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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
第九章 割に合わない、はずだった

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割に合わない、はずだった


 アリスの懐柔に失敗した静寂院が、次に、どう動くか。


 リゼットは、それを、こう読んでいた。


「向こうは、もう、記録を、消せません」


 彼女は、仲間たちに説明した。


「エミール先生の、師の手記も。先生の、四十年分の覚え書きも。私の、全記録も。すべて、写しが、各所に、散っています。一つを、燃やしても、残りが、残る。──だから、静寂院が、今さら、誰かを、消しても、意味が、ありません。合理的に、考えて」


 その言葉に、迷いはなかった。


 かつて、屋敷で、セヴランを、詰めた、あの論理。「私を消しても、記録は消えない」。それは、正しかった。だから彼女は、その正しさを、信じきっていた。


 人にまで、拡張して。


「エミール先生は、狙われませんか」


 アリスが、不安そうに聞いた。


「狙う理由が、ありません」


 リゼットは、即答した。


「先生の知識は、もう、先生の中だけの、ものでは、ない。消しても、無駄です。──割に、合いません」


 それが、彼女の、最大の、そして、生涯でただ一度の、致命的な読み違いだった。



     * * *



 その数日前。


 リゼットは、星屑堂を、訪れていた。


 エミールは、いつものように、ランプの下に座っていた。だが、その日、彼は、少しだけ店の外を気にしていた。


「リゼット。近頃、店の前に、見慣れぬ者が、立つ」


「静寂院、でしょう。見張りです」


「わしを、消しに来る、かもしれん」


「来ません」


 リゼットは、笑った。


「先生の研究は、もう、各所に、写しがあります。先生を、消しても、彼らには、何の得も、ない。合理的に、考えれば、殺しません。──だから、大丈夫です」


 エミールは、その言葉を聞いて。


 少しだけ、寂しそうに笑った。


「……おまえは、賢い。賢すぎる。だがな、リゼット。人は、いつも、割に合うことだけを、する、わけでは、ない」


 その言葉を。


 リゼットは、聞き流した。


 合理的でない行動は、予測の対象外だ。そう、思っていた。



     * * *



 報せが届いたのは、その三日後の、夜だった。


 バルト街で、火事。星屑堂が、焼けている、と。


 リゼットは、馬車を、飛ばした。心臓が、嫌な鼓動を、打っていた。合理的でない。ありえない。割に、合わない。頭の中で、その言葉が、何度も、回った。


 着いた時。


 星屑堂は、半ば焼け落ちていた。


 そして、その焼け残った店の奥で。


 エミールが、倒れていた。



     * * *



「先生……! 先生!」


 リゼットは、駆け寄った。


 老人は、まだ辛うじて息をしていた。だが、その傷は、火傷ではなかった。刃物の傷だった。誰かが彼を刺し、そして、店に火を放った。


「……リゼット、か」


 エミールが、掠れた声で言った。


「先生! 今、医者を! しっかり──」


「無駄じゃ。……分かる。四十年、死を、見てきた、身じゃ。自分の、番くらい、分かる」


 エミールの震える手が、床の一点を指した。


 焼け残った床板の下。そこに、油紙に包んだ、彼の四十年分の覚え書きと、師の手記が隠されていた。彼は、刺されてなお、それを火から守ったのだ。


「……守った。おまえに、渡す、分は。──燃やさせは、せん」


「先生……なんで……なんで、こんな……」


 リゼットの声が、震えた。


 合理的でない。割に、合わない。意味が、ない。──なのに、目の前で、彼女のいちばん古い同志が、死のうとしている。


「言った、じゃろう。……人は、割に、合うことだけを、する、わけでは、ない」


 エミールは、血の混じった息で、笑った。


「わしの、師は、孤独に、消えた。……だが、わしは、違う。おまえに、問いを、渡せた。……四十年、待った、甲斐が、あった。──のう、リゼット。問いを……消すな」


 その、最後の言葉を。


 リゼットは、確かに聞いた。


 エミールの手が、床に落ちた。


 もう、二度と、動かなかった。



     * * *



「……安らかな、最期とは、言えませんな」


 背後から、穏やかな声がした。


 振り返ると、焼け跡の入口に。


