3 初めての変身
「よろしくね、セフィーナ。魔法少女として一緒に頑張ろう!」
プーが胸を張った、その時だった。
どろり。
唐突に、空気が濁った。
「……え?」
セフィーナは咄嗟に辺りを見回した。
けれど室内に変わった様子は無い。
ただ、纏う空気が少しだけ重くなった気配がした。
「む! まずい、近くに来てるみたいだ」
「来ている?何が?」
「奈落獣だよ……気配が近い。とにかく行くよ、セフィーナ!」
プーはその場に浮かび上がると、長いしっぽでくるりと宙に円を描いた。
描かれた円の中心に、光の結晶が浮かび上がる。
「これは?」
光り輝く結晶は形を変え、セフィーナの手のひらの上に落ちてきた。
それは大きな赤い宝石が嵌め込まれたペンダントだった。
「そのペンダントを握りしめて魔力を込めるんだ!」
「こうかしら?」
セフィーナは言われるがまま、体内の魔力をペンダントへ込める。
「光は内より出でて、赤き宝玉へ」
魔力は光の粒となり、ペンダントに嵌め込まれた宝石を媒介して辺り一面に降り注ぐ。
セフィーナの身体は、眩い光の粒に包まれた。
きらきらと輝く粒子が艶やかな金の髪をふわりと持ち上げる。
身体を覆う粒子は糸のように絡み合い、ドレスの形を作り上げていった。
「……えっ! これは……!?」
自らを包み込んでいた光が消えた瞬間、セフィーナは瞠目した。
つい先ほどまで夜着を着ていたはずなのに。
セフィーナの装いは、フリルをたっぷりと使ったチェリーピンクのドレスに変化していた。
それだけではない。セフィーナの艶やかな金の髪が、淡い桃色に変わってしまっている。
「変身だよ! 魔法少女は正体を隠さなくちゃいけないからね」
プーの言う事には一理ある。
セフィーナが魔法を使っている事が世間にバレてしまえば、大変な事になってしまう。だから服装や髪の色をガラッと変えてしまう事は理にかなっている……のだが。
「こんなはしたない恰好……」
「む? はしたない? どこがなの?」
「脚よ、こんなに短い裾じゃ脚が見えてしまうわ」
頬を紅潮させながらあわあわと慌てるセフィーナを見て、プーは短い首をこてんと傾けた。
セフィーナの纏う衣装は、膝丈のドレスだった。
ドレスの下にはパニエを履き込んでおり、裾がふわりと大きく広がっている。
魔法少女らしく、なんとも可愛らしい装いだ。――少なくとも、プーの感覚ではそうだった。
「む、そっかぁ。こっちの世界ではそういう感覚なんだね。じゃあこれならどう?」
プーは長いしっぽでくるりと円を描く。するとセフィーナのドレスが再び光に包まれ、形を変えた。
ドレスの裾が伸び、足首まで覆う長さに変化する。それに合わせてパニエのボリュームもやや抑えめになった。
「いいわ、これなら大丈夫よ」
「よぉし、気を取り直して行くよ!」
「ええ、行きましょう」
セフィーナは真新しいドレスの裾をそっと整え、顔を上げた。
エメラルド色の瞳には、強い意志が宿っていた。
王都の目抜き通りを外れた、ひっそりとした裏路地。
先ほどまでの嵐は既に治まっていたが、夜の街には人の気配は無い。
「このあたりで奈落獣のにおいがする。やつらは近くにいるはずだよ」
プーはセフィーナの肩に掴まりながらそう告げる。
「その奈落獣というのは、一体何なの?」
「奈落獣は、人間に襲い掛かる狂暴な魔物だよ。元々ボク達の世界に居た魔物なんだ。本来ならばこの世界に居るはずじゃなかった」
「こちらの世界の魔獣とは違うのかしら?」
セフィーナの世界にも、魔獣という生き物が存在する。
魔力を持った猛獣で、多くの場合は瘴気の強い森林地帯の奥地に生息している。
王都に出没する事はほぼ無いが、王都から離れた農村や山間部などでは、魔獣が人間を襲ったり農園を荒らしたりといった被害が珍しくないそうだ。
アダムの所属している王立魔術師団には、魔獣討伐を専門とした部隊が結成されているという。
「奈落獣を倒す力を持っているのは、魔法少女だけなんだ」
「えっ……」
「だからこの世界に落ちてきた奈落獣は、この世界の唯一の魔法少女……君にしか倒せない」
