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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第四章】測るための、道具

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都合のいい線は、拾わない

 封筒が、開いた。


 検証官は中の紙を取り出し、机の中央に置いた。試験の三日前に書かれた、こちらの予測である。


『線太りの予測位置:格子三の七、術式線端』

『出現条件:統一下地紙・遮光保管・術者休息固定』

『非出現の可能性:各試行につき有意にあり。三回中三回の出現は保証しない』

『白紙対照:繊維方向に沿う偽線が、別位置に出る見込み』


 検証官は、自分の格子図を、その横に並べた。


 全員が、机に身を乗り出した。さすがに今だけは、行儀は問われなかった。


 第一試行の欄。


『格子三の七、線端にごく弱い太り』


 一致。


 第二試行の欄。


 空白。


「第二試行は、何も見えませんでした」


 検証官が言った。


 リゼットは、ロアンの流量記録と製図係の影端記録を差し出した。


「機器の記録でも、第二試行は無反応です。魔力値変化なし、影端振動弱」


 検証官の眉が、わずかに動いた。


「観測者が見ず、機器も記録していない。──無反応の一致は、出現の一致より重い、と私は考えます」


「同感です」


 リゼットが言った。


「見えないものまで一致して、初めて、見えたものが信用できます」


 検証官は手帳に何かを書いた。今度は、少しだけ長く書いた。


 第三試行の欄。


『格子三の七、線端にごく弱い太り。第一試行と同位置』


 一致。


 白紙対照の欄。


『格子六の二付近、斜めの薄い線』


 予測した偽線の位置だった。術式線端ではない。


「ここまでで、三回中二回の出現、一回の無反応。すべて予測の範囲内。白紙対照は別位置の偽線のみ」


 検証官は淡々と読み上げ、それから、最後の欄に指を置いた。


「問題は、これです」


     * * *


 持参紙の欄。


『格子二の四付近、ごく弱い線状の変化』


 部屋が、ざわりとした。


 別ロットの、学院の紙。出ないはずの紙に、何かが出た。


「……出た、のですか」


 事務官の声がかすれる。


 マリーは思わずリゼットを見た。喜ぶのか、と思った。条件が緩いなら、現象はもっと出やすい。研究は進めやすくなる。


 リゼットは、喜ばなかった。


 格子図を引き寄せ、長い間、黙って見ていた。


「位置が違います」


 やがて、リゼットは言った。


「術式線端は三の七。この変化は二の四。線端ではなく、線の途中ですらない、余白に近い位置です」


「では、何だと」


 検証官が問う。


「分かりません。ですが、候補にする前に、確認すべきことがあります。──検証官。持参紙の漉き方向を教えてください。あるいは、未使用の持参紙をもう一枚、光に透かさせてください」


 検証官は、未使用の一枚を差し出した。


 リゼットはそれを光源にかざし、補助格子を重ねた。


 繊維の流れが、斜めに走っている。その線をたどると──格子二の四を、通った。


「繊維です」


 リゼットは紙を置いた。


「持参紙の偽線です。漉き方向が貴宮の紙と違うため、偽線の出る位置も違う。白紙対照と同じ種類の、紙そのものの線です」


「つまり」


「持参紙の試行は、現象の出現ではありません。候補を強める記録には使えません」


 言い終えてから、リゼットは小さく付け足した。


「……残念ですが」


 検証官は、しばらく何も言わなかった。


 それから、手帳を閉じた。


「シルヴァーヌ嬢。私が今日、いちばん見たかったものを言いましょう」


「線太り、ではないのですか」


「線太りは、二回見ました。それは格子図に書いてあります。私が見たかったのは──出ないはずの紙に何かが出たとき、あなたがそれを拾うかどうか、です」


 リゼットは瞬きをした。


「拾えば、楽になります。条件は緩く、現象は出やすく、報告は華やかになる。六歳なら、拾っても誰も責めません」


「拾えません」


 リゼットは言った。


「拾った瞬間、三の七の線まで信用を失います」


「──その答えごと、学院に報告します」


 検証官の声は、最初から最後まで平坦だった。だが、オルテガには分かったらしい。白い眉の下で、団長は静かに笑っていた。三十年前の演習で、同じ声を聞いたことがあるのだろう。


