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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
第八章 誰の言葉か

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カルロスの、なんか変

 研究は、一つの壁に突き当たっていた。


 古代魔導書の、いちばん深い層。そこに書かれた術式の一群が、どうしても読めない。


「記号は、追えます。文法も、たどれます。ですが、通りません」


 リゼットは、めずらしく苛立っていた。


「この術式、部分ごとには意味が分かります。なのに、全体を組み上げると、破綻する。どこかに、私が見落としている前提がある。──三日、考えて、分かりません」


 三日、分からない。それは、リゼットにとって、めったにないことだった。


 アリスが心配そうに覗き込む。エドガーも腕を組んで唸っている。ルイスは、食事を運ばせながら、静かに見守っていた。


 三日間の記録は、こうである。


 一日目、リゼットが仮説を七つ立てて、七つ潰した。


 二日目、エドガーが、帝国式の読み替えを試して、三つ潰した。ついでに、二人の議論が白熱しすぎて、アリスの手が、三回挙がった。


 三日目、リゼットは、めずらしく、無言になった。無言のリゼットは、荒れた海より不穏である、というのが研究班の共通見解だった。


「な、なんか、飲み物、入れますね……!」


 アリスが、逃げるように席を立った。


 ルイスは、そんな研究室に、何も言わず、果実水と焼き菓子を置いていった。置く位置は、リゼットの右手の、帳面の邪魔にならない場所。三日目には、置き方まで、上達していた。


 そして、カルロスは。


 三日目の昼、研究室にいなかった。


 窓から見下ろすと、演習場の脇の水路のふちに座って、洗い場の水面を、ぼんやり眺めていた。学院の下働きが、洗った布を、次々に水へ通している。


「……あいつは、何をしているんですか」


 エドガーが、呆れた声で言った。


「サボりでは、ないと思います」


 リゼットは、窓辺から動かなかった。


「あの人は、分からない時、必ず、外に出ます。図に見飽きた目を、一度、洗いに行くのだと思います」


「洗いに」


「私は、それができません。私は、分からない時、もっと近くで見ようとします。──近づきすぎて、見えなくなります」


 やがて、カルロスが戻ってきた。


 手に、術式図の写しを一枚、持っている。持ったまま、机の隅に座り、それを逆さまにしては、首を傾げていた。


 外の光を、一度浴びてきた目が、紙の上を、ゆっくり滑っていた。



     * * *



「なあ、リゼット」


 カルロスが、間の抜けた声で言った。


「これ、なんか、変じゃね?」


「どこがですか」


「いや、分かんねえけど。──なんか、変。この、真ん中の線。ここだけ、他と、"呼吸"が違う気が、する」


「呼吸」


 リゼットは、その言葉を繰り返した。


「魔力の流れの、リズムのことですか」


「あー、そういう難しいのは、分かんねえ。ただ、他の線は、みんな同じテンポで歩いてるのに。この線だけ、一人だけ、逆走してる、みたいな。──俺、そういう、"みんなと歩調の合ってないやつ"を見つけるの、得意なんだ。教室でも、いっつも、浮いてる側だったから」


 リゼットの手が、止まった。


 逆走。歩調が、合っていない。


 彼女は、カルロスの指さした、真ん中の線をじっと見た。そして──息を呑んだ。


「……逆位相」


「なんて?」


「この線だけ、位相が逆です。他の線が右回りに流れているのに、これだけ、左回り。だから、全体を組むと破綻していた。──私は、全部の線が同じ向きだと、思い込んでいた。この一本だけ、逆に流れることを、前提にしていなかった」


 リゼットは、震える手で、術式を組み直した。


 真ん中の線を、逆向きに。他の線を、順向きに。


 すると。


 破綻していた術式が。


 するりと、通った。



     * * *



「……通りました」


 リゼットは、呆然と呟いた。


「三日、私が理屈でたどり着けなかった前提を。カルロス、あなたは、"なんか変"の一言で、破りました」


「え、俺、なんか、すごいこと、した?」


「しました」


 リゼットは、真顔でカルロスを見た。


「私は、全部の線が揃っている、という思い込みに囚われていました。整った、美しい前提に。──ですが、あなたは、その"揃った美しさ"の中に、たった一本混じった、"歩調の合わない線"を、感覚で見つけた。理屈は、美しさに騙されます。あなたの直感は、騙されない」


 カルロスは、照れくさそうに頭を掻いた。


「なんか、よく分かんねえけど。俺みたいな、はみ出し者にも、使い道があるってことか」


「使い道、ではありません」


 リゼットは、即答した。


「あなたにしか、できない役割です。──理屈がいちばん届かない場所を、あなたは直感で埋める。私と、あなたは、正反対で、だから、組むと強い」


 アリスが横で、うんうん、と頷いた。


「私も、そう思います。カルロスくんの『なんか変』、何回も助けられました」


「お前ら、俺のこと、褒めすぎだろ。……悪い気は、しねえけど」


「では、記録します。『カルロスの直感、三日分の理屈に勝利』」


「そういうのは、記録しなくていいんだよ!」


 記録された。


 なお、エドガーは、この一部始終を見て、しばらく黙り込んでいた。


「どうしました」


「……帝国の解読班には、精鋭が三十人いる。三十人がかりでも、たぶん、この壁は越えられなかった」


「でしょうね」


「そこは謙遜しろ。……いや、違うな」


 エドガーは、カルロスを見た。


「三十人の精鋭には、"はみ出し者の目"が、一人分も、なかった。それだけの話だ。──帝国に帰ったら、解読班の採用基準を、書き換えさせる」


「俺、いま、帝国の制度を変えたのか?」


「変えた。誇れ」


 カルロスは、誇っていいのか分からない顔で、菓子を齧った。



     * * *



 その夜、リゼットは手記に書いた。


『解読の壁:一本の線の"逆位相"を見落としていた。』

『発見者:カルロス(直感)。』

『教訓:整った前提ほど、疑いにくい。"揃っている"という思い込みが、いちばんの死角。』


 書いてから、彼女は少し考えて、もう一行足した。


『注記:私一人では、この壁は、越えられなかった。』


 リゼットは、その一行をじっと見た。


 五歳の日、彼女は一人だった。誰にも理解されず、たった一人で、床の陣に恋をした。すべてを、自分の理屈で解いてきた。


 だが今は。


 自分の理屈が届かない場所を、逃げない平民が、直感で埋めてくれる。怯えていたヒロインが、光を注いでくれる。他国の皇子が、外の視点をくれる。婚約者が、倒れる前に、食事を運んでくれる。


 一人では越えられなかった壁を。


 みんなで、越えている。


「……悪くない、研究班です」


 リゼットは、静かに呟いた。


 その声は。


 いつもの、事務的なものとは、少し違って。


 どこか、あたたかかった。


 窓の外で、研究室の灯りが、夜の学院に、ぽつりと灯っている。


 その灯りの下で、四人は、また床に這いつくばって。


 消された魔法を、一行ずつ、読み解いていく。


 誰も、欠けることなく。


 まだ、この時は。


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