋川市に入るぞ」
「みんなで絶対、生き残ろうな」
互いの顔を見合わせ、その夜は早めに床に就いた。




