17話(親友)
17話(親友)
学校の前にある学の家。玄関先では、芽を出したばかりの植木鉢が朝の光を浴びていた。
――バタン!
静寂を破り、玄関の扉が勢いよく開いた。学がトランシーバーを片手に飛び出してくる。庭にあるバイクのキックペダルを蹴り下ろし、エンジンを轟かせた。
トランシーバーから、ノイズ混じりの信太の声が響く。
『学! 聞こえてるな、早く来い!』
田んぼの中の一本道を、バイクが猛スピードで駆け抜ける。
土手の線路の上に、信太が伏せていた。バイクを乗り捨て、学がその隣に滑り込む。
「信太、状況は?」
信太が何も言わずに双眼鏡を手渡した。
「2時の方向」
レンズの向こう、首に黒いスカーフを巻いた男たちが映し出された。
「……右のやつ見ろ」
「え……?」
学の背筋に冷たいものが走った。男たちは、小銃を携えていた。
「何丁ある……?」
「学、話しかけてみるか?」
「いや……あのスカーフ、怪しい。自分たちの仲間かどうかを識別するためにつけてるんかも……」
「あいつらには、仲間か判断する必要があるってことか」
「あぁ。危ないやつらかもな。信太、今すぐ近江今津に連絡してくれ。それから古賀の仲間にも警戒態勢をとらせて」
「分かった!」
学は信太にバイクのキーを渡し、今津の集団への伝達へと走らせた。
古賀に戻った学は、下古賀・上古賀の住人を緊急で全員集めた。
「今日から警戒態勢をとる。夜間も交代で見張りをつける。明日、俺が直接話に行く。銃はいつでも使えるように準備しておいて」
「そんなに危ない人たちなの……?」
怯える子どもたちに、学は努めて冷静に返した。
「念のためやから……」
子どもたちが、固唾をのんで学を見つめる。
「役所近くの食料も石油も、俺たちが回収している。明日、あいつらは近江今津か、あるいはここに奪いに来るかもしれん」
(近江今津よりもこの古賀のほうがスカーフの男たちがいる場所から近い。やつらがこっちに来る可能性のほうが高いか……)
その夜、古賀の全世帯はカーテンを完全に締め切り、一切の明かりを消して夜を過ごした。
あくる日の早朝。信太と学は、水路に沿って町へと向かって歩いていた。信太の肩には、大きな白旗が担がれている。
「学、理奈とは最近どうなん?」
緊迫した空気を和らげるように、信太が訊ねた。
「……意見が合わんこともあるけど、ボチボチやってるよ」
「確かに、お前ら方針のことでよくぶつかるもんな」
「まぁでも、理奈はみんなのことを考えてやから」
「ハハ、分かり合ってるんや?」
「どうなんやろな……。自分でもよくわからんよ」
その時、遠くの茂みの中から、黒いスカーフを巻いた二人の男が学たちを視界に捉えていた。
「おい、あいつら、昨日の夜のやつらやろ?」
一人の男が、冷酷な笑みを浮かべて銃の撃鉄を引いて撃つ用意をした。
「おい、やめろ! 白旗を掲げてるやろ。俺たちの任務は食料の調達やぞ?」
「知るかよ。こっちは3人やられてんやぞ。そのもっと前には京都で2人やられてる」
銃口がゆっくりと持ち上がり、学と信太の胸元に照準が合わさる。
「おい、マジでやめろって。ボスに報告が先――」
男の目が、ギラリと狂気に光った。
何も知らない信太が、歩きながら笑った。
「秋の良いところはなぁ、――」
――パーン!
鋭い銃声が、朝の静寂を切り裂いた。
「グハッ……!」
信太の身体が、不自然に折れ曲がって地面に倒れ込んだ。
「何や!? 銃声――っ!?」
学がとっさに後退りする。遠くの茂みに、二人の男の影が見えた。銃を撃った男は、おどけたように一瞬立ち尽くしたが、もう一人の男がその銃を奪い取って頭を殴りつけた。
「……おい、ずらかるぞ!」
男たちはそのまま茂みの奥へと走り去っていった。
「信太……! おい、信太!」
「が、は……く……っ」
信太の口から、肺から空気が漏れるようなヒューヒューという音が聞こえる。
学は倒れた信太の服を掴み、遮蔽物になる水路の中へと引きずり込んだ。
「おい、信太! 起きろ!」
信太の脇腹から、止めどなく鮮血が溢れ出し、地面を赤く染めていく。学は必死に両手で傷口を強く押さえたが、指の隙間から温かい血が溢れてくる。冷や汗が全身から噴き出した。
「信太、しっかりしろ!」
白旗を力任せに破り、傷口にきつく巻き付ける。
「がく……」
「信太、帰るぞ! 一緒に帰るんや!」
「……秋の、結婚式は……着物が、いいなぁ……」
「喋るな! 」
学の額から、大粒の汗がボタボタと信太の顔に落ちる。学は信太の身体を強引に背負い、水路の中をよろめきながら歩き出した。
(帰るんや。絶対に連れて帰る)
「学……お前、一人でも……できるよな……」
背中にかかる体重が、一歩ごとに重くなっていく。学の腰を伝った血が、水路の水面へと滴り落ちていく。
「……日本を、また、元の国に……戻すんや……」
「……お前も一緒にやろ…… 信太!」
「一人でも、できるよ。……みんなを、支えて、やってな……」
「帰るんやろ!? 秋のところに!」
学の視界が涙で激しく歪む。背中のぬくもりが、ゆっくりと冷たくなっていくのが分かった。
「……俺のこと、は……忘れて、って……言うたって、くれよ……」
「……」
