10話(喪失と出会い)
10話(喪失と出会い)
学が信太の腕時計に目をやる。
「もう15時か。今日はあの学校に泊まろう」
適当な場所を探しながら走ると、学校の校舎が見えてきた。バスを正門のすぐ前に停める。
遥が窓の外をじっと見つめていた。その視線の先には、小さな電気屋の看板があり、彼女はそれを目で追っていた。
学は信太と数豊に、いつものごとく防災倉庫の食料をすべてバスに運び込むよう頼んだ。この日は体育館に寝泊まりすることにする。
体育館のコンセントにプラグを差し込んでみたが、やはり電気は流れていなかった。学は三月に手回し発電機能付きのラジオとスマホを渡し、充電を頼み込んだ。
電気が使えないことに肩をすくめる一同を、遥が静かに見渡す。
「もう、どこも電気残ってへんなぁ……」
学は一人、学校の目の前にあるコンビニへと向かった。その姿を、遥が学校の柵の間から一人きりで見つめていた。
コンビニのガラス扉は何故か激しく割られていた。警戒しながら中に入ったが、棚にある缶詰や水は一切合切なくなっていた。
(誰かが先に来て、持ち去ったのか……?)
学校に戻った学は、すぐに信太と数豊を呼び出した。
「この近くにブックオフがある。行こう」
数豊が外に停まったバスに目をやりながら言った。
「バスはもう食料と物資でパンパンやぞ?」
「新しい車を調達する」
3人で街へ繰り出し、鍵のついたまま放置されていた軽トラックを確保した。荷台に数豊が乗り込み、ブックオフを目指す。
手慣れた手つきで店内を物色し、使えそうな灯油タンクや衣服、食器類を次々とかっさらった。軽トラの荷台に荷物を積み終えた後、学はノートを片手に2人を呼び止めた。
「どこ行くんや?」
「ちょっと確認したい場所がある」
少し歩くと、目の前に巨大な橋が姿を現した。学がノートの記述と照らし合わせる。
「琵琶湖大橋や。湖の西と東を繋いでる」
橋の向こうからは、息をのむほど綺麗な夕焼けが広がっていた。琵琶湖の水面が、真っ赤に染まっていく。
「カタカタ、カタカタ――」
荷台に積んだ食器の音を響かせながら、軽トラで学校への道を急ぐ。助手席の信太が、さっきからニヤニヤと笑っていた。
「どうしたん」
「いや、秋が『新しい服が欲しい』って言ってたからさ。ちょうどよかったなと思って」
「そっか、よかったな」
学は微笑んで答えた。
フロントガラス越しに、学校の柵が見えてくる。よく見ると、秋が柵にしがみつくようにして、何かを叫んでいた。その顔つきは恐怖にこわばっている。
急いで正門に軽トラを滑り込ませた。
「どうした! 何があった!」
車を飛び降りた学に、秋が涙をボロボロとこぼしながら縋り付いた。
「学……遥ちゃんが、いないの……!」
秋の瞳が激しく揺れている。学はその場に凍りつき、片手で頭を強く押さえた。思考が真っ白になる。すかさず信太が学の肩を強く掴んだ。
「学! 指示を出せ!」
「あ、あぁ……そうか。みなとに校舎の中を探させろ。信太は秋と2人で学校のあっちを――」
学が動かない指で方向を指し示す。
「俺と数豊はこっちを探す。他の奴らは絶対に体育館から出すな!」
全員が一斉に走り出した。
「ハァ、ハァ……!」
「遥ーーっ!」
必死に声を張り上げる。
「遥ーーっ!!」
がむしゃらに走り続けていると、昼間に見かけたあの小さな電気屋が現れた。
先を走っていた数豊が、唐突に足を止めた。
「……学、あれ」
視線の先。やせ細って枯れ木のようになったゾンビと、遥が地面に倒れ込んだまま、必死に格闘していた。
学は引き寄せられるように、ゆっくりと腰の拳銃を引き抜いた。数豊が驚愕して目を見開く。
「ゼェ、ゼェ……」と、学の荒い呼吸だけが響く。
「待って、学! 拳銃は……」
数豊が学の腕を止めようと手を伸ばした、その瞬間。
――パーン!!!
甲高い破裂音が轟いた。耳鳴りだけが鼓膜を支配する。
脳天を正確に撃ち抜かれたゾンビは、目を見開いたまま遥の上へ崩れ落ち、動かなくなった。
遥は声をあげて泣きながら、電気屋の壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。
痛いほどの沈黙が流れた後、学がゆっくりと、感情の消えた声で口を開いた。
「……帰ろう」
遥は拒むことなく、ゆっくりと立ち上がった。そして数豊と学の後ろを、少し距離を置いたまま、泣きながらついてきた。
数豊が学の顔を見上げる。学の目は狂気的に見開かれたままで、呼吸は激しく乱れていた。
(何でこうなった……? 体育館に残りのみんなはおるよな……?)
