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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第五章】鍵と、消された頁

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消された頁にも、形が残る

 結界柱の予備証拠を提出してから、査定に十二日かかった。


 宰相ヴェルナーは、書類の一枚一枚を、まるで毒の有無を確かめるように読んだ。間接測定の限界、断定を避けた文言、監督官の署名。どこにも、勢いで押し切ろうとした跡がない。慎重な男は、慎重に書かれたものを、いちばん警戒する。


 そして、いちばん否定しにくい。


「──扉を、一枚だけ開けます」


 ヴェルナーは、そう言った。


「封印書庫の、最も外側。管理目録の閲覧のみ。原典には、まだ触れさせません」


「妥当です」


 リゼットは頷いた。


 即答だった。あまりに潔い即答に、ヴェルナーのほうが、かすかに眉を動かした。値切られると思っていた顔である。


 実際は、値切らなかったのではない。リゼットの頭の中では、すでに「一枚目の扉を開けた者は、二枚目の交渉権を得る」という次の条項が起草されていた。宰相は、まだそれを知らない。


 目録だけ。原典はなし。ほとんど何も渡していないに等しい許可だった。


 それでも、リゼットの胸は、静かに高鳴っていた。


 鍵のかかった棚の、いちばん外側の扉が、今日、一枚だけ開く。



     * * *



 封印書庫は、王宮の地下にあった。


 実験室のような、明るく乾いた場所ではない。降りるほどに空気は冷え、石壁からは、古い紙と、それより古い何かの匂いがした。灯りは魔石ではなく、蝋燭だった。魔力を嫌う場所なのだと、リゼットはすぐに理解した。


「魔石灯を使わないのは、正しいです」


 リゼットは、階段を降りながら言った。


「封印された術式に、余計な魔力を近づけない。蝋燭は、光源として不安定ですが、干渉しません」


「感心なさっている場合でございますか」


 マリーが、蝋燭の火に照らされた壁の陰影に、露骨に怯えている。


「ここは、そのあまり、気持ちのいい場所では……」


「良い書庫です」


「お嬢様の"良い"は、本当に、私にはまだ分かりません」


「湿度が低く、直射光がなく、人の出入りが少ない。紙にとっての楽園です」


「人にとっては、お墓の親戚でございます」


「お墓と違って、ここの住人は読めます」


「住人と呼ばないでいただけますか」


 同行を許されたのは、リゼット、監督官二名、そしてルイスだけだった。カミーユもオルテガも、今日は地上で待たされている。王族と、その婚約者。この扉の前で、それ以外の人間の資格は、ぱたりと消えた。


