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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第五章】鍵と、消された頁

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問いは、続く

 どれほど忙しくても。


 リゼットは月に一度、バルト街の古書店『星屑堂』を訪れた。


 そして、月に一度は、王宮の小実験室にも顔を出した。


 こちらは、研究のためというより、条約のためである。


 十二歳の秋。ルイスが持ち込んだのは、術式でも報告書でもなく、木の実の砂糖漬けが入った小箱だった。


「南方の献上品だ。三粒食え」


「試料ではないのですね」


「食い物だ。試料にするな」


 リゼットは一粒つまみ、しばらく黙り、二粒目に手を伸ばした。


「甘いです」


「感想が短いな」


「甘い、以外の観測項目がありません」


 ルイスは笑った。笑ってから、机の端に積まれた計算用紙を、勝手にめくり始めた。以前なら「見てもいいか」と聞いた。今は、聞かない。聞かなくていい程度には、この机の上を許されている。


「……ここ、桁が一つ落ちてないか」


「落ちていません。単位を変えました」


「先に書け」


「書きました。三枚前です」


「三枚前は読まん」


「読んでください」


 言い合いながら、二人とも手は止まらない。ルイスが数字を読み上げ、リゼットが書き取る。いつの間にか定着した分担だった。


 帰り際、ルイスは扉のところで一度だけ振り返った。


「次は、四十日後だ。公務が詰まっている」


「では、四十日ぶん、質問をためておきます」


「ためるな。手紙に書け」


「手紙は、返事が遅いです」


 その一言に、ルイスが何と答えたのかを、マリーは廊下で聞いていた。聞いたが、帳面には書かなかった。


 書かない日も、あるのである。


 扉を開けると、古い鈴が、いつもの音で鳴る。この音を聞くと、リゼットの頭の中で、一か月分の質問が、勝手に整列を始めるのだった。


 師の手記を受け取ったあの日から、エミールとの師弟関係は続いていた。いや──受け取った日から、ようやく本当の師弟になった、と言うべきかもしれない。


「ほう。今度は、共鳴発動の理論か」


 十三歳になったリゼットが持ち込んだ研究を、エミールはランプの下で覗き込んだ。


 白い髭は以前より少し薄くなった。背も、より丸くなった。だが、その目だけは、四十年前、師と封印書庫の奥を覗き込んだ頃と同じ光を湛えていた。


「複数の術者で、位相を合わせる、か。……昔、師と話したことがあるな。旧い魔法は、一人で使うものではなかった、と」


「先生の師は、そこまで読んでいたのですか」


「読みかけて、消された。──だが、お前が、続きを読んでいる」


 エミールは、静かに笑った。


 店の奥から、湯気の立つ茶が二つ、運ばれてきた。運んだのは、エミール自身である。星屑堂に、店員はいない。


「相変わらず、渋いお茶です」


「文句を言うな。渋いのは茶ではなく、茶葉の予算じゃ」


「では、次から茶葉を持参します」


「持って来るな。弟子に茶をたかる師匠になってしまうわ」


 この応酬も、月に一度の、決まりごとのようなものだった。


「それで。位相合わせの難所は、どこだと見ておる」


「呼吸です」


 リゼットは、帳面を開いた。


「術式の側の条件は、揃えられます。ですが、術者が二人になると、揃わないものが一つ増えます。──拍です。魔力の立ち上がりの、拍」


「ふむ」


「楽団が指揮者を置く理由が、最近になって、分かってきました。旧い魔法にも、指揮者がいたのでしょうか。それとも、二人で長くやっていると、拍は、勝手に揃うのでしょうか」