「秋は……一途、やから……な……」
信太は、最後に小さく微笑んだ。
「日本に戻すんや……学」
「帰るぞ、信太。おい、もうすぐやから……信太?」
背中からの声が、途絶えた。
学は一歩、また一歩と泥に足をめり込ませながら進んだが、ついに限界を迎え、水路の草が生い茂る斜面に信太を下ろした。
「信太……? おい、目ぇあけろ……」
信太は、ただ気持ちよさそうに眠っているかのように、静かに目を閉じていた。
学の目から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ちた。
「しんたぁぁぁーーーーーーっ!!」
絶叫が、無人の荒野に響き渡る。
空は無頓着にも、雲一つない快晴だった。
「お前が、お前がおらんと、みんな俺のこと分かってくれへん……頼むからおってくれよ、信太……!」
水路の流れは、どこまでも赤く染まっていた。
古賀の入り口。見張りに立っていた理奈が、遠くからふらふらと歩いてくる学の姿を見つけた。
村に入った瞬間、学は力尽き、道路に崩れ落ちた。その目は涙を流すことすら忘れ、完全に瞳孔が開いた状態で、背負ってきた信太を見つめ続けている。
理奈が悲鳴をこらえながら駆け寄り、信太の首筋に触れた。
「学……嘘でしょ? 何があったん!?」
「……」
「信太――!?」
奥から秋が血相を変えて走ってきた。
「秋ちゃん、来ちゃダメ!」
理奈の制止を振り切り、秋は泣き叫びながら冷たくなった信太の身体を抱きしめた。
「信太! 信太、…… 起きてや!」
騒ぎを聞きつけ、集落の人が次々と集まってくる。学は赤く腫れ上がった目で、ただ地面を見つめて座り込んでいた。
そこへ、息を切らせた大和が古賀へと走ってきた。肩で荒い息をしながら、学の傍らでぽつりぽつりと話し出す。
「……あいつらが昨夜、俺たちのところに襲撃してきた。一人負傷したけど、なんとか3人返り討ちにした……」
数豊が溢れる涙を袖で拭いながら言った。
「3人やったって……、あなたたちはピストルしか持ってなかったんじゃないですか!?」
「……え? 今津には陸上自衛隊の駐屯地がある。知らんかったんか?」
その言葉に、三月が震える手でスマホを取り出し、地図を開いた。
「ある……『今津演習場』と饗庭野基地が重なってて、画面から見えてなかった……ごめん、私のせい……私のせいで……」
学は、かつて三月に基地の有無を調べさせた時の記憶が脳裏をよぎった。
「……三月のせいじゃない」
学は深く頭を抱え込んだ。大和が言葉を続ける。
「こっちは電力を復旧できてないから、スマホも無線も使えなかった。だから俺が朝早くここへ伝えに来た。……あの黒スカーフの奴らは、都会にいた頃から俺たちと小競り合いをしてた相手や。今津に来た時、俺たちと分かったから、狙って撃ってきたんやと思う」
学の目が、ピクリと動いた。ゆっくりと顔を上げ、大和の方を向いた。
「……なんで、最初からあいつらの存在を言わなかった?」
「京都で争ってた時、あいつらは大阪方面へ逃げたから……。ここまでくるとは思わんかった」
そのやり取りを見ていた理奈が、学を凝視した。
「学! そんなこと……今津の人を責めるときじゃないでしょ!」
学が理奈を猛烈な勢いで睨み返す。
「――はめられたんだよ。医学部のくせにそんなことも分からんのか!?」
「どういうこと……?」
「俺たちは『高島市の入り口の封鎖』を民主主義の多数決で決めようとした。けど、今津の奴らは俺たちと合流したら、自分たちの意見が通らなくなって封鎖ができなくなる。だから合流を渋った。そして、古賀は今津よりも京阪神に近い位置にある。あいつらが攻めてくれば、真っ先に狙われるのは古賀や。俺たちが襲撃されれば、危機感から『封鎖案』が通る。大和たちは、俺たちが襲われるのを、安全な奥地で待ってたんだよ。自分たちの因縁の相手が近くにいることを、最初から知っててな! そうやろ、大和!」
学の刃のような視線が大和を射抜く。大和は顔を強張らせた。
「……奇襲されて初めてあいつらだと知った」
――パチンッ!
乾いた音が響いた。
秋が、全力で学の頬をひっぱたいた。
「……信太の分。……あなたが、みんなを引っ張っていくんでしょ……? 大和さんは……祭りの時、なんとか古賀と合流できるようにって、裏で仲間を説得してくれてたよ……!」
秋の言葉に、学はハッと目を見開いた。
視線の先、横たわる信太の手首に、見覚えのある腕時計が光っている。信太と過ごしたこれまでの記憶が、濁流のように脳裏を駆け巡った。
学の瞳に、激しい感情の光が戻る。堪えていた涙が、ボロボロと溢れ出して地面を濡らした。
「……信太が、結婚式は着物がいいって……」
学の声が震える。
「秋は一途やから……自分のことは忘れろって信太が言ってた……。でも、そんなこと言っていいんか、俺、分からんくて……ずっと、分からんくて……」
学は声を上げて泣いた。
どれほどの時間が経っただろうか。学は乱暴に涙を拭い、立ち上がった。
「……あいつらを、この土地から追い出そう。どんな手を使ってでも」
学の右手には、信太から受け継いだ腕時計が、静かに時を刻みながら鈍く光っていた。




