8 心強い仲間
「本日はお招きいただきありがとうございます、ジェイル侯爵夫人」
「まあ、ウェストン伯爵令嬢。お越しいただけて嬉しいわ。どうぞゆっくりしていってくださいね」
ジェイル侯爵家は白亜の美しい邸宅と、季節ごとに色を変える華やかな庭園が評判の名家だ。
夫人は自慢の庭園で、たびたび茶会を開催していた。
今日は年齢の若い夫人や令嬢を集めた交流会との事で、セフィーナも招かれていた。
ジェイル侯爵夫人の催すガーデンパーティーは、侯爵家主催の茶会でありながら比較的格式張っていない雰囲気だ。穏やかで気取らない彼女の性格が現れている。
各々が自由に交流を楽しんでほしいという事で、五人掛けほどの丸テーブルや、広々としたガゼボ、二人掛けのベンチなど様々な席が用意されている。
セフィーナが給仕された紅茶を楽しんでいると、同席した令嬢がふわりと微笑みかけてきた。あまり面識のない令嬢だ。セフィーナも淑女の笑みを浮かべながら会釈をする。
「ごきげんよう。わたくし、ウェストン伯爵令嬢とは一度お話をしてみたいと思っていたの」
「わたくし……ですか?」
「ええ。あのランドール侯爵家に嫁ぐ方ですもの。どれだけ幸運な方なのかしらと思って」
令嬢はにこやかな様子でそう告げる。その笑顔に、柔らかさは一切無い。
「……それほどでもございませんわ」
「まあ、謙遜なさらないで! 特段パッとしない……いえ、歴史の浅いウェストン伯爵家が、あの由緒正しきランドール家と縁を繋げるだなんて……きっととびきり運が良かったのね。羨ましいわ」
言葉の端々にちくちくと棘を散りばめながら令嬢は言い募る。
彼女の態度や言動からは、ウェストン家よりも家格が上の者だと察せられる。それゆえにセフィーナは、彼女の嫌味に真っ向から切り返す事が出来ない。
「控えめなお家柄の方でも、魔力の強い娘が産まれたら侯爵家に取り入る事が出来るんですものね」
「しかもお相手は、若くして一級魔術師となったあのアダム様ですわよ。年頃の令嬢であれば誰もがアダム様に憧れているというのに……上手い事やったものね」
「魔力さえあれば家柄なんて関係ないのね。本当に……夢のあるお話だこと」
別の令嬢たちも、扇子で口元を隠しながら言葉を重ねる。
その口元はおそらく歪んだ笑みを浮かべているのだろう。
くすくすと嘲るような笑い声さえ聞こえてくる。
セフィーナが莫大な魔力量を持って生まれたこと。その力を見初められ、ランドール侯爵家から婚約を請われたこと。それは社交界では有名な話であった。
だからこそセフィーナを、ウェストン家をやっかむ者は多い。
アダムの婚約者の座を狙っていた令嬢。娘をランドール家に嫁がせたかった家長や夫人。歴史の浅いウェストン伯爵家が格上の侯爵家と縁を結んだ事を僻む同格の家の者。
セフィーナはたびたびそれらの悪意に晒されていた。
令嬢たちからのちくちくとした嫌味など、もはや慣れっこだ。今にも泣きそうな表情を作り、打たれ弱い令嬢の姿を演じれば、彼女たちは満足するらしい。
それが、この場で一番波風を立てない方法だ。
(でも……慣れているからと言って、嫌な気持ちにならない訳じゃないのよね)
セフィーナの心に、少しずつ澱が溜まっていく。
そもそもランドール家との婚約は、セフィーナ本人が望んだものではない。なんとも理不尽な話だ。
「ランドール侯爵家ほどのお家柄なら、もっとふさわしい令嬢もいるでしょうに……」
「あら、それはランドール家への侮辱かしら?」
突然、澄んだ声が淀んだ空気を切り裂いた。
セフィーナは俯かせた顔をぱっと上げる。
令嬢達の背後に、凛とした姿の貴婦人が立っていた。
意志の強そうな切れ長の瞳、細部までこだわりぬかれた豪奢なドレス、優雅に扇子を開く洗練された振る舞い。
彼女を構成する全てが、この場を制する圧を纏っていた。
