4 創る者
セフィーナは朝日と共に目覚めた。
「ん、んん……」
ぱちぱちと何度か瞬きをする。
寝台に横たわったまま、手のひらを目の前にかざす。
傷ひとつない、白くつややかな手のひらだった。
昨晩の戦闘で得た負傷は、自らの治癒魔法で綺麗に治した。
石畳に転んで負った擦り傷も、慣れない靴で動き回ったせいで出来た靴擦れも。
まるで昨日の事が夢だったかのように、セフィーナの身体は傷ひとつない状態だった。
「でも、夢じゃないのよね」
胸元のペンダントを握りしめる。
目を閉じて思い返すのは、プーとの出会い。初めての変身。奈落獣との戦闘。
「そうだわ、プー! プーはどこ?」
ベッドから起き上がり、あたりをキョロキョロと見回す。
プーの気配はどこにも無かった。
『む! おはようセフィーナ。ボクはここだよ』
「ここ……?」
プーの声が聞こえる。声の出どころは、セフィーナが胸に下げたペンダントだった。
「プーったら、こんな小さな所に入れるのね」
『精霊体になればどこにでも入れるんだ。普段はペンダントの中に居るようにするよ。そしたらいつでもセフィーナと一緒にいられるでしょ?』
「それは心強いわね」
確かに、お茶会や夜会など外に出る機会は少なくない。
そうなった時、小動物の見た目をしたプーを連れ歩くのはなかなか難しいだろう。
コン、コン。
寝室の扉が外からノックされる。
「お嬢様、お目覚めでしょうか」
「おはよう、ジナ」
「おはようございます。お嬢様」
侍女のジナが朝の支度にやって来た。
分厚いカーテンを開くと、部屋に朝の光が差し込む。
「まあ、昨日の嵐が嘘のようですわね」
「本当ね。気持ちの良い朝だわ」
眩しい朝日を全身に浴びながら、セフィーナはふふっと小さく微笑んだ。
セフィーナとプー以外は誰も知らない秘密。
二人が人知れず街の平和を守った事は、この太陽すらも知らない事だ。
セフィーナがこっそり笑みを浮かべている事などつゆ知らず、ジナは手慣れた様子でセフィーナの着替えを手伝った。
「お嬢様、本日は午後にリッチェロの方がいらっしゃる予定です」
「そうだったわね。新しいドレスの仮縫いが出来上がったみたいなの、楽しみだわ」
リッチェロとは、ウェストン伯爵家に出入りしているドレスメーカーの名だ。
ブランドとしての歴史は比較的浅く、従業員も若い者が多い。だがそれゆえに、伝統的なドレスメーカーとは一線を画していた。
瑞々しい感性で作られたドレスは、若い貴族女性たちに絶大な人気を博している。セフィーナもそのセンスに惚れこんだうちの一人だ。
「……あら?」
「どうしたの?ジナ」
「いえ、ここの絨毯ですが」
ジナは言いながら窓際に近づく。
「びしょ濡れですわ。どうしたのでしょう」
「……!」
思わずセフィーナの顔が引きつる。
昨晩の嵐の中、テラスに墜落してきたプーを助けるために窓を開けたのだ。そのせいで窓際の床はしっとりと湿り気を帯びていた。
特に分厚い絨毯など一晩で乾くはずもなく、ぐっしょりと濡れそぼったままだ。
(まずいわ……)
あのひどい嵐の中、窓を開けたなんて不自然な事だ。
何故窓を開けたのかと理由を問われたら、上手く誤魔化せる自信もない。
セフィーナは内心焦っていた。
「水差しの水でも零されましたか?」
「……そう、そうなの。昨日の晩、水を注ごうとしたら手を滑らせてしまって」
「あら、そうだったのですね。お声がけくださればすぐに綺麗にしますのに」
「遅い時間だったもの。夜中に呼びつけるなんて悪いわ」
うふふ、と淑女の笑みで誤魔化すとジナは納得したようで、それ以上追究してくる事はなかった。
(危なかったわ……)
セフィーナが魔法少女である事は誰にもバレてはいけない。もちろんプーの存在も。
秘密が多いのもなかなか大変ね。
セフィーナは心の中でそう呟くと、小さなため息をついた。
リッチェロの女店主とその助手がウェストン家を訪れたのは、その日の昼下がりだった。
「こちらがご依頼頂いていたドレスでございます」
店主が衣装ケースから取り出してきたのは、大人びたシルエットのドレスだ。
膨らみの少ないすっきりとしたシルエットは、最近の若い貴族女性の間で流行しているデザインである。全体的なシルエットはシンプルに抑え、素材や柄、装飾で特徴を出すのがトレンドであった。