 エミールは、茶をすすった。


 それから、遠くを見る目になった。


「──わしと師はな。書庫の中を歩く足音が、いつの間にか、揃っておったよ」


「……観測事例、一件」


 リゼットは、静かに書き留めた。


「揃うまでに、何年かかりましたか」


「さて。気づいたら、揃っておった」


「気づいたのは、いつですか」


「──師が、いなくなってからじゃ」


 店の中が、少しだけ、静かになった。


 リゼットは、その静けさごと、帳面に書き留めた。数値にならない観測をどう記録するか。彼女は最近、余白を使うことを覚えていた。



     * * *



「アリスは、まだ見つからんか」


 エミールが聞いた。


「はい」


 リゼットは頷いた。


「静寂院が隠し続けています。会って、伝えたいのに。あなたの光は、欠陥じゃない、と。──それだけを伝えたいのに、届きません」


 エミールは少し黙った。


 それから、ぽつりと言った。


「わしの師も、な。最後まで、"問い"を誰にも渡せなんだ。答えを持っていたわけではない。ただ、問いを抱えたまま、消された。──誰かに渡せていれば、あの人は、あんなに孤独ではなかったろう」


 エミールの皺だらけの手が、机の上で震えた。


「お前は、違う。お前には、渡せる相手がいる。まだ会えていなくても。いつか必ず、その少女に問いを渡せる。──そのために、諦めるな。問いを、消すな」


「はい」


 リゼットは頷いた。


「問いは、消しません。あの日、先生が私に書いてくれた言葉です。『答えはない。だが、問いはある。問いを消すな』──私の、いちばん大事な指針です」


 エミールの目に、涙がにじんだ。


「……四十年、待った甲斐が、あった」



     * * *



 帰り際。


 エミールは、リゼットに一冊の古い帳面を渡した。


「これは、わしが四十年、書き溜めた旧式術式の覚え書きだ。断片ばかりで、体系にはなっておらん。だが、お前になら、使えるだろう」


 帳面は、角が丸くなるほど、使い込まれていた。表紙の革には、幾度も油を入れた跡がある。四十年、毎日、手に取られてきた物の顔をしていた。


「先生、これは……」


「わしは、もう長くない」


 エミールは、静かに言った。


「いや、そう悲観するな。まだ、明日死ぬわけではない。だが、四十年抱えてきた問いを、そろそろ、次に渡しておきたいのだ。──お前に」


 リゼットは、その帳面を両手で受け取った。


 消された師から、エミールへ。エミールから、リゼットへ。そして、いつか、リゼットから、まだ見ぬ次の誰かへ。


 問いは、消えない限り、続いていく。


「先生」


「なんじゃ」


「私は、必ず、この問いを次に渡します。アリスに。そして、その先の誰かに。──先生の師の問いも、先生の問いも、消えません。私が、続けます」


 エミールは、その言葉を聞いて。


 まるで、長い長い旅の終わりに、たどり着いたかのような、安らかな顔をした。


「……ありがとう、リゼット」


 それは、師が弟子に告げるには、珍しい言葉だった。


 だが、この四十年、孤独に問いを抱え続けた老人にとって。


 それは、心からの感謝だった。



     * * *



 星屑堂を出ると。


 夕暮れのバルト街が、リゼットを包んだ。


 彼女は、受け取った帳面を、そっと胸に抱えた。


 それから、我慢できずに、歩きながら、最初の頁だけを開いた。


 几帳面な、少し右上がりの字で、こう始まっていた。


『この覚え書きは、体系ではない。だが、嘘は一行も書いておらん。分からんかった所には、分からん、と書いた。』


 リゼットは思わず、足を止めた。


 分からないことを、分からないと書く。それが、どれほど誠実で、どれほど勇気の要ることか。記録者として、彼女は知っていた。


 五歳の日、床の魔法陣に恋をした。あの時、彼女は一人だった。


 だが今、彼女の後ろには、消された師がいて、エミールがいて。彼女の前には、まだ会えないアリスがいて、その先の、まだ見ぬ誰かがいる。


 問いは、一人のものではない。


 繋がって、続いていく。


 リゼットは、夕暮れの空を見上げた。


「……早く、会いたいですね。アリス」


 その願いが叶うまで、あと、七百三十日と少し。


 無意識に日数で数えている自分に気づいて、リゼットは、少しだけ驚いた。


 どうやら自分は、思っていたより、ずっと、あの子に会いたいらしい。


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