6 光と闇
第三十地区は、王都の中でも比較的住民の少ない地域だ。商店や飲食店もほとんど無いに等しい。
以前は教会があったが、施設の老朽化によって何年も前に閉鎖されている。
「ここね……」
プーが奈落獣の気配を感じたのはこのあたりだと言う。
閉鎖した教会の跡。まだ建物自体は残っているが、外の壁面には蔦が鬱蒼と茂っている。
月明りに照らされた廃墟は、どこか不気味さを漂わせていた。
「うん、間違いない。このにおい……近くにいるはずだよ」
プーがそう告げた瞬間、空気がどろりと濁った。
(来た……!)
セフィーナは即座にあたりをぐるりと見回す。
月明りに照らされた廃墟の影。そこに赤い光が二つ出現した。
先手必勝。前回のように遅れを取ってはいけない。
セフィーナはペンダントを握ると、力いっぱい魔力を込めた。
「光は内より出でて、刃となれ!」
ペンダントから放たれた光は刃の形となり、勢いよく放出される。奈落獣を目がけてまっすぐ飛んで行った刃は、その身を貫いた。
――はず、だった。
「え……?」
確かに貫いたと思った。
けれど、手ごたえがない。目の前には何も居ない。
奈落獣は、忽然と姿を消していた。
「どうして? 一体どこに……」
「セフィーナ、後ろ!」
肩に乗ったプーが大声で叫ぶ。
その言葉の意味を脳が察知するよりも先に、反射的にセフィーナは宙へ高く飛び跳ねた。
身体強化魔法が付与されたセフィーナの身体は、高く高く飛び上がる。
空中でひらりと身体を回転させながら眼下を見下ろすと、先ほど消えたはずの奈落獣が再び姿を現していた。
「どこから現れたの!?」
奈落獣は牙を剥き出しにし、グルル……と威嚇するように唸っていた。
あと一歩回避が遅れていたら、おそらく攻撃を直に受けていただろう。
「もう一度……! 光は内より出でて、無数の刃となれ!」
セフィーナは地面に着地すると同時に、再びペンダントに魔力を込めた。
今度は大量の光の刃を創出し、四方八方へ撃ち放った。
しかし、敵は光の刃が突き刺さるよりも速く、闇に溶けるようにして姿を消した。
つい先ほどまで奈落獣の居た場所には、月明りに照らされた廃墟の影しか無い。
狼のような身体も赤い目も、どこにも見当たらなかった。
「む!? また消えたよ!?」
「今度は一体どこに……!?」
セフィーナは周囲を見回す。
視界の端、ほんの少し揺れる影があった。
「……っ!」
奈落獣は、セフィーナの傍らに生えた木の影から姿を現す。
赤い目がこちらを捉えた瞬間、再び襲い掛かってきた。
「今度はこっち!?」
咄嗟に地面を蹴り、後方へ退避する。
回避姿勢のまま再び奈落獣へ攻撃魔法を撃つ。
しかし奈落獣は攻撃が当たるよりも速く、またどこかへ消え去ってしまう。
「そんな……」
消える。また現れる。攻撃を放っても、当たる前にまた消えてしまう。
(違う……ただ消えてるんじゃない)
出現と消失を繰り返す奈落獣を、セフィーナは注意深く観察する。
消える、また現れる。消える……影の中へ。
「もしかして」
セフィーナの視線は、地面の影を追った。
「何か分かったの? セフィーナ」
「影の中を移動している……?」
セフィーナはハッと息を飲んだ。
地面に落ちた影。
月明かりに照らされ、建物や木々の影が色濃く落ちている。
奈落獣はその影のある場所で消失し、また別の影から出現している。
(つまり……影がある限り、奈落獣はどこからでも現れるって事……?)
セフィーナは絶望的な気持ちになった。
ただ攻撃するだけでは勝てない。
敵の出現箇所を的確に予測し、影の中に消えるよりも早く攻撃を当てなければいけない。
しかもその間も相手は、死角からセフィーナを襲おうと狙ってくるのだ。
「はぁ……はぁ……ッ」
鼓動が逸る。
呼吸が浅くなる。
視界に入るもの全てが敵に見えた。
(どうすれば勝てるの……?)