まだ仮縫い状態のため装飾が成されていないが、ドレスの裾や袖口には細やかな刺繍が施される予定だ。
「先日見せていただいたデザイン画、わたくしとっても気に入ったわ」
「有難いお言葉、光栄でございます」
「特にあの刺繍のデザインが素敵で。繊細な意匠に目を惹かれたわ」
「あのデザインは、弟子のホリーが手がけたのですよ」
「まあ、そうなの?」
店主のナディアは、後ろに控えていた助手の女性を指し示す。
ホリーと呼ばれた女性は、肩口で揃えられた赤髪が特徴的な、まだ年若い女性だった。
「ホリーと申します。お嬢様にお褒めの言葉を頂き、嬉しい限りでございます」
「彼女は今やリッチェロに欠かせない存在ですよ。特に刺繍の繊細さにおいて、彼女は老舗のドレスメーカーにも負けない程の腕前を持っております」
「店長、褒めすぎですよ」
照れたように顔を紅潮させるホリーを見て、セフィーナはふっと頬を緩めた。
「ホリーさん。わたくしのドレスにも素敵な刺繍を入れてくださいね」
「はい!」
ホリーは力強く答える。快活なその声に、セフィーナは好印象を抱いた。
「ところで店長、こちらのトワルですが」
セフィーナが身にまとった仮縫い用のトワルを一瞥すると、ホリーは目をすっと細めた。
「失礼します」と断りを入れながら、裾の布をほんのわずかに整える。
「裾はあと5ミリ上げましょう。それから脇も3ミリ詰めた方が、お嬢様の美しいウエストラインが際立ちます」
ホリーは仮縫いしたドレスをてきぱきと整える。ほとんど一瞥しただけで、ミリ単位の修正が成された。
「そうね。ああ、それとここのダーツも気になるわ。角度が浅すぎるかしらね」
「はい、すぐに調整します」
ナディアが指示すると、ホーリーは心得たとばかりに即座にトワルの形を調整した。
(職人だわ……)
呆気にとられるセフィーナを見て、ナディアは楽しそうに言った。
「見ての通り、彼女は腕利きの職人なのですよ」
「ええ……本当に素晴らしい腕前ね」
「本当はすぐにでもホリーに店を任せたいと思っているんですよ」
「まあ! ナディアさん、引退なんてまだ早いわ。でもいつかホリーさんが後を継いでくれるなら、リッチェロの未来は安泰ね」
「いいえ、私なんてまだまだ若輩者です! ……でもそうですね。いつかは店を任せてもらえるよう、頑張りますね」
ホリーは謙遜しつつも、セフィーナのドレスを整える手を止めなかった。
ほんの少しだけ丈を詰める、気持ち程度に幅を狭める。
素早い手つきでそれらを繰り返していると、わずか数分でドレスのシルエットが見違えるように変化した。
「凄いわ、ほんの少し調整しただけなのにさっきとは全然違う。スタイルが良くなったように見えるわ」
「ご不快なところはございませんか?胸元などが苦しいようであれば、もう少し調整いたします」
「大丈夫よ、完璧だわ。ホリーさん、ありがとう」
細部まで調整したトワルを元に、本番のドレスが作られる。
完成はまだまだ先だが、ホリーの手掛けるドレスがどのような形になるのか。セフィーナは期待に胸を膨らませた。
「ナディアさん、ホリーさん。素敵なドレスが出来上がるのを楽しみにしているわ」
「はい、お任せください」
玄関ホールでナディアとホリーを見送っていると、胸元のペンダントがふるりと震えた。
ペンダントの中のプーが、何かに反応しているようだ。
セフィーナは後ろに控える使用人に不審がられないよう、ペンダントに向かってひっそりと呼びかけた。
「プー、どうしたの?」
『む。さっきの赤毛の女の人……』
「ホリーさん?」
『そう。あの人、魔力の香りがしたよ。強い魔力の香り』
「そうなの?」
珍しいわね、とセフィーナは思う。
一般的に、庶民は貴族よりも魔力が低い事が多いのだ。
『ボクは魔力のにおいが分かるんだ。さっきの女の人、魔力のいい香りがしたの』
「匂いで判別してるのね。じゃあ、わたくしの魔力はどんな匂いがするの?」
『えへへ、セフィーナの魔力はね、あまーい香り! ボクの大好きな、魔力のいい香りがするよ』
プーはペンダントの中でころころと笑っているようだった。
なんだかくすぐったい気持ちになって、セフィーナも思わず顔を綻ばせた。