「わたくししか……倒せない」
(ただ魔力量が多いだけのわたくしに、奈落獣を倒す事なんて)
セフィーナは首元で揺れるペンダントをぎゅっと握りしめた。
怖い。
手のひらがじっとりと汗ばんでいる。
(いいえ)
「やるしかないわ」
もう覚悟は決まっている。
この魔力は、誰かを助けるために使うと決めたのだ。
「む! 居た!」
プーが指さす方向を振り返る。
裏路地の奥。月明かりさえも届かない闇の中、不自然な赤い光が二つ。ゆっくりと浮かび上がった。
「気を付けて、あれが奈落獣だよ」
「あれが……」
暗闇の中、視線を向ける。
二つの赤い光が、断続的に瞬いた。目だ。あれがあの生き物の目なのだ。
グルル……と低い唸り声が響く。途端、黒い影がゆらりと大きく揺らめいた。
黒い影は四つ足の生き物のような形を描いている。
だがその身体は煙のように揺らぎ、はっきりとした輪郭を持たない。
どう見ても普通の獣ではない。異様な姿を目の当たりにし、セフィーナはごくりと喉を鳴らした。
「来るよ!」
「……っ!」
黒い影――奈落獣が地面を蹴った。
「きゃっ!」
奈落獣はセフィーナを目掛けて飛び掛かってくる。
大きな爪の生えた前脚、鋭い牙。弾丸のような速度で目の前に襲い掛かる、恐怖の象徴。
「ひ……っ」
セフィーナは、すんでのところで転がるように逃げた。
黒い影がすぐ真横を通り抜けていく。間一髪だった。
「い、いたたっ……」
奈落獣の攻撃を回避出来たものの、セフィーナは石畳の上に倒れ込んでしまう。
手も足も擦りむいてしまったようだ。傷口がひりひりと痛む。血がにじむ。
けれど、もしあと一瞬でも避けるのが遅かったら、あの鋭い爪や牙がセフィーナの身体に容赦なく食い込んでいただろう。
(あんな化け物と……戦うの……?)
全身に鳥肌が立つ。足がすくむ。
怖い、怖い、怖い……!
「セフィーナ、攻撃だ!」
「どうやって!?」
「ペンダントに魔力を込めるんだ!」
一度攻撃を避けられたせいか、奈落獣はセフィーナの出方を伺っているようだった。
次はきっと、本気で仕留めようと狙ってくる。
奈落獣が再び地面を蹴る。
ぎらぎらと光る赤い目が、真っすぐにセフィーナを捉えた。
(怖い……でも、今しかない!)
セフィーナは震える手で胸元のペンダントを握りしめ、無我夢中でありったけの魔力を込めた。
「光は内より出でて……刃となれ!」
瞬間。セフィーナの身体から強い光が放たれた。
光は槍のように細く鋭く形を変え、まっすぐに奈落獣へと向かう。
「グォォォッ!」
光の槍が、奈落獣の身体を貫いた。
途端、奈落獣は叫喚した。
空気がビリビリと震えるような咆哮を上げた奈落獣は、やがて力尽きたのか、その場に倒れ込んだ。
「やった! 奈落獣をやっつけたよ!」
「はぁ、はぁっ……やった……の?」
「そうだよ、セフィーナが勝ったんだ! 君の力で奈落獣を倒したんだ!」
「わたくしが……」
セフィーナはなかば放心状態のまま、地面に倒れ込んだ奈落獣の姿を見つめる。
奈落獣の身体が、ゆっくりと崩れ始める。
黒い影が霧のように解け、やがて夜の空気に溶けるようにフッと消え去った。
「消えた……?」
「奈落獣は命が尽きると消滅するんだ」
奈落獣は完全に消滅した。裏路地に静寂が戻る。
聞こえるのは、セフィーナの荒い息遣いだけだった。
勝った。奈落獣に勝ったのだ。
「やりましたわ……! わたくし、奈落獣を退治しましたわ!」
セフィーナはその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、歓喜の声を上げた。
こんな姿、他の誰かに見られたらはしたないと言われてしまうだろう。淑女らしくないと咎められるだろう。
それでも、今だけは。
「魔法少女セフィーナ、初勝利おめでとう! だよ!」
「プー、ありがとう! あなたのおかげよ」
初めて魔法少女に変身してワクワクした事も。
初めて奈落獣と戦闘して、心から恐怖した事も。
生まれ持った魔力を、初めて役立てる事が出来た喜びも。
今だけは、精一杯分かち合いたかった。小さな相棒と共に。




