2 わたくし、魔法少女になります!
その夜、王都は嵐に見舞われていた。
「ひどい雨だわ……」
雨粒がガラスを叩く。強い風に吹かれ、庭の木々が大きくしなっている。
ごうごうと鳴り響く風の音が、セフィーナの不安を煽った。
ガタン!
「きゃっ!」
突然、鈍い音を立てて窓ガラスが揺れた。セフィーナは思わず驚きの声を上げてしまう。
何かが窓にぶつかったような音だった。この強風で飛ばされてきた物だろう。
セフィーナはおそるおそるカーテンを開けて窓の外を見る。窓から繋がっているテラスに、何か白い物が落ちているようだ。
「鳥……かしら?」
白い影が、雨に打たれながらテラスに倒れている。
この嵐だ。風に流されてしまった鳥が墜落してきてもおかしくはない。
まだ息はあるだろうか。
この嵐の中、窓を開けるなんて危険だ。それでも。
「……放っておけないわよね」
セフィーナは意を決して窓を開けた。
ほんの数センチの隙間を開けただけでも、雨風がびゅうびゅうと吹き込んでくる。
セフィーナは雨に濡れるのも構わず、窓のすぐ傍に落ちていたそれを拾い上げた。
「鳥じゃないわ……うさぎかしら?」
それは、手のひらほどの小さな生き物だった。
全身真っ白で、耳は長く垂れ下がっている。仔うさぎに似ているように見えるが、違うような気もする。
手のひらに体温が伝わる。呼吸をする度にふっくらとしたお腹が上下に動いた。
良かった、生きている。セフィーナはほっと息を吐いた。
けれど意識が無いのか、瞼はしっかりと閉じられたままだ。その上、小さな体はぐったりと弛緩している様子である。
「このままじゃ危ないわ……」
セフィーナはその小動物をブランケットに包むと、胸元にそっと抱き寄せた。小さくて温かな命。守りたい。
女性が魔法を使う事は禁忌。そんな事、セフィーナが一番よく分かっている。
けれど――。
「このまま死なせるくらいなら……!」
手のひらに魔力を集める。
「光は内より出でて、尊き命へ」
セフィーナの魔力が、小さな身体へ流し込まれる。
淡い光が、ふわりとその身体を包み込んだ。
それは温かくて眩しくて優しい、癒しの魔法。
甚大な魔力量を一気に流し込んでしまえば、小さな命には却って負担になってしまう。
セフィーナは魔力量を調整しながら、癒しの魔法を流し込んだ。
「……ん、ぁ……?」
ふるり、と。セフィーナの手の中の生き物がかすかに震えた。
閉じられていた瞼がゆっくりと開く。つぶらな青い目が、ぱちくりと何度も見開かれる。
「起きたわ!良かった……!」
セフィーナは安堵の声を漏らした。
強張っていた身体が一気に緩み、セフィーナはその場にへなへなと座り込んだ。
けれど、安心したのも束の間。
「ボク、気を失ってたの……?」
「え?」
(今、誰か喋ったかしら?)
セフィーナはキョロキョロとあたりを見回す。
けれどこの私室には、セフィーナ以外の誰も居ない。今は使用人も誰も傍に控えていない。
「わ! わわ! ボク生きてる!? 君、ボクを助けてくれたの?」
「え? 助け……?」
「ありがとう! 君は命の恩人だよ! ……というか、その強大な魔力……」
「え? 魔力?」
「君だ! ボクが探してた人間!」
「君? わたくしが?」
セフィーナは信じられない気持ちで、自らの手元に目を向ける。
手のひらの上に乗せた、小さな命。
真っ白でふわふわな、うさぎのような仔犬のような不思議な小動物。その生き物が。
「ボクの名前はプルート! みんなはボクのこと、プーって呼んでるんだ。よろしくね!」
胸を張ってそう名乗った。
「しゃ……」
(喋った……!?)