 灰色の長衣の、セヴランが、立っていた。


「あなたが……あなたが、やったのですか」


 リゼットの声は、低かった。これまで、誰にも、向けたことのない、温度だった。


「私が、命じました」


 セヴランは、否定しなかった。


「なぜ……! 意味が、ないはずです! 先生を、消しても、記録は、残る! 割に、合わない! あなたたちは、記録を、消せないと、悟ったはずだ! なのに、なぜ──!」


「──それが、あなたの、間違いです、シルヴァーヌ嬢」


 セヴランの声は、悲しげ、ですらあった。


「あなたは、これを、"割に合う・合わない"の、話だと、思っている。損得の、計算だと。──違います。私は、損得で、動いてはいない」


 彼は、焼け跡の空を見上げた。


「あなたと、あの光属性の少女が、揃えば。封印は、解ける。旧い魔法が、解き放たれる。……かつて、フロストという、文明が、ありました。世界の真実に、近づきすぎて、均衡を、崩し、一夜にして、滅んだ。──私は、それを、本気で、恐れている」


 セヴランの目が、リゼットを見た。冷酷ではなかった。むしろ、必死だった。


「あなたを、止めるためなら。私は、老人一人の命でも、使う。世界を、滅ぼさないために。──これは、悪意では、ありません。恐怖です。あなたが、正しいかもしれない、という、恐怖です」


「……黙れ」


「あなたは、記録を、信じすぎた。記録は、残せる。だが──守れは、しない。人の、命は。今夜、あなたは、それを、学んだはずだ」


「……なぜ、先生だったのですか」


 声が、掠れた。


「アリスでも、父でもなく。なぜ」


「あなたが、守らなかったからです」


 セヴランは、振り返りもせずに、答えた。


「申し出は、読みました。三度、出しておられましたね。──三度とも、断られた」


 リゼットの息が、止まった。


「あの老人が断ったのは、当然です。四十年、目立たぬことで生き延びてきた人だ。──ですが、うかがいます。断られて、あなたがたは、なぜ、引いたのですか」


 答えは、出なかった。


「侯爵邸には人を増やした。あの少女には護衛をつけた。王太子の周りは、そもそも固い。──断られた場所だけ、そのままにした」


「それは……本人の、意志を」


「意志を、尊重なさった。尊重できる理由が、あったからです」


 セヴランの声は、静かだった。だからこそ、逃げ場がなかった。


「あなたは、こう読んでいた。──過去の恩師を狙う意味はない。割に合わない。だから、押し切ってまで守る必要はない。……断られたことと、あなたの計算が、都合よく、噛み合った。噛み合ったから、三度目で、終わりにできた」


「──」


「もし、あなたの計算が逆だったなら。四度目の申し出を、出しておられたはずだ。五度目も。店の向かいに部屋を借りてでも、置いておられたはずだ。あなたは、そういう人です。……今回だけ、しなかった」


 セヴランは、そこで初めて、少しだけ声を落とした。


「私は、あなたの計算の、外側を、選んだのではありません。──あなたが、いちばん、押し切らない場所を、選んだのです。合理は、正しい。ただ、合理は、断られた者を、追いかけない」


 セヴランは、静かに背を向けた。


「もう一度、言います。──引き返しなさい。次に、消えるのは、あなたの、隣にいる、誰かかもしれない」


 彼は、灰色の長衣を翻し、闇へ消えた。



     * * *



 残された、リゼットは。


 焼け跡の、真ん中で。


 動けなかった。


 その手には、エミールが命がけで守った覚え書きが、握られていた。


 まだ、温かい。


 紙は、守れた。問いは、残った。記録は、消えなかった。


 だが、その紙を渡してくれた人は。


 二度と、戻らない。


 リゼットは、初めて理解した。


 自分の武器が。合理と、記録が。今夜、通用しなかったことを。


 いや。


 通用しなかったのでは、ない。


 彼女の、その合理的な計算こそが。


 「割に合わないから、殺さない」という、その正しいはずの、読みこそが。


 エミールを、守らせなかった。


 殺したのは、静寂院だ。


 だが、油断させたのは。


 彼女、自身だった。


「……先生」


 リゼットは、焼け跡に膝をついた。


 声が、出なかった。


 涙も、まだ出なかった。


 ただ、胸のどこかが、音を立てて崩れていくのを。


 彼女は、生まれて初めて、"記録"できずに、ただ感じていた。


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