影がある限り、敵は逃げ続ける。
追い詰められる。周りは影だらけだ。
「むぅっ……!あいつの出現する場所が分かれば……」
焦り混じりの声でプーが呟いた。その時、ふと。
「あ……」
セフィーナの脳裏を、白と黒の盤面が過ぎった。
『む? お馬さんの駒は前にしか進めないんだっけ?』
『そうよ』
『じゃあこのマスにボクの駒を置けば……よし! セフィーナの駒が動かせなくなったよ! ボクの勝ちだぁ』
「……そうだわ、『光と闇の国』よ!」
「え? なになに、どうしたの? セフィーナ」
「プー! この付近の地図を出して。近くに広い空き地が無いか探してほしいの」
「……! わかった!」
言うが早いか、プーは長いしっぽでくるりと円を描いた。
先ほどのように、空中に地図が投影される。
「このまま東にまっすぐ進んで! 突き当たりに大きな空き地があるよ」
「分かったわ!」
セフィーナは瞬時に駆け出した。プーの指し示す方角へひた走る。
奈落獣の姿は見えない。けれどどろりと濁った重い空気が、その存在を示している。きっと近くで息を潜めているのだろう。
(そうよ、敵が出現するのを待つ必要なんてない)
第三十地区は住民の少ない地域だ。家屋も少なく遊閑地となっている場所が多い。
セフィーナが目指している空き地もその一つだった。
「あったわ!」
辿り着いたのは、ただの野原のような空き地だ。
辺りに建物は無く、高い木々も無い。手入れされていない土地ゆえに雑草は生えているが、土地が痩せているせいか、萎れた草がまばらに生えている程度だった。
あたりを見回す。奈落獣の姿は無い。
けれどそのうちきっとやって来る。
……いや。
(来るんじゃない。来させるのよ)
セフィーナは胸元のペンダントを握り、ありったけの魔力を込めた。
「光は内より出でて、闇を照らせ!」
ふわり。
セフィーナの手のひらの上に、光球が現れる。
「照らせ……照らせ……!光よ、光よ光よ光よ、闇を照らせ……!」
セフィーナは叫んだ。身体の内にある精いっぱいの魔力を放出させながら。
手のひらの上の光球は、セフィーナが魔力を込めるたびに膨れ上がる。
ボールほどの大きさから、両手で抱えきれないほどの大きさに。やがてセフィーナの身長よりも遥かに大きく、更に二倍、四倍、十倍と膨張する。
大きく膨れ上がった光球は、月明りよりも遥かに眩い。まるで舞台役者を照らすスポットライトのようにも見えた。
セフィーナが右手を頭上に掲げる。光球も真上にふわりと浮かび上がった。
宙に浮かぶ光の球は、野原を明るく覆い尽くす。
光を遮る物は何もない。――ただ一つを除いて。
(……さあ、来なさい。あなたの出口は『ここ』しか無いわよ)
セフィーナは足元に視線を落とす。
そこには、唯一の影があった。
(チャンスは一瞬。この至近距離で攻撃を外したら、きっと無事ではいられない)
セフィーナは足元の影から一瞬たりとも視線を外さない。
まばたきすらもしない。全ての知覚を足元の影に傾ける。
冷や汗が首筋を伝う。喉がごくりと鳴る。
そして、影が僅かに揺れた。
(……来た!)
足元の影の中、二つの赤い光が出現する。
それを視覚で捉えるよりも速く、セフィーナは叫んだ。
「光よ……! 貫け!」
セフィーナの手から光の槍が放たれる。
槍は足元の影にまっすぐ突き刺さった。
「ギャオオオオッ!」
影が――いや、影の中から現れた奈落獣が咆哮する。
光の槍は、奈落獣の頭を貫通していた。
獣はその場で悶絶するように転げ回る。
「今度こそ……消えなさい!」
セフィーナは更にもう一本光の槍を生成し、悶え苦しむ奈落獣めがけて一直線に投射した。
槍は胸元に深く突き刺さる。今度こそ奈落獣は動きを止めた。
「グォ……ォォ……」
咆哮が徐々に小さくなる。
地面に伏した身体が完全に動きを止めると同時に、奈落獣の身体はボロボロと崩れていった。
やがて、あたりに静寂が戻った。
「……はぁ……はぁ……やったわ」
セフィーナはその場にへたり込む。流石に魔力を使いすぎたようだ。
「すごい……! すごいよセフィーナ! あんなに厄介な奈落獣を倒すなんて」
「ふふっ……プーのおかげよ」
「ボクのおかげ?」
戦闘中に脳裏に浮かび上がった『光と闇の国』の記憶。
勘の良いプーは、少しルールを教えただけですぐにこのゲームのコツを掴んだのだ。
『自らの駒を動かす事によって、敵の駒の動きを誘導する』というコツを。
「さあ、夜が明ける前に帰りましょう。屋敷の誰かに見つかったら大変だわ」
「そうだね! そーっと、そーっとお家に入るんだよ!」
笑い合う二人を、月明りが照らしていた。
「……嘘だろう?」
「夢……じゃないよな?」
第三十地区。二人の魔術師が立ち尽くしていた。
最近このあたりで魔獣が出没したとの通報があり、周辺の警備に当たっていた。
すると突然、夜だというのに空が不自然に明るくなったのだ。
異常事態か?と、光が発する元を探した二人は、東側のとある遊閑地にたどり着いた。
そこで彼らが見た物は、目を疑うような光景だった。
「幻としか思えないが、俺たちははっきり見たんだ。とにかく上に報告しよう」
「そうだな。まあ、王都に出るはずのない魔獣が出現したんだ。もう何が起こってもおかしくないよな」
「それにしてもまさか……」
魔術師の二人は互いの顔を見合わせて、大きなため息を吐いた。
「魔法を使う少女がいるなんてな」
それは、この世界の常識を覆す言葉だった。