「エ……エヴァンズ伯爵夫人」
それまで嫌味な態度を取っていた令嬢たちが、サッと顔を青ざめさせる。
「ランドール家が望んで選んだご令嬢を、あなたたちは間違いだったと言っているんだもの。これはわたくしの生家が侮られているという事だわ。ふふ、違うかしら?」
「い……いえ……そんなつもりは」
エヴァンズ伯爵夫人と呼ばれた女性は、扇子で口元を隠しながら令嬢たちの顔をじっくりと眺める。一人一人、逃げ場を塞ぐように。
令嬢たちはその視線に耐え切れないように目を背けた。
エヴァンズ伯爵夫人こと、マリエッタ・エヴァンズ。彼女の旧姓はマリエッタ・ランドール――アダムの実姉だ。
「侯爵家の判断を軽んじる言葉だと、ご自覚はあるのかしら? ……それとも」
マリエッタは、口元を覆っていた扇子を勢いよく閉じる。
パチン!と小気味よい音が鳴り響く。令嬢たちは、まるで自身がその扇子で打擲されたかのように、「ひっ!」と怯えた声を出した。
「わたくしの義妹に対してであれば、そのような無礼が許されると思ったのかしら」
(目が……笑っていないわ……)
自分が責められている訳でもないのに、セフィーナの背筋に悪寒が走った。
直接詰められている令嬢たちの事を思えば、ほんの僅かに同情心すら湧いてしまう。
「これ以上のお話は……そうね、然るべき場で行いましょうか。このような優雅な語らいの席で続けるお話ではないものね」
「い、いえ……! わたくしたち、失礼いたしますわ……!」
先ほどまでの勢いなど見る影もなく、令嬢達は顔を伏せて足早に去っていった。
「まあ、口ほどにもないこと」
「……エヴァンズ伯爵夫人。助けてくださり、ありがとうございます」
セフィーナは椅子から立ち上がり、礼の姿勢を取る。
するとエヴァンズ伯爵夫人は眉間に皺を寄せ、拗ねたように言った。
「いやだわセフィーナさん。他人行儀な呼び方はやめてって、いつも言ってるでしょう? わたくしはあなたの未来の義姉なんですから」
わざと唇を尖らせて言う姿は、先ほどの威圧感など嘘だったかのようにチャーミングだ。
セフィーナはふっと脱力したように笑った。
「申し訳ございません、マリエッタ様」
「ふふ、許してさしあげる」
マリエッタは、アダムより五つ年上の姉だ。セフィーナがランドール家との婚約を決めた頃には、既にエヴァンズ家に嫁いでいた。
それゆえお互い密な交流がある訳ではなかったが、どうやらマリエッタはセフィーナを殊の外可愛がっているらしい。夜会やお茶会で顔を合わせる時は、いつも気にかけてくれていた。
マリエッタがセフィーナの隣の席に腰かける。先ほどのマリエッタの一喝で令嬢達が蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったおかげで、卓にはセフィーナとマリエッタの二人きりだ。
「実はね、アダムに頼まれていたの」
「……え?」
マリエッタは給仕された紅茶を飲みながら、何気ない様子で話す。
「ほんの三、四日前だったかしら。ランドールの家から我が家に使いの者が来たのよ。ジェイル侯爵夫人のお茶会に参加するようだったら、セフィーナを気にかけてほしいと」
「アダム様が……?」
四日前。アダムがウェストン家を訪れた時の記憶が脳裏に蘇る。
確かにあの時セフィーナは、ジェイル侯爵夫人の茶会に招かれているとアダムに伝えていた。
「実は今日のお茶会、わたくしは元々出席する予定じゃなかったの。でも可愛い弟の頼みじゃない? 義妹を可愛がる口実も出来た事だし、良かったわ」
「そんな、わたくしのためにわざわざ……? なんと御礼を申し上げたら良いのか……」
セフィーナは深々と頭を下げた。
マリエッタは何も気にしてなどいない様子で、くすくすと笑みを漏らした。
