9 護り石
チョキン、と鋏の小気味いい音が、静かな室内に軽やかに響いた。
セフィーナは端を切り落とした麻紐のブレスレットを掲げ、満足げに微笑んだ。
「出来たわ! どうかしら?」
「素敵ですわ、お嬢様」
侍女のジナも表情を綻ばせながら言った。
セフィーナとジナ、それからメイド達の手も借りながら編んだ麻紐のブレスレット。中心には乳白色の鉱石が嵌め込まれている。
「十三、十四、十五……。ちゃんと人数分あるわね。みんな、手伝ってくれてありがとう」
「とんでもございません」
「私も昔、息子に作った事がありますから。お役に立てたのなら何よりです」
「愛護院の子ども達、喜んでくださるといいですね」
セフィーナが礼を言うと、ジナとメイド達は口々にそう言いながら部屋を出て行った。
扉が閉まる音と同時に、セフィーナの胸元のペンダントが微かに震えた。
「プー、出てきて大丈夫よ。今は誰も居ないから」
ペンダントに向かって呼びかける。
すると、ポンッという音を立てて、プーがペンダントから飛び出して来た。
「ねえセフィーナ、何を作ってたの?」
「これはね、『護り石』よ。この国の風習で、幼い子どもに悪いものを寄せ付けないようにするお守りなの」
「へぇ! ほんとだ、この石から微かに魔力の気配を感じるね」
プーは興味津々といった様子で、セフィーナの目の前に置かれた護り石のブレスレットを眺める。
「護り石用に、厄除けの魔法をかけた鉱石が売られているのよ。……と言っても強い魔法じゃなくて、本当にお祈り程度の加護らしいけれど」
セフィーナは護り石のブレスレットを手に取り、目の前に掲げた。
大抵の場合、護り石は親が子に贈る物だ。病気や怪我、事故などから我が子を守るために、厄除けの魔法をかけた護り石を渡す。それは親の愛の形とも言える。
「明日はね、児童愛護院に慰問に行くの。そこの子ども達にこの護り石をプレゼントするのよ」
「児童愛護院?」
「そう。子ども達を保護して、大人になるまで面倒を見る施設よ」
生まれてすぐに親に捨てられた子。親と死別してしまった子。親から虐待を受け、保護された子も居る。
そうした子どもたちの多くは、護り石を持っていない。
そのため、愛護院に慰問で訪れる貴族が、護り石を子ども達にプレゼントするというのはよくある話だった。
「子ども達、喜んでくれるといいのだけれど」
「ねえセフィーナ。その護り石に、セフィーナの魔力を込めるっていうのはどうかな?」
「えっ!?」
「セフィーナの魔力は光属性でしょ? 光属性なら魔除けの付与も出来るんだよ。護り石にぴったりじゃない!」
プーは胸を張って言う。
「でも……いいのかしら」
セフィーナは困ったように眉尻を下げた。
魔法少女の時は、魔法を使う事に前向きな気持ちになれる。奈落獣を倒すためならばいくらでも魔法を使う事ができる。
けれどそれは、魔法少女に変身する事で違う誰かになったような感覚があるからだ。
変身をしていない今は、魔法を使う事をどこか後ろめたく思ってしまう。まるで心に見えない枷が嵌められているかのように。
(……でも、わたくしが魔法を使う目的は……誰かを助ける事だわ)
ハッとして、セフィーナは握りしめた護り石に視線を落とした。
護り石は愛の形。子どもの無事を祈るための物。
(わたくしは、守りたい)
幼い頃、怪我をしたメイドに治癒魔法をかけた。
奈落獣から人々を守るために、魔法少女になった。
いつだって、誰かを守りたいという気持ちがセフィーナを突き動かしてきたのだ。
その瞬間、胸の中で何かが弾けた。
――セフィーナを縛っていた枷が、外れたのだ。
「いいアイデアだわ、プー! 早速加護の魔法をかけましょう」
セフィーナはプーと顔を見合わせてにっこりと微笑んだ。
そして護り石を手に取ると、祈るように一つずつ魔力を流し込んだ。
乳白色の鉱石が、セフィーナの魔力に反応してほのかに光る。手の中から溢れる温かな色の光。それはどこか神々しい光景にも見えた。
(わたくしの魔法が誰かを守る力になるのなら……いくらでも使ってみせるわ)
翌日。セフィーナは王都の中心部にあるガーデナー児童愛護院を訪れていた。
暖かな陽射しの中を駆け回る子ども達の笑い声が、門の外まで聞こえてくる。
「お久しぶりです、院長先生。こちらは新しい衣服と寝具、それから衛生用品です。あと、絵本もお持ちしましたわ」
「お嬢様、ご無沙汰しております。ウェストン伯爵家の皆様にはいつもお心を寄せていただき、本当にありがとうございます」
愛護院の院長はセフィーナに深く頭を下げ、恭しく感謝を述べた。
院長を務める老女とは古くからの付き合いである。
ウェストン伯爵家はたびたびこの愛護院に寄付を贈ったり、慰問に訪れたりしていた。
セフィーナとその母親が揃って慰問に訪れる事が多いのだが、今日はセフィーナ一人での訪問だ。
「わたくしも子ども達と触れ合えるのを楽しみにしておりますから。そうだ、こちらは子ども達に」
「まあ、護り石! ありがとうございます。子ども達も喜びます」
「ブレスレットですから、いつも身に着けていられますよ」
院長は子ども達に呼びかけ、一人に一つずつ護り石を配った。
「わぁ……! 護り石だぁ!」
「ねえねえ、早く付けよう! みんなで腕に付けようよ」
「ねえ見て! この石、ちょっと光ってる!」