「ボクを助けてくれてありがとう! 嵐に巻き込まれちゃって、ボクもう死んじゃうかと思ったよぉ」
「あ……はい、無事で何より……だわ」
プーは感謝の意を示すように、小さな両手でセフィーナの指先を握った。
ふわふわの体毛とぷにぷにの肉球がセフィーナの人差し指を包む。
セフィーナは混乱しながらも、目の前の白い生き物の謝意を受け取るように答えた。
「あなたはうさぎかしら?喋るうさぎなんて初めて見たわ」
「む! ボクはうさぎじゃなくて精霊!」
遺憾の意を表すように、プーはぷくっと頬を膨らませて言った。
「精霊……」
精霊。
火や風、山や海――自然に宿る魂のような存在だと伝えられている。
けれど、セフィーナの目の前にいるのはどう見ても小動物だ。
この世界で言い伝えられている精霊とはまったく別の存在に思える。
「わたくしの知っている精霊とは違いますわね」
「む。そうなの? まあボクは違う世界から来たからね。この世界の精霊とは形が違うのかなぁ」
「違う世界……?」
セフィーナは首を傾げた。
「そう! ボクは別の世界から、君を探しにやって来たんだ」
「わ、わたくしを?」
「間違いない! 君こそがボクの世界を……そして君たちの世界を救う救世主、魔法少女なんだよ!」
「魔法……少女?」
プーは小さな拳をぎゅっと握りしめて熱弁するが、セフィーナの脳内はクエスチョンマークでいっぱいになっていた。
先ほどから目の前で起こっている出来事のすべてが理解の範疇外だった。
人語を解する小動物が、救世主やら魔法少女やらと訳の分からない事ばかりまくし立ててくる。
「何かしら? その……魔法少女というのは」
セフィーナはプーのつぶらな瞳を見つめながら小首を傾げる。
「魔法少女っていうのはね、魔法を使って世界を救う女の子のことだよ」
「女の子が、魔法を使う?」
荒唐無稽だ、と。セフィーナは即座に思った。
「女性が魔法を使うなんて、そんなのありえないわ。夢物語よ」
「む! 夢なんかじゃないよぉ!」
地団駄を踏みながら、プーは抗議の声を上げる。
けれど何かに気が付いたようにハッと目を見開くと、すぐにシュンと俯いた。
「そうだった……この世界では女の子は魔法を使えないんだったね……」
「あなたの世界では違うの?」
「ボクの居た世界では、魔力を持っている人間はほんの一握りしかいなかったんだ。この世界とは違ってね」
「誰もが魔力を持っている訳じゃないの?」
「そう、だから魔法使いはみんなの憧れなんだよ! 中でも魔法を使って人助けをする女の子のことを、ボクたちは『魔法少女』って呼んでいたんだ」
「女の子も……魔法を使っていいの?」
セフィーナは雷に打たれたような衝撃を受けた。
女性が魔法を使ってもいい世界? そんなものが本当に存在するの?
「うん! 自由に魔法が使えるんだ。誰かを助けるために使ってもいい。世界を豊かにするために使ってもいいし、自分のために使ってもいいんだよ」
あ! でも人に迷惑をかけるような使い方をしちゃダメだからね! と、プーは慌てて付け加えた。
魔法は誰かを助けるために使っていい。
その言葉は、胸の奥に静かに落ちていく。
――そういえば。
昔、似たようなことを考えたことがあった。
「……あ」
その時、セフィーナは思い出した。
まだ幼かった、あの日のことを。
その日、セフィーナは家庭教師から魔力操作の訓練を受けていた。
「このように身体の内側に意識を集中させる事で、魔力を循環させる事が出来ます」
セフィーナは教師の言葉に頷くと、見よう見まねで両手を組んだ。
「光は内より出でて、また内へ巡れ」
胸の前で組んだ手に力を込め、教えられた通りに呪文を唱える。
まずは体内に貯め込まれた魔力を手のひらに集中させる。そして手のひらを起点に、身体の中をぐるぐると巡らせ、また手のひらに戻す。
セフィーナの体内を、温かな何かが巡っていく感覚がした。
「できましたわ」
「素晴らしい。まだ八歳でここまで正確な魔力操作が出来るなんて」
「ありがとうございます、先生」
「この調子で魔力を循環させる訓練を続けましょう。そうすればお嬢様の魔力量は更に増大します」
教師から褒められたセフィーナは、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「先生。わたくしの魔力は光属性だと、魔術協会の方に言われました。光属性というのは癒しや浄化の魔法が得意なのでしょう?」
「そうです。光属性の持ち主は、治癒士や教会の聖徒として活躍される方が多いですね」
「では、わたくしも癒しの魔法を教えていただけるのですね?」
「……!」
セフィーナの言葉に、教師は顔色を変えた。
「お嬢様にそのようなものは必要ありません」
「なぜでしょう? わたくしは生まれつき魔力量が多いと聞きました。ならばきっとたくさんの人を助けられるはず……」
「女性に魔法は必要ありませんので」
セフィーナを叱責するように、教師はぴしゃりと言い放った。
「女性が魔法を使う事は禁忌です」
更に低い声で咎められる。
それまで優しかった教師が、一瞬で別人に変わったようだった。
セフィーナの顔が俄かに強張る。
「でも……」
パリン!