 最下段まで降りると、鉄の扉があった。


 その前に、一人座っていた。



     * * *



 老女だった。


 背は曲がり、白い髪を布で覆い、膝の上で分厚い帳面を開いている。蝋燭の火が届かないほど奥まった場所にいるのに、なぜかその姿だけは、はっきり見えた。


「書庫番でございます」


 監督官が、緊張した声で紹介した。


「お名前は──」


「名は、要らぬ」


 老女が、顔を上げずに言った。


「名は、閲覧に影響せぬ」


 リゼットの足が、止まった。


 その言い回しを、彼女は知っている。自分が、検証官に言われた言葉だ。いや——検証官が、自分に言った言葉と、同じだった。


「……あなたは」


「書庫番じゃ。それ以上でも、以下でもない」


 老女は、ようやく顔を上げた。落ちくぼんだ目が、リゼットを、値踏みではなく、ただまっすぐに見た。


「王家に連なる娘が、目録を読みに来た。──何を、探しに来た」


「消された跡を、探しに来ました」


 リゼットは答えた。


 書庫番の、皺だらけの手が、一瞬だけ止まった。


「……消された跡、と言うたか」


「はい。目録に、墨で消された項目や、抜けた番号があるはずです。私が読みたいのは、残っている本ではありません。消された頁の、形です」


 しばらく沈黙が落ちた。蝋燭の火が、じじ、と鳴る。


 やがて、書庫番は乾いた声で笑った。


「……四十年ぶりじゃ」


「何がですか」


「この扉の前で、"残っているもの"ではなく、"消えたもの"を読みに来た者を見るのは。四十年ぶりじゃよ」


 リゼットの背筋が、ぞくりとした。


 四十年前。それは、エミールが、この道のどこかで潰された頃と、重なる。



     *  *  *



 鉄の扉が、開いた。


 目録は、一冊ではなかった。壁一面の棚に、同じ装丁の帳面が、ずらりと並んでいる。封印された蔵書の、題名と分類だけを記した、膨大な索引だった。


 中身は、ない。題名だけ。それでも、リゼットにとっては、宝の地図だった。


 彼女は一冊を取り、蝋燭の下で開いた。


 そして、すぐに気づいた。


 墨で消された行が、無数にある。


 題名が塗り潰され、分類記号だけが残ったもの。番号が飛んでいるもの。頁ごと切り取られた跡。まるで、誰かが、この索引そのものを、後から検閲したかのようだった。


「……ひどいですね」


 リゼットは、静かに言った。怒りではない。感嘆に近かった。


「本を封印しただけでは、足りなかった。封印した本の"題名"すら、消している。何を封じたか、を、封じている」


「読めるか」


 ルイスが、隣で聞いた。


「消された題名は、読めません。ですが──」


 リゼットは、墨の上に、蝋燭を近づけた。


「消し方に、癖があります」


 墨の濃淡。塗り潰しの筆の運び。消された行の間隔。それらを、彼女はいつもの目で——都合よく見ず、全部を淡々と——追っていく。


「消された項目は、ばらばらに散っているように見えて、分類記号の並びから逆算すると、ある一つの体系に集中しています。光に関する、旧い属性の術式。そのほとんどが、消されている」


 リゼットの指が、止まった。


 光属性。


 乙女ゲームのヒロインが持つ、あの希少な属性。消されたはずの、旧い体系の。


(つながった)


 胸の奥で、静かに、何かが噛み合う音がした。



     * * *



 だが、本当に背筋が凍ったのは、その次だった。


 消された行の、そのすべての末尾に、小さな印が捺されていた。


 検閲の権限を示す、認可印。誰の許可で消したかを示す、封蝋の刻印。


 リゼットは、その印に見覚えがあった。ごく最近、見たばかりだった。


 謁見の間。玉座の背後。垂れ幕に織り込まれていた、王家の紋章。


 それと、同じだった。


 いや——正確には、少し違う。今の王家の紋章より、古い。角の意匠が一つ多く、下地の線が、あの未知補助線と、同じ癖で曲がっている。


 蝋燭の火が、目録の頁の上で、細かく震えていた。


 地下に、風は入らない。


 揺れているのは、燭台を持つ、自分の手だった。


 リゼットは、それを観測した。恐怖、という語は使わない。手が震えている、という事実だけを、頭の中の記録に置く。


「……ルイス」


 リゼットは、めずらしく、敬称を落とした。


「この、消したものに捺されている印。これは、あなたの家の紋章です。今のものより、古い。ですが、間違いなく、王家のものです」


 ルイスの顔から、表情が消えた。


「魔法を消したのは、魔導院でも、神殿でもありません」


 リゼットは、消された頁を見つめたまま言った。


「あなたの家です。この国の魔法を、いちばん最初に消したのは、王家そのものです」


 蝋燭の火が、大きく揺れた。


 監督官の二人が、青ざめて顔を見合わせる。書庫番だけが、動かなかった。落ちくぼんだ目で、じっと、リゼットを見ている。


「……娘よ」


 書庫番が、低く言った。


「そこまで読んだ者は、四十年前に一人。その者は、二度と、地上には戻らなかった」


 マリーが、息を呑む。ルイスの手が、剣の柄に触れかけて、止まった。


 リゼットだけが、消された頁から、目を離さなかった。


 いちばん消したくなるもの。いちばん都合の悪い線。それを、王家は、自分の家の印で、四十年前も、四百年前も、消し続けてきた。


 そして今、その家に、自分は嫁ごうとしている。


(……最高に、都合が悪いですね)


 リゼットの薄紫の瞳に、恐怖ではなく、あの炎が灯った。


 都合の悪い線は、拾わない者たちがいる。


 ならば、自分は、拾う。


「書庫番」


「なんじゃ」


「二枚目の扉を開ける条件を、教えてください」


 老女は、長いこと、リゼットを見ていた。


 そして、四十年ぶりに、もう一度だけ乾いた声で笑った。


「……エミールの、次の弟子か」


 その名を、リゼットは、確かに聞いた。


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