「ほんとだ! すごーい」
護り石を手にした子ども達は、顔を紅潮させて喜んでいた。
お互いの腕にブレスレットを結びながら、キャッキャと楽しげな声を上げている。
「護り石は愛の形と言われています。本来なら親から贈られる物ですが、この子達はそういう機会も与えられませんでした……」
はしゃぎ声を上げる子ども達を見つめながら、院長はぽつりと呟く。
セフィーナも同じように子ども達の顔に視線を向け、小さく頷いた。
「ですが、子ども達はお嬢様からの愛を頂きました。きっと護り石のご加護も過分にある事でしょう」
「……ええ。みんなにご加護があるよう、願っていますわ」
まだ年端もいかない彼らの境遇を思うと、胸が締め付けられるような気持ちになる。
その分、これからの人生が彼らにとって明るいものになるように。悪しきものが彼らを苦しめる事がないように。セフィーナは祈った。
ふと、スカートの裾がクイッと引っ張られるような感覚があり、セフィーナは足元に視線を遣った。
そこには小さな女の子が一人、セフィーナの方をじっと見上げていた。
「お姉ちゃん、絵本よんで!」
女の子は言いながらにっこりと微笑む。その手には、セフィーナが寄贈した絵本があった。
「こらっ、お嬢様に失礼でしょう」
「いいんですよ院長先生。みんな、お姉ちゃんが絵本を読んであげるわね」
慌てる院長を宥めながら、セフィーナはその場にしゃがみ込む。
女の子に目線を合わせて微笑むと、彼女はきゃあっと嬉しそうに笑いながら絵本を渡して来た。
セフィーナが絵本を持って座り込むと、子ども達全員が輪になって座った。
『呪われた騎士の物語』――それは、この国に古くからある有名な絵本だ。
セフィーナも幼い頃に何度も読んだ本だ。愛護院の子ども達と同じように、母親に読み聞かせをねだった事もある。
少年は、生まれた頃から呪われていました。
身体中に浮かび上がる大きなアザは呪いの証。顔にまで刻み込まれた真っ赤なアザは、人々を少年から遠ざけました。
「あの子、なんて不気味な姿なんだろう」
「あいつに触ると呪いがうつるぞ」
「こっちに来るな! 呪いの子!」
村の人々は、少年にひどい言葉を投げかけました。
時には少年をぶったり、石を投げたり……そんな風に彼を傷つける事もありました。
けれど少年は、くじけませんでした。
少年は、幼い頃に亡くなったお母さんにずっと言われてきたからです。
「あなたを産んだ時、お母さんの夢に女神さまが出てきたの。女神さまは言ったわ。『そのアザを持つ子は、世界を救う人間になる』と。だからどうか、誰かを救いたいと願う優しい心をずっと持っていてね」
少年はお母さんの言葉を信じて、剣を学び、たくさん鍛錬を積みました。
周りの人からなじられても、優しい心を忘れませんでした。
人々を守る騎士になると決めたからです。
少年が青年になった頃、彼は騎士になりました。
騎士となった者は、王の御前で『騎士の誓い』を行う決まりがあります。
彼は王の前に跪き、剣の柄を額に当てて誓いました。
「偉大なる王に、我が剣に、そして亡き母に誓います。必ず世界を救ってみせます」と。
そして、ついにその日がやって来ました。
この世に災いを振り撒く魔王が現れたのです。
空は闇に包まれ、草木は枯れ、魔物が人々に襲い掛かりました。
青年は、たった一人で魔物に立ち向かいました。
するとどうでしょう。他の騎士達が束になっても敵わなかった魔物を、青年は一太刀で倒したのです。
その上、青年の右腕に刻み込まれたアザがすっかり消えてしまいました。
青年の呪いのアザは、悪い魔物を倒す力を持っていたのです。
青年は次々と魔物を倒していきました。
魔物の数が減っていくたびに、腕、足、背中……と青年の身体に刻まれたアザも消えていきました。
ついに魔王にたどり着いた青年は、最後の力を振りしぼって剣を振り上げました。
青年には、もう頬のアザしか残っていませんでした。
魔王に最後の一撃を浴びせると、青年の頬のアザがジリジリと音を立てて消えていきました。
魔王は青年の剣に倒されました。
青年はすっかりとアザの無くなった顔に、晴れやかな笑みを浮かべました。
世界を魔王から救ってくれた青年を、人々は尊びました。
その中には、今まで青年にひどい言葉を投げかけてきた人も、石を投げてきた人もいました。
「今まで悪かった」
「僕はなんてことをしてしまったんだろう」
「どうしても君につぐないたい」
彼らはみな涙を流しながら、青年に言いました。
青年は彼らに優しく微笑みました。
「『優しい心を持っていてね』と、母さんが僕に言ってくれました。だからあなた達も、どうか忘れないでください。誰かを守りたいと思う心を」
優しく気高い心を持った青年は、生涯この国の英雄として讃えられました。
「……めでたし、めでたし」
セフィーナが絵本をパタンと閉じる。
前のめりで聞いていた子ども達は、途端にワァッ!と歓声を上げた。
「ぼくも大きくなったら騎士になりたい!」と興奮気味で語る少年を見て、セフィーナも思わず頬を緩めてしまう。
『……む、セフィーナ』
胸元のペンダントが微かに揺れる。
ペンダントの中から、プーが小声で話しかけてきた。
『セフィーナの読み聞かせって……なんか独特だね』
(……そうかしら?)
