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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
第八章 誰の言葉か

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掘るほど、敵は焦る

 研究が、深まるにつれて。


 リゼットは、視線が増えたことに、気づいていた。


 学院の、廊下。図書館の、隅。研究室の、窓の外。誰かが、こちらを、見ている。灰色の気配。静寂院の、目だった。


「最近、見張りが、露骨です」


 ある日、リゼットは、淡々と言った。


「以前は、もっと、隠れていました。今は、隠す気も、ないように、見えます。──焦っている証拠です」


「なぜ、焦る」


 ルイスが、尋ねる。


「私たちが、掘り当てたものの、せいです」


 リゼットは、机の上の手記の山を見た。


「禁忌は、制御の失敗にすぎない、と暴いた。フロストの滅亡は、やり方の問題だった、と証明した。世界の魔法は、削られた残骸だ、と気づいた。──これらは、静寂院にとって、いちばん聞かれたくない話です」


 見張りの記録は、すでに、帳面一冊分になっていた。


 発見が、いちばん多いのは、カルロスである。


「今日も、いたぜ。図書館の、二階。本を、逆さまに、持ってた」


「逆さま」


「あいつら、見張りは、上手いのに、本を読むふりが、下手なんだ」


「記録します。『監視員、読書の擬態、稚拙』」


 笑い話の形をしていたが、笑い話ではなかった。数は、週ごとに増えていた。


     * * *


 そして、その週。


 初めて、実害が出た。


 王都の南で、リゼットの教材の写しを預かっていた、小さな写字工房が、店を畳んだ。


 五か所に散らした写しの、一つである。焼かれたのでも、奪われたのでもない。


 工房の主人が、自分から、返してきたのだった。


『申し訳ございません。近ごろ、店の前に、立つ方が、増えました。うちには、職人が四人おります。妻も、子も、おります』


 添えられていたのは、それだけだった。


 リゼットは、返された束を、しばらく見ていた。


「……脅されたのですか」


「たぶん、脅されても、いない」


 カルロスが、静かに言った。


「立たれただけだろ。毎日、店の前に。──それで、十分だ」


 リゼットは、答えなかった。


 散らせば、消せない。それは、正しい。写しは、まだ四か所にある。記録は、一枚も、失われていない。


 だが。


 "預かる側の人間"を、彼女は、一度も、条件表に載せていなかった。


 紙を疑った。光も、箱も、術者も、記録者も、第三者も、疑った。人間を条件表に載せたことを、あれほど誇っていたのに。


 預かってくれる人が、こわがること。


 それだけは、数えていなかった。


『管理項目、追加:写しの、預かり手の、安全。』


 書いてから、リゼットは、その一行を、長く見ていた。


 書いても、あの工房は、戻らない。


 管理項目を増やすことでは、埋まらない穴が、あるらしい。


 その感触を、彼女は、この時、初めて知った。


 そして、知ったばかりのその感触を、まだ、正しく怖がる術を、持っていなかった。


 ルイスは、学院の警備を、静かに、二重にした。リゼットの、寮の周り。アリスの、周り。研究室の、周り。──守るべき場所は、すべて、固めた、はずだった。


 バルト街にも、手は、伸ばしていた。


 王太子の名で、星屑堂へ、警備の申し出が、三度、出されている。三度とも、断られていた。


『御厚意、痛み入る。だが、断る』


 二度目の返書は、こうだった。


『わしの店に王家の衛兵が立てば、あの店には守る値打ちのものがある、と看板を出すようなものじゃ。四十年、目立たぬことだけで生き延びてきた老人に、今さら、旗を立てさせなさるな』


 三度目の返書は、一行だけだった。


『年寄りより、若いのを、守りなされ』


 ルイスは、その一行を、机の抽斗にしまった。


 しまってから、しばらく、抽斗を閉めなかった。


 サイラスも、同じ頃、私費で人をつけようとして、同じ理由で断られている。二人とも、押し切らなかった。押し切れば、老人の四十年の流儀を、否定することになると思ったからだった。


