泣いて逃げた、被験体
リゼットが十歳になった、ある日。
王宮から一通の内密の報告が届いた。
差出人は王太子ルイス。内容は短かった。
『王国の南、辺境の村で、光属性の子どもが確認された。平民。──お前が、探していたものだ』
リゼットの動きが止まった。
光属性。この国にゼロだったはずの、旧い体系の鍵となる属性。それを持つ子どもが、いた。
「行きます」
彼女は即座に言った。
「マリー、支度を。父上に、南への視察許可を。──今すぐ」
「お、お嬢様、落ち着いて……」
「落ち着いています。ただ、心拍が上がっているだけです」
「それを落ち着いていないと申します」
支度は速かった。
鞄の中身は、研究道具が七割、着替えが三割だった。
マリーが無言で比率を逆にした。
道中の馬車で、リゼットはずっと帳面に何かを書き続けていた。
「何をなさっているのです」
「質問の準備です。光の発生頻度、二重化の間隔、体調との相関。聞くべきことが、百二十ほどあります」
「百二十」
「絞りました。元は三百です」
「お嬢様。相手は、十歳の女の子でございますよ」
「私も十歳です」
「お嬢様を基準にしてはいけないのでございます」
この忠告の正しさを、リゼットは半日後、身をもって知ることになる。
* * *
辺境の村は、貧しく静かな場所だった。
その村の外れ。小さな家の裏で。
一人の少女が泣いていた。
リゼットと同じ年頃。栗色の髪。粗末な服。両手で顔を覆ってうずくまっている。その足元で、彼女の手からこぼれた光が、二つにぶれて消えた。
リゼットは、その光を見た瞬間。
全身に電流が走った。
(二重化……! 光属性の、自然な二重化! 旧い体系の、鍵!)
彼女は迷わず少女に歩み寄った。
「あなた。今の光を、もう一度出してください」
少女が顔を上げた。涙で濡れた、怯えた目。
「……だ、誰……」
「シルヴァーヌ侯爵家のリゼットです。あなたの、その光。二つにぶれる、その光を、測らせてください。これは、実験に最適な──」
「いや……っ!」
少女は悲鳴を上げた。
「いやっ、いや! 私の光、気持ち悪いって、みんな言う! あなたも、それを笑いに来たんでしょう! いや、いや、来ないで!」
少女は泣きながら、家の中へ逃げ込んでしまった。
* * *
残されたリゼットは、閉ざされた扉を見つめて、しばらく動けなかった。
「……逃げられ、ました」
「でございましょうね」
マリーが深いため息をついた。
「お嬢様。初対面で、あの子に"実験に最適な被験体"はありません。あの子は、ずっと、自分の光を気味が悪いと言われ続けてきたのです。よりによって、そこを、いきなり」
「……測りたかっただけ、なのですが」
「その気持ちが、いちばん伝わらないのでございます」
リゼットは、閉じた扉を見つめた。
あの少女は、自分の光を恐れている。欠陥だと思い込んでいる。だが、それは間違いだ。あの光は才能だ。四百年前に消された魔法の、鍵だ。
それを、伝えたかった。伝え方を、間違えた。
「マリー」
「はい」
「私は、あの子に、謝るべきですか」
マリーが、少しだけ驚いた顔をした。リゼットが"謝る"という言葉を口にするのは、珍しかった。
「……はい。ですが、今日はやめておきましょう。あの子は今、こわがっています。無理に近づけば、余計に逃げます。時間を置きましょう」
「時間」
「はい。人の心は、術式のように、すぐには直せません」
リゼットは、その言葉を心に刻んだ。
* * *
その夜、村の宿で、リゼットは帳面を開いた。
百二十の質問は、一つも聞けなかった。
代わりに、彼女はこう書いた。
『観測記録。対象は、泣いていた。私が近づく前から、泣いていた。』
『対象は、自分の光を「気持ち悪い」と言った。周囲の言葉を、そのまま使っていた。』
『結論。あの光を欠陥だと教えたのは、あの子ではない。周りだ。』
『追記。測定より先に、するべきことがあった。』
そこまで書いて、ペンが止まった。
するべきこと、の中身が、まだうまく言葉にならなかった。魔法陣なら、線の順番を間違えれば、描き直せばいい。だが、人は。
「マリー。人にも、描き直しは、ありますか」
「ございますよ」
マリーは、寝支度の手を止めずに答えた。
「ただし、紙と違って、前の線も、消えずに残ります。その上から、新しい線を、丁寧に引き直すのでございます」
「……時間が、かかりますね」
「はい。ですから、急がないのでございます」
リゼットは、帳面の最後に、一行だけ足した。
『あの子の名前を、聞きそびれた。』
* * *
だが、時間を置く前に。
その村から、少女は消えた。
数日後、リゼットが改めて村を訪れた時、少女の家はもぬけの殻だった。村人に聞いても、「一家で夜逃げ同然に出ていった」としか分からない。
「……不自然です」
リゼットの目が鋭くなった。
「私が来た直後に消えた。偶然では、ないかもしれません」
彼女は、少女の家の周辺を調べた。そして、微かな痕跡を見つけた。
家の戸口に、ごく薄く、監視用の術式が仕掛けられていた。誰かが、この少女をずっと見張っていた。そして、リゼットが接触した瞬間に動いて、少女をどこかへ移した。
「静寂院、ですね」
リゼットは静かに言った。
「彼らも知っている。この子が、光属性の鍵だと。──私に渡さないために、隠した」
消された魔法の鍵となる少女。それを、静寂院は四百年前から警戒し、監視していた。そして今、リゼットが、その存在に気づいた。
両者の、静かな争奪が始まった。
「探します」
リゼットは、決意を込めて言った。
「あの子を、必ず見つけます。実験のためではありません。──あの子に、伝えるためです。あなたの光は、欠陥じゃない、と。あなたは、こわがらなくていい、と」
その約束を果たすまでに、五年の歳月がかかることを、この時のリゼットは、まだ知らなかった。
だが、五年後。二人は、王立学院の入学式で再び巡り会う。
その時こそ、リゼットは。
伝え損ねたあの言葉を、今度こそ、あの少女に届けることになる。