「もう、他人行儀なのはやめてって言ったでしょう。それに今あの子は多忙みたいじゃない? 仕事にかまけてあなたの事を直接気にかけてあげられないの、悪いと思っているみたいよ」
「……アダム様……」
『あの方にはね、良いところも悪いところもあるの』
数日前、プーに告げた言葉が頭をよぎる。
それと同時に、胸元のペンダントが僅かに揺れた。ペンダントの中に居るプーは何も言葉を発さなかったが、プーもまた何か思うところがあったらしい。
「……セフィーナさんも気づいていると思うけれど」
マリエッタはゆったりと瞬きをしながら口を開く。視線はセフィーナではなく、遠いどこかを向いているようだった。
「あの子は……アダムは、ランドール家の魔力偏重主義なところを色濃く受け継いでいるわ」
「……」
「そうですわね」と、素直に相槌を打ってもいい話題ではないだろう。セフィーナは逡巡の末、そのまま静かにマリエッタの言葉に耳を傾ける事にした。
「わたくしはあの家のそんなところに嫌気が差していたのだけれど」
「それは……」
「魔力がさほど多くないわたくしは、あの家のお荷物だったわ。だから政略的に大して旨味の無いエヴァンズ家に、棄てるようにして嫁がされたの」
マリエッタの語る言葉は、噂好きの社交界では有名な話だった。
名門ランドール家に生まれながら、魔力量は普通以下。魔力量の少ない女性は政略結婚の駒として有用性が無い。
「魔力で人生が決まるなんて、窮屈なものよね。少なくても多くても女は苦労するのだから」
マリエッタの言葉には重みがあった。
彼女にこれまで降り注いできた苦難は、きっと言葉よりもずっと重いのだろう。
名家に生まれながらも、魔力量が少なく侮られたマリエッタ。
魔力量が多すぎるゆえに望まぬ婚約を決められ、さらに妬み嫉みに晒されているセフィーナ。
二人の立場は真逆だった。
けれど魔力で値踏みされるという点では、同じ立場に立たされていた。
「でも、エヴァンズ家がわたくしを温かく迎え入れてくれたのは僥倖だったわ。実家に居た頃よりも、わたくしは自分らしく生きていられるもの」
マリエッタはセフィーナの方に向き直り、ふわりと微笑んだ。
幸せそうな顔。柔らかな空気。
マリエッタの夫であるエヴァンズ伯爵は、貴族家の当主とは思えぬほどに優しく穏やかな人柄だという。
したたかさや狡猾さとは無縁。それゆえに特段目立つ家柄ではなかったが、堅実な領地運営に務めていると評判だった。
そんな相手だからこそ、マリエッタは今こうやって幸せに暮らしているのだろう。
「……って、いやだ。これからランドール家に嫁ぐセフィーナさんにとっては良くない話だったわね」
「つい口が過ぎてしまったわ……」と、マリエッタは額に手を当てながら項垂れる。
セフィーナは口元に笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「いいえ。お互い大変ですわね」
貴族家の夫人に相応しくしたたかな面ばかりが目立つマリエッタだったが、一方で心を許した相手には明け透けに語ってしまう節もある。
マリエッタのそんなところも、セフィーナは好ましく思っていた。
「わたくし、セフィーナさんには幸せになってほしいの。だからあの家で困った事があったら、いつでもわたくしに相談してちょうだいね」
「……ありがとうございます。マリエッタ様」
「アダムに酷い事をされたらすぐにわたくしに言うのよ。姉の立場でガツンと言ってやるんだから」
「ふふっ、心強いですわ」
今のセフィーナから見て、この先に待ち受けている未来は決して明るいものではないように見える。
それでも、味方になってくれる人がいる。
プーも、マリエッタも。セフィーナの気持ちを慮ってくれる。
それだけで気持ちがふわりと軽くなった。
……けれど。
(わたくしは……これからどうすべきなのかしら)
心の中に溜まった澱は、まだ消えてはいなかった。