ひそひそと語りかけてくるプーの言葉に、セフィーナは首を傾げた。
自身としては、至って普通に読み聞かせをしているつもりだ。
『迫真というか……舞台女優顔負けというか……』
セフィーナは首を捻りつつも、子ども達の様子に目を向ける。
――するとどうだろう。
「お姉ちゃん! さっきの雷の音、もう一回やって! 『ピシャーンッ!!ゴルゴルゴルゴル………ドッギャァァァァン!!!』ってやつ!」
「魔物の鳴き声、こわかったよぉ……!」
興奮気味に語る男の子。
めそめそとべそをかく女の子。
(あ……あら……? なんだか思っていた反応と違うわね?)
セフィーナは後ろに控えていた侍女のジナを振り返った。
「ジナ……わたくしの読み聞かせ、どこか変だったかしら」
「お嬢様が何事にも全力で取り組む真っすぐなところ、わたくしは素晴らしいと思います」
ジナはセフィーナの言葉に肯定も否定もせず、にっこりと笑ってそう答えた。
(その反応、絶対に『変』って事じゃない……!)
セフィーナはショックのあまり、両手で顔を覆った。その顔は恥ずかしさから真っ赤に染まっている。
(……まあ、子ども達は喜んでいる事だし……これでよかった、のよね?)
その時、ふと。一人の少年が目に入った。
セフィーナの周囲を輪になって取り囲む子ども達の中、少年はたった一人、無言でうずくまっていた。
セフィーナはその様子が気になり、彼の元に近づく。
「あなた、大丈夫?」
「……うん……」
セフィーナが声を掛けると、少年は顔を上げた。
その顔は赤く、視線もどこか定まっていない様子だった。
「具合でも悪いのかしら?」
「熱があるように見えますね」
ジナも心配げに覗き込んでくる。
「風邪かもしれないわ。ジナ、院長先生を呼んできてもらえる?」
「かしこまりました」
ジナは別室に居る院長を呼ぶため、部屋を出て行った。
そのタイミングを見計らったかのように、ペンダントからプーが呼びかけてくる。
『むぅ……その子、魔力耐性が低いかもしれない』
「魔力耐性?」
『魔力耐性が低い子は、外部からの魔力干渉を受けると具合が悪くなる事があるんだ』
「魔力干渉……つまりこの子、誰かから魔法をかけられたって事?」
『そうだと思う。でも、なんでだろう……なんだかこの魔力、変なんだ。奇妙な形をしていて、どんな魔法をかけられたのか上手く読み取れない……』
プーは「うぅん……」と小さく唸ると、何かを考えこんでいるように黙ってしまった。
セフィーナは少年にもう一度目を向ける。少年はぼんやりとした顔で、セフィーナを見上げていた。どこか不安げにも見えるその様子に、セフィーナの胸は締め付けられる。
「あなた、名前は?」
「……エディ……」
「エディ、大丈夫よ。きっとすぐに良くなるわ」
セフィーナは少年を安心させるように、小さな頭を撫でた。
ふわふわと柔らかな巻き毛を優しく撫でると、少年は小さく頷いた。
「あらあら、エディ。大丈夫?こっちに来てお休みしましょう」
「エディ、ゆっくり休むのよ」
「お嬢様もありがとうございます」
ジナと共に現れた院長にエディを託す。
院長に抱きかかえられたエディは、セフィーナの方に顔を向け、もう一度小さく頷いた。
――けれど、その時は誰も気づいていなかった。
部屋を出たエディの背中。そこに、黒い影がまるで意思を持つかのように揺らめいていた事を。




