あなたは、道具ではありません
アリスが息を切らして演習場に飛び込んできた時、リゼットは、すぐに異変を察した。
「静寂院の、セヴランに、会いました」
アリスは震えながら、一部始終を話した。甘い勧誘。光属性が封印を解く鍵だという話。危険だ、道具にされている、という脅し。そして、断罪の予告。
リゼットは黙って聞いていた。話が終わると、静かに頷いた。
「よく断りました。よく、根拠を問い返しました。──見事です、アリス」
「でも……」
アリスの声が細くなる。
「あの人の言ったこと、少しだけ、本当かもって、思っちゃって。私の光が、暴走したら。私のせいで、国が滅んだら。私、みんなを、傷つけるんじゃ……」
リゼットは、アリスの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせる。
「アリス。一つ、はっきりさせておきます」
その声は、いつになく静かで、真剣だった。
* * *
「あなたは、道具では、ありません」
リゼットは言った。
「私は、あなたを"鍵"と呼びました。"被験体"とも呼びました。それは事実です。あなたの光は、結界を救う鍵です。──ですが、それは、あなたの一部にすぎません」
リゼットは、アリスの光る手を、そっと両手で包んだ。
「もし、共鳴発動が失敗しそうになったら。あなたの光に、少しでも負荷がかかりそうになったら。私は迷わず、実験を止めます。結界を諦めても、です」
「え……でも、結界は、国が……」
「あなたのほうが、大事です」
リゼットは、即答した。
アリスの目が、見開かれた。
「セヴランは、私があなたを道具として使い捨てる、と言いました。違います。私の研究には、絶対のルールがあります。──被験体を、壊さない。危険が許容を超えたら、止める。それは、五歳の日から、一度も破っていません」
リゼットは、アリスの手を握る手に、少しだけ力を込めた。
「あなたが、国を救う鍵だから、大事なのでは、ありません。順番が、逆です。あなたが、大事だから。──だから、あなたに、無理は、させません。結界より、先に、あなたを、守ります」
アリスの目から、涙があふれた。
「……リゼット、様」
「泣かないでください。記録が滲みます」
「今、手記、持ってないじゃ、ないですか……!」
「では、心の手記が滲みます」
アリスは、泣きながら笑った。
こわい男の甘い言葉には、なびかなかった。それは、この人がずっと、証拠と記録と行動で示してくれたからだ。都合のいい嘘を言わない人。危険なら、止める人。国より、自分を守ると言ってくれる人。
アリスは、もう迷わなかった。
そこへ、菓子の袋を抱えたカルロスが、戻ってきた。
事情を聞いた瞬間、袋を置いた。
「──で、そいつ、どっちに行った」
「追いかけては、いけません」
「なんでだよ! アリスが、脅されたんだぞ!」
「追いかけて殴れば、向こうの筋書き通りです。『危険な平民が、調停官を襲った』。断罪の材料が、一つ、増えます」
カルロスは、拳を握ったり、開いたりしていた。
それから、大きく息を吐いて、菓子の袋をアリスの前に、どさりと置いた。
「……食え。甘いもんは、こわかった日に、効く」
「うん。……ありがと」
「俺の分も、残せよ」
その夜の菓子は、いつもより少しだけ、甘かったという。
* * *
その夜、リゼットは手記に、断罪の予告を書き留めた。
『静寂院、アリスへの直接接触。懐柔失敗。──次は、公の場での断罪。時期、近い。』
『対策:アリスを、道具の告発から、守る。断罪の筋書きを、先回りして、記録で潰す。』
そして、少し考えて、もう一行書き足した。
『注記:アリスは、強くなった。もう、逃げない。』
その一行を、リゼットは少し長く見つめていた。
初めて会った日、壁際で震えていた少女。今は、静寂院の調停官の前でさえ、逃げずに立っている。
研究の成果ではない。だが、それは、リゼットがこの学院でいちばん誇らしく思う、変化だった。
ただし、"誇らしい"という感情の分類に、彼女はまだ慣れていない。手記の隅には、こうある。
『本日の未分類:胸の奥が、あたたかい。原因はアリスの成長。対処:不要。むしろ、保存。』
* * *
一方、その頃。
ルイスは、深刻な問題を抱えていた。
恋を自覚してから、彼は、リゼットにうまく話しかけられなくなっていた。
今までは、平気だった。婚約者として、事務的に接していればよかった。だが、"好きだ"と自覚した途端、隣に立つだけで、妙に意識してしまう。
「殿下。今日の、食事管理の確認ですが」
「あ、ああ」
「ちゃんと、聞いていますか」
「聞いている!」
声が、裏返った。
リゼットが、不思議そうに首を傾げる。
「殿下。近頃、様子がおかしいです。顔が、時々、赤くなります。脈も、速いようです。──どこか、お悪いのですか」
「悪くない」
「熱を、測りましょうか」
「いい! 測るな!」
ルイスは、リゼットの手から逃げるように後ずさった。
「では、問診にします。症状は、いつからですか」
「問診もするな!」
脈が速い。顔が赤い。原因は、目の前のこの女だ。だが、それを本人に説明するわけにはいかない。説明しても、たぶん、通じない。
(……こいつは、俺の症状を、観測しようとしている)
ルイスは、頭を抱えた。
恋を自覚した相手が、自分の恋の症状を"病気"として、真顔で測定しようとしてくる。
これほど、報われない片思いがあるだろうか。
少し離れた場所で、その一部始終を見ていたマリーが、そっと涙を拭った。
「殿下……お労しや……」
八年、リゼットに振り回されてきた侍女長は、今、初めて、リゼット以外の人間に、心から同情していた。
後日、ルイスは、ギルバートに真顔で相談した。
「顔が赤くなるのを、止める方法は、ないか」
「ございません」
「即答するな」
「僭越ながら、殿下。それは、止めるものではなく、伝えるものかと」
「……まだ、早い」
「かしこまりました。では、当面は、赤いままで」
「他人事だと思って」
「他人事でございますので」
主従の会話は、平行線のまま、夜が更けた。
王太子の、長い、長い片思いは。
まだ、始まったばかりだった。