     * * *


 判定の清書は、検証官自身の手で書かれた。


『観測者独立の条件下において、予測位置と一致する微弱な線状変化を三試行中二回確認』

『無反応一試行は機器記録と一致』

『白紙対照および別製紙の変化は、いずれも繊維由来の偽線と判定』

『期待による説明は、手順上排除されている』

『総合判定:第三者確認済みの未説明観測。限定条件付き』


「未説明観測、という分類は」


 事務官が様式を繰りながら聞く。


「学院の分類です。説明できる現象でも、誤りでもない。説明を待っている観測、という意味です」


 検証官は署名し、判を押した。


「ただし、言っておきます」


 顔を上げ、リゼットとルイス、それからオルテガを順に見る。


「この報告は、学院で読まれます。六歳の侯爵令嬢、王太子の婚約者、宮廷魔術師団長が当事者の、未説明観測。──静かには、済みません」


「騒ぎになりますか」


 ルイスが聞いた。


「なります。学院は理屈で騒ぎ、宮廷は理屈以外で騒ぐでしょう。次にここへ来る者は、私ほど行儀がよくないかもしれません」


「行儀のよい方だったのですか」


 マリーが思わず言うと、検証官は真顔で答えた。


「お茶を出されてから飲むまで半日で済むのは、学院ではかなり行儀のよい部類です」


 冗談なのかどうか、最後まで分からなかった。


     * * *


 報告書とは別に、検証官はもう一つ要求を出した。


「手順書の写しを、一部いただきたい」


「報告の添付資料に、ですか」


 事務官が様式を探しはじめる。検証官は首を振った。


「添付には別に一部もらいます。これは、学院の観測法の講義で使いたい」


 部屋が静まった。


「封印予測、写し併用、筆記申告、無差別提示。個々の工夫は学院にもあります。ですが、全部を一つの手順に束ねて、六歳が運用している例はありません。学生に見せる価値があります」


「六歳の部分は、講義に必要ですか」


 リゼットが聞いた。


「いちばん効く部分です。言い訳が全滅しますので」


 事務官が写しを用意しながら、聞いた。


「手順に、名前を付けますか。様式上、呼び名があると引用が楽になりますが」


 リゼットは少し考え、首を振った。


「付けません」


「よろしいのですか。考案者の名を残す機会ですが」


「名前は、観測に影響しません」


 検証官の手が、止まった。


 自分が今朝言った言葉である。


 ゆっくりとリゼットを見て、それから、誰にも見せない角度で手帳に何かを書いた。マリーの位置からは、一瞬だけ見えた。書かれたのは文章ではなく、ただの丸印が一つだった。


 帰り際、検証官は馬車の前で一度だけ振り返った。


「シルヴァーヌ嬢」


「はい」


「あの線太りを、何だと思っていますか」


 リゼットは少し考えた。


「候補仮説はあります。ですが、今の記録の数では、口に出すと予測が観測を汚します。──まだ、言いません」


「いつ言えますか」


「言える数の記録がそろったときです」


 検証官は、ほんのわずかに、本当にわずかに、口の端を動かした。この日初めての、表情と呼べるものだった。


「学院に来なさい、とは言いません」


 外套を翻し、馬車に乗り込む。


「まだ」


 扉が閉まり、馬車は走り去った。


     * * *


 その夜のまとめは、いつもより一行多かった。


『検証試験:終了』

『判定:第三者確認済みの未説明観測(限定条件付き)』

『持参紙の変化:繊維由来の偽線。候補に不使用』

『未知記号:出現なし』

『評議会:当該記録の"整理"は、見送り。未説明観測として存置』

『次回課題:記録数の積み増し。学院・宮廷の反応への備え』


 そして最後の一行は、リゼットの字ではなかった。


『本日、お嬢様は都合のいい線を拾いませんでした。侍女長として記録しておきます』


 リゼットはそれを見つけ、消すかどうか、羽ペンを持ったまま長いこと考えていた。


 消さなかった。


 ただ、横に小さく書き足した。


『拾わない方が、遠くまで行けるからです』



     * * *



 片づけの終わった小実験室で、事務官が最後の様式を綴じていた。


「立会人の欄を、埋めます」


 彼は淡々と書き並べた。宮廷魔術師カミーユ。屋敷付き魔術師ロアン。侍女長マリー。王太子ルイス。


 そして、自分の欄には、いつも通り『管理部・事務官』とだけ書いた。


「お待ちください」


 リゼットが言った。


「そこは、役職ではありません。人です」


「……様式上は、これで通ります」


「通りますが、残りません」


 リゼットは、記録紙を一枚、彼の方へ滑らせた。


「手順に名前は要りません。手順は、誰がやっても同じ結果になるべきものだからです。ですが、人は違います。この三十日で、書式を七つ潰して、封紙の管理を組み直したのは、あなたです。それは、あなたにしかできませんでした」


 事務官は、しばらく動かなかった。


 十九年、彼は書類の上で「事務官」だった。誰も困らなかった。困らないことに、慣れていた。


「……ノアと申します」


 小さな声だった。


「ノア・レンドル。管理部です」


「では、そう書いてください」


 彼は、自分の名を、自分の筆跡で書いた。


 書いてから、その四文字を、ずいぶん長いこと見ていた。


 マリーは何も言わず、湯気の立つ椀を、彼の手元へ静かに置いた。


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