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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第五章】鍵と、消された頁

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侯爵家が、勝手に強くなる

 リゼットが九歳になった頃。


 シルヴァーヌ侯爵家に、奇妙な現象が起きていた。


 家が、勝手に強くなっていくのである。


 当主のサイラスは何もしていない。

 ただ、娘が研究の"副産物"を次々と屋敷や領地に置いていくだけだった。


「お父様。灌漑用の魔法陣を改良しました」


 ある朝、リゼットが食卓で報告した。

 パンにバターを塗る手つきと同じ温度で、領地の根幹に関わる報告をするのが、この娘の朝である。


「結界の同時処理を研究する過程で、水の分配術式にも応用が効くと気づきました。従来の五倍の効率で水を行き渡らせられます。領地の農業試験に使ってください」


「……五倍」


 サイラスのコーヒーカップが、口の手前で止まった。


「五割の間違いではなく?」


「五倍です。割で申し上げれば五十割です」


「そうか。五十割か」


 サイラスは静かにカップを置いた。置いてから、もう一度持ち上げ、中身を一気に飲んだ。


「別に、領地のためではありません。実験フィールドとして都合がいいだけです。ですが、結果として収穫は増えるはずです」


「お前のその"ついで"が、当家の農政より優秀なのはどうしてだ」


「農政が非効率なだけです」


「聞かなかったことにする」


 その言葉通り、その年、シルヴァーヌ領の麦の収穫は劇的に増えた。


 増えすぎて、収穫祭では、麦束の山の前で、領民が歌を作った。


 題名は「麦のお嬢様」である。


 当のお嬢様が領地の畑を"実験フィールド"と呼んでいることを、領民は知らない。知らないままの方が歌として美しいので、サイラスは黙っていた。


「旦那様。倉が足りません」


「建てなさい」


「大工も足りません」


「隣の領から呼びなさい」


「その隣の領も、うちの麦を買いに来ておりまして」


 豊作とは、それはそれで、忙しいものである。



     * * *



 それだけではなかった。


 屋敷の照明陣の光熱費が三割減った。

 警備結界の精度が上がった。

 街道の物流用魔法陣が整備され、領都の商業が活気づいた。


 どれも、リゼットが研究の"ついで"に置いていったものである。


 屋敷付き魔術師のロアンは、毎朝、屋敷のどこかが昨日より賢くなっていないか、点検して回るのが日課になった。


「今日は、洗濯場の乾燥陣が三倍速くなっています」


「昨日は、どこでしたか」


「厩の消臭です」


 古株の使用人たちは、もう驚かない。驚くのは、新しく入った者だけである。そして半年もすれば、その新入りが、次の新入りに「うちはこういう家だから」と説明する側に回る。


 気づけば、シルヴァーヌ侯爵家は王国でも指折りの豊かな領地になっていた。


「旦那様。また他家から面会の申し込みが」


 家令が報告する。


「今月で十七件目でございます。皆様、シルヴァーヌ家の灌漑技術や物流術式を譲ってほしい、と」


「……娘が、勝手に家を大国にしていく」


 サイラスは頭を抱えた。


 嬉しい悲鳴ではあった。だが、悲鳴は悲鳴である。

 中堅貴族として静かに堅実に暮らしてきた家が、九歳の娘の研究の副産物で、王国の権力構造を揺るがし始めている。


「お父様。顔色が悪いです」


 リゼットが心配そうに言った。


「誰のせいだと思っている」


「原因不明ですか。では、記録して観測します」


「原因はお前だ」


「なるほど。記録します」


「記録するな」


 記録された。



     * * *



 だが、力が集まれば、それを疎む者も現れる。


 ある日、シルヴァーヌ領へ王都から届くはずの研究資材が、途中で差し止められた。


「妨害です」


 報告を聞いたリゼットは、静かに言った。


「シルヴァーヌ家が急に力を持ったことを面白く思わない宮廷の誰かが、物流を止めました。──たぶん、私の研究を遅らせるのが目的です」


「どうする。抗議するか」


 サイラスが聞く。


「いいえ。抗議は時間の無駄です」


 リゼットは羊皮紙を広げた。


「独自の物流経路を構築します。街道の物流用魔法陣を応用すれば、王都を経由しない別ルートが引けます。妨害される経路に依存しなければ、妨害は成立しません」


 半月後。


 シルヴァーヌ家は、王都を経由しない独自の物流網を完成させていた。


 正確には、引いたのではない。すでにあるものを、つなぎ直しただけである。街道の中継所には、百年以上前に埋められた物流用の陣が眠っている。使われなくなって久しいそれを、リゼットは片端から起こし、向きを書き換え、順番を並べ替えた。新しく敷いたのは、三箇所だけだった。


「半月で物流網を引く娘があるか」


「引いていません。落ちていたものを、拾って、つなぎました」


「言い方の問題ではない」


「経路の問題です。妨害は、道が一本しかない時にだけ効きます」


 サイラスは反論を探し、見つけられず、胃薬の小瓶に手を伸ばした。


 妨害しようとした宮廷の貴族は青ざめた。

 止めたはずの相手が、止めた端から別の道を作ってしまう。

 しかも、その別の道が、また新しい富を生む。


 嫌がらせをするたびに、相手が強くなる。

 もはや妨害ではなく、養殖である。


 やがて、当の貴族から、面会の申し込みが届いた。用件は、遠回しな謝罪と、物流網への参加希望だった。


「どうする」


 サイラスが娘に聞くと、リゼットはあっさり言った。


「お入れして差し上げてください。経路は、使う人が多いほど安定します。──ただし、通行の記録は、全部残ります。今度どこかで荷が止まれば、誰が止めたか、紙が覚えています」


「……お前は、敵を許しているのか、脅しているのか、どっちなんだ」


「観測しているだけです」


 その貴族は以後、シルヴァーヌ領の物流網の、最も行儀のよい利用者になった。



     * * *



「お嬢様は、政治というものをどうお考えなのですか」


 ある日、マリーがおそるおそる尋ねた。


「政治?」


 リゼットは少し考えた。


「よく分かりません。ですが、研究を続けるのに邪魔なものは排除します。妨害する人がいれば、妨害できない仕組みを作ります。それだけです」


「それを世間では、政治力と呼ぶのでございます」


「そうなのですか」


 リゼットは心底不思議そうな顔をした。


「ちなみに、王宮でお嬢様がなんと呼ばれ始めているか、ご存じですか」


「知りません。興味もありません」


「"シルヴァーヌの頭脳"だそうでございます」


「不正確です。頭脳は、持ち主から切り離せません」


「そういうところでございますよ」


 本人は政治をしているつもりなど、まったくない。ただ研究環境を守っているだけである。

 だが、その"だけ"が、結果として宮廷の力関係を書き換えていく。


 サイラスはその様子を遠くから見て、今日も静かに胃薬を飲んだ。


(この子は……いつか、この国を根本から変えてしまう気がする)


 その予感を、彼は、誰にも言わなかった。


 言えば、本当になりそうだったからである。


 今のサイラスにできるのは、胃薬の在庫を増やしておくことだけであった。


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