「先生の、お店は……?」


 アリスが、ふと聞いた。


「バルト街は、王都の、真ん中です。人通りも、多い。それに、静寂院が、狙うのは、研究の、"進行"です。過去の、恩師では、ありません」


 リゼットの、答えは、合理的だった。


 合理的であることと、正しいことは。──別の、問題だった。



     * * *



 同じ頃。


 静寂院の、一室で。


 調停官セヴランは、部下から報告を受けていた。


「シルヴァーヌ嬢の、研究班の、動向です」


 部下が、書類を読み上げる。


「禁忌術式の、再検証。フロスト遺跡資料の、解析。そして──旧体系を、体系化して、"世界に、公開する"計画」


 その、最後の一言で。


 セヴランの指が、止まった。


「……世界に、公開する、だと」


 彼の声は、静かだった。だが、その静けさの奥に、これまでにない深い恐怖が、あった。


 セヴランは、立ち上がり、窓の外を見た。


「あの令嬢は、分かっていない。──いや。分かっていて、なお、やろうとしている。だから、恐ろしい」


 彼は、拳を握った。


「四百年前、フロストが、滅んだ。封印された魔法を、力ずくで、開いたからだ。世界の均衡が、崩れた。我々静寂院は、その二の舞を、防ぐために、蓋をし続けてきた。──なのに、あの令嬢は、封印を、開くだけでは、飽き足らず。それを、世界中の、誰にでも、配ろうとしている」


 セヴランの目が、暗く光った。


「制御されない魔法が、万人の手に、渡る。それは、フロストの過ちの、何万倍もの、規模の、破局だ。──世界が、滅ぶ。彼女は、善意で、世界を、滅ぼそうとしている」



     * * *



 セヴランは、リゼットの"やり方"を、知らなかった。


 段階的に。制御して。記録して。共有する。──フロストの、三つの過ちを、リゼットが、最初から、避けていることを。彼は、知らなかった。


 彼が見ていたのは、ただ一つ。


 「封印された魔法を、世界にばらまく」という、結果だけ。


 その結果が、彼の目には。四百年前のフロストの滅亡の、はるかに巨大な再来として、映った。


 だから、彼は。


 止めなければ、ならないと、信じた。


 どんな手を、使っても。


「もう、様子見の、段階では、ない」


 セヴランは、低く言った。


「あの令嬢が、研究を、完成させ、世界に、公開する前に。潰す。彼女の、心を、折る。研究を、続けられなく、する。──そのためなら」


 彼は一瞬、目を伏せた。


 その顔に、ためらいがよぎった。だが、それは、すぐに消えた。


「そのためなら、多少の、犠牲は、やむを得ない。世界を、救うためだ」


 彼の中で、恐怖は、すでに正義に変わっていた。


 部下が、退出の間際に、一つだけ尋ねた。


「……調停官殿。標的は、令嬢では、ないのですか」


「令嬢は、折れない。あれは、脅しても、罠にかけても、証拠で、殴り返してくる」


 セヴランは、窓の外の王都の灯りを見ていた。


「人の心は、術式より、単純だ。──いちばん、固い心を、折るには。いちばん、柔らかい場所を、探せばいい」


 部下は、一礼して消えた。


 そして、正義を、確信した人間ほど。


 残酷なことが、できる。



     * * *



 その夜。


 リゼットは、研究室の窓から、遠く王都の灯りを見ていた。


 どこかで、静寂院の目が、光っている。彼らは、焦っている。焦った敵は、動く。


「……近いですね」


 リゼットは、静かに呟いた。


「向こうが、大きな一手を、打ってくる。たぶん、もう、すぐ」


 彼女は、手記に一行、書いた。


『静寂院、焦燥。研究の進展を、脅威と認識。──近く、大きな行動に出る可能性、大。』


 書いてから、彼女は、ふと思った。


 いつか、あの灰色の男と、正面から向き合う日が来る。その時、私は、証明してみせる。あなたの恐怖は、正しい。だが、その解決は、間違っている、と。フロストは、やり方で滅んだ。私は、そのやり方を避けている、と。


 そうすれば、たぶん、話が通じる。


 彼女は、そう思っていた。


 まだ、この時は。


 言葉が、通じる相手だと。


 だが、恐怖に駆られた人間は。


 反証を聞く前に、動く。


 そして、リゼットが、まだ気づいていなかったのは。


 自分が、警戒している場所──結界。アリス。自分自身。その、どれでもない、無防備な場所が、一つ、残っていた、ということ。


 バルト街の、古びた古書店。あの老人のいる場所を。


 彼女は、"守るべき対象"として、数えていなかった。合理的に考えて、そこを狙う意味は、ない。──そう、計算していたから。


 嵐の、前の。


 最後の、静けさが。


 学院の夜に、静かに満ちていた。


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