「きゃっ!」
尚も食い下がろうとするセフィーナだったが、何かが割れるような音と小さな悲鳴がそれを遮った。
セフィーナは、音の聞こえた方に視線を向ける。
床に破片が散らばっていた。
どうやらティートロリーに乗せていたカップが落下したようだ。
「申し訳ございません……!」
傍らにいた年若いメイドが、青ざめた顔で割れた破片を拾い集める。
まだ仕事に不慣れだったのだろう。慌てた様子があまりにも不憫だったので、セフィーナは優しく声をかけた。
「あわてなくて大丈夫。ケガをしないように気を付けてね」
「ああ、お嬢様…!申し訳ござ……ッ!」
セフィーナが宥めるのも聞かず、メイドはパニック状態のまま素手で破片に触れてしまった。
途端、赤い血が使用人の指先に滲んだ。
その瞬間。セフィーナは椅子から立ち上がり、彼女の元に駆け寄った。
無意識だった。
ただ、思ったのだ。
(わたくしなら治せる)
セフィーナは、血の滲む指先に手をかざした。
(治って、おねがい!)
「光は内より出でて、傷を癒せ」
セフィーナの手のひらから光が溢れる。
光は傷ついた指先を柔らかく包み込んだ。
血が止まり、傷口がゆっくりと閉じていく。
淡い光が消えた頃には、メイドの指先はすっかり元通りになっていた。
(良かった……。これが癒しの魔法。わたくしにも使えたわ)
ほっと安堵の息を漏らした瞬間だった。
「お嬢様!」
鋭い声が部屋に響く。
ハッと顔を上げると、そこには怒りに顔を歪めた教師と、凍り付いた表情のメイドが立ち竦んでいた。
「魔法を使うなんて! 何故そんな恥知らずな事をしたのです!」
「あぁ、お嬢様、なんて事を……。申し訳ございません、私が怪我をしたばかりに……!」
「ど、どうして……傷は治ったでしょう? 良い事ではないの?」
「女性が魔法を使う事は禁忌。お嬢様の行いは、『良い事』ではなく『悪い事』なのですよ」
教師の言葉は、セフィーナに強い衝撃を与えた。
なんて理不尽。なんて不合理。
この時、セフィーナは深く思い知ったのだ。
どんなに魔力量が多くても。どんなにこの力で誰かを助けたいと思っても。
女性である限り、それは許されないのだと。
魔法で誰かを助けたい。
セフィーナが幼い日に願った想いは、この世界の理というものに踏みにじられた。
けれど。
もしプーが言うように、『魔法少女』というものになれるのなら。
幼いあの日に踏みにじられた想いを、もう一度拾い上げたい。
「わたくしは……」
なりたい。誰かに望まれた自分ではなく、自らが望む自分に。
セフィーナはぎゅっと拳を握りしめる。
「……なります。わたくし、魔法少女になりますわ!」
そして決意の声を上げた。
その目には、強い意志が宿っていた。
『誰かを助けたい』という想い。ひたすらに愚直で、けれど誰よりも高潔な意志。
「やったぁ!」
プーは歓喜の表情を浮かべ、ぴょこぴょことその場で小さく飛び跳ねた。
「よろしくね! ええと……そうだ、君の名前は?」
「あら、自己紹介がまだでしたわね」
セフィーナとプーは互いに顔を見合わせて笑った。
「わたくしはセフィーナ。セフィーナ・ウェストンよ。よろしくね、プー」
「よろしくね、セフィーナ。魔法少女として一緒に頑張ろう!」