「はぁ、はぁ、はぁ……」
街路樹の並ぶ道を歩きながら、学の頭の中で血がぐるぐると渦巻く。
突然、後ろを歩いていた遥が足を止めた。
「学……数豊……」
2人が振り返る。
遥は震える手で、右肩の服をゆっくりとめくった。
そこには、赤黒い血がにじんだ、生々しい人間の歯型が刻まれていた。
とっさに数豊がさすまたを構える。学は頭を狂ったように抱え込み、顔を歪めた。
その時、背後から急な足音が近づいてきた。
「学!」
信太の声だった。信太は学の肩を押し退けるようにして前に出た。後ろから遅れて追いついた秋が、遥の肩を見て息を呑む。
「おい、どうなってんだよ学……!」
信太が遥に一歩近づこうとする。数豊が下を向いたまま、信太の服の裾を掴んだ。
「信太……あかん」
秋はその場にへたり込み、激しく震え始めた。
信太が学を見る。学は過呼吸を起こし、まともに呼吸すらできていない。信太は唇を震わせ、かろうじて声を絞り出した。
「遥……その傷、どうしたんや」
遥の目から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。
「みんなが……困らんように、発電機を、探しに行ってな……。電気屋さんなら、発電機があると思って……探しに、行って……」
遥の耳にある補聴器のインジケーターランプは、消灯したままだった。電池が切れていたのだ。
「ゴクリ」と、信太が痛切に息を呑み、自分の拳を血がにじるほど強く握りしめた。
「遥……必ず助けに来る。俺らが絶対に薬を作って、迎えに来るから……!」
信太が電気屋の重いドアを開け放った。遥は手で涙を拭いながら、一人、暗い店内の奥へと入っていく。
そして、内側からガラス窓にそっと手を当てた。
秋が駆け寄り、ガラス越しに手を重ねて泣き叫んだ。
「絶対助けに来るから! 遥が採ってくれたトマトの種、育てるから……!」
遥はガラスの向こうで、優しく頷いた。
「うち、みんなのことずっと見てるから……応援してるから」
信太が秋の肩を抱き寄せた。数豊は涙をこらえるように、ただ下を向いていた。
学がゆっくりと近寄り、ガラスに手を触れる。
「ごめんな……ごめん……」
信太は何も言わず、値札のついたままの作業帽子を深くかぶり直した。
「学、みんな、行くぞ」
帽子を深くかぶり込んでいて、信太の目は見えなかった。学は信太を追い抜くようにして、一人でガツガツと歩き出し、道端に転がっていた空き缶を乱暴に蹴飛ばした。秋は信太の身体にすがりつき、数豊は一番後ろを、さすまたを引きずるようにしてトボトボと歩いた。
学校に到着すると、学は荒々しくドアを蹴り開けた。
――バン!!!
体育館に凄まじい衝撃音が響き渡る。
三月、なな、みなとの3人は、これまで見たこともない学の凄惨な表情に恐怖し、身を硬くした。
学が三月に、低く冷え切った声をぶつける。
「スマホ、充電できてるよな」
「……うん。ちょっとだけ……」
「滋賀にある、自衛隊の基地を探せ」
学はそれ以上何も言わず、床に座り込んで黙々と拳銃の手入れを始めた。ななとみなとが、怯えた目でその様子を横目で見つめている。
遅れて入ってきた信太たちの口から事情を聞き、ななたちは絶句した。
しばらくして、学が再び三月に冷酷なトーンで問いかける。
「……出たか?」
三月は声を小さく震わせながら答えた。
「……高島市に、饗庭野分屯基地っていう、航空自衛隊の基地があるみたい……」
「……」
学は何も答えず、立ち上がって外へ出た。校庭の花壇の縁に腰掛け、頭を抱えてうつむく。
少しして、信太が体育館から出てきて、学の隣に無言で腰掛けた。秋や他の皆が、遠くからその背中を不安そうに見つめている。
「学。明日はどう動く?」
「……」
「学!」
信太がたまらず学の胸ぐらを掴み上げた。その瞬間、学の目からボロボロと涙が溢れ出した。
「俺のせいや……俺のせいでこうなった! 俺が補聴器の充電を抜いたから、遥は音が聞こえんくて……」
信太は崩れ落ちそうな学の顔を見つめ、顔を歪めて乱暴に目をこすった。
「精一杯やったのに……ずっと、全力でやってきたのに……」
「お前のせいじゃないわ……」
信太が学の胸ぐらを離した。
「お前はよくやったよ……」
作業帽子で隠された信太の目からも、大粒の涙がポロポロと地面に落ちた。
「ごめんな、学。お前のこと、支えるつもりでおったけど……俺は力不足で……」
ただ二人で泣くしかできなかった。
「俺は、大阪で……」
学の目から、また一筋の涙が伝う。
「殺すつもりなんか、なかったんや……」
その夜は、2人で夜空の下、地べたに座り込んで過去を語り合った。
「父親への最後の言葉があれやったから……。本当は、ありがとうって言いたかった」
やがて気持ちを落ち着かせ、2人は体育館に戻ってみんなの前に立った。
「さっきは感情的になって怒鳴ってごめん」
学の言葉に、みんなの強張っていた表情が少しだけ和らいだ。
翌朝。学がバスを、秋が軽トラを運転することになった。
2台の車両は連なってバイパスへと登る。バイパスには遮る車がほとんどなく、快適に速度を上げることができた。
右手に雄大な琵琶湖が広がり、その奥には対岸の山々が連なっている。雲一つない、透き通った快晴だった。
しばらく走ったところで、学が突然バイパスを降りた。道路は緩やかな坂となり、琵琶湖のすぐそばへと続いている。
助手席の信太がマップを確認しながら言った。
「もう降りるん? 高島市はもう目と鼻の先やで?」
学が小さく笑って答えた。
「ちょっと、考えてることがあってな」
しばらく進むと、湖西線の線路と駅が見えてきた。学が指をさす。
「あれが近江舞子駅」
「あそこに何かあるんか?」
「ハワイビーチ。淡水やけどな」
学と信太は、この旅が始まって以来の、ニヤニヤとした笑みを交わし合った。
琵琶湖のすぐ脇を走る道路を進むと、2階建ての小綺麗なホテルが現れた。
「今日はここに泊まるで」
信太の腕時計を見ると、まだ午前9時だった。
ホテルの敷地に車を停め、目の前に広がるビーチへと向かう。浜辺には美しい松の木が植えられており、白い砂が足元を心地よく包んだ。
2人ずつ見張り役を立て、交代でビーチで遊ぶことにした。学はノートを片手に、周囲の地形を歩き回って確認する。
(この辺りは田んぼがちょっと少ないな……拠点を構えるなら、やっぱり高島市の方がいいか)
その時――。
「プップー!」
突如として静寂を破るクラクションの音が響いた。
心臓が跳ね上がり、学はとっさに近くの電柱の陰に身を隠した。恐る恐る道路の方を伺うと、1台の赤いワゴン車がスピードを落として近づいてくる。
ウィーン、と運転席の窓が下がった。
「生存者、ですよね?」
ハンドルを握っていたのは、髪をポニーテールに結わえた、学と同じくらいの年齢の女性だった。驚くほど肌が白く、美しい女性だ。
車内を覗き込むと、中学生くらいの子や小学生くらいの子どもたちが乗っており、合計4人。誰もゾンビの世界に怯えているような表情はしていなかった。
学はあまりの衝撃にぽかんとしたまま答えた。
「あ、はい、生きてますけど……。どこかへ行く途中なんですか?」
女性が学をまっすぐ見つめる。
「仲間になりませんか?」
学の脳裏に思考が巡る。
(平気で男を仲間に誘う?この女性がリーダーなら、これまで他者と争ったことがないんか……?)
「俺、一人じゃないんで……こっちに来てください。みんなに紹介します」
(大丈夫だよな……悪い人たちじゃないはずや)
学は彼女たちをホテルの敷地へと誘導した。
ビーチで遊んでいたメンバーは、一斉に目を丸くした。信太が慌てて駆け寄ってくる。
「学、誰やその人たち」
「今、道で会った。この女性がリーダーみたいやし、大丈夫やと思う」
赤いワゴン車から4人が降りてくる。学が声を張り上げた。
「全員集合!」
ポニーテールの女性が、一歩前に出た。背が高く、すらりとした体型をしている。学はすかさず前に立って、手を出した。
女性が言った。
「こんなにたくさん人がいたなんて、思わんかったわぁ」
鈴の鳴るような京都弁だった。
「もしかして、大津でコンビニに寄られましたか?」
「ええ、寄りましたけど……」
(あの時、棚が空っぽだったのは、この人たちやったんか)
すべてが繋がり、学は心からホッとして、握手をした。自分たちの自己紹介を始めた。
「僕は三浦学、大学1年生です」
「私は鷹野理奈。同じく大学1年生です」
紹介が一通り終わると、子どもたちはすぐに打ち解け、ビーチでバレーボールを始めて大はしゃぎした。
見張りを兼ねて一歩引いた場所から、学は海辺で楽しそうに笑う理奈の姿を見つめていた。
そこへ、秋と信太が腕を組んで歩いてくる。秋の身体は、鮮やかなオレンジ色の水着で包まれていた。
「秋、それどこから持ってきたん?」
「ホテルの小さな売店に残ってたから、もらっちゃった。理奈ちゃんにも言ったら、『あとで着ようかな』って言ってたで」
秋がいたずらっぽく笑う。
「あぁ、そう……」
学がうろたえるのを見て、信太がサングラスを指で少し下げてニヤリとした。
「学、行ってこいよ」
信太が指差す先にはビーチバレーを楽しむ理奈の姿があった。
「いや……俺の勝手な判断でみんなをここまで連れてきたし、そんな……」
学が少し下を向くと、秋がフフッと優しく笑って答えた。
「何言ってるの。みんな、ずっと学についてきたくて、ついてきたんやで?」
前を向くと、そこには仲間たちがこれまでの恐怖を忘れたかのように、心からの笑顔で遊んでいる姿があった。
「――フーッ」
学は軽く息を吐き出し、胸のつかえが取れたような顔で、理奈のいる砂浜へと走り出した。




