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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第四章】測るための、道具

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紙が、白い顔で嘘をつく

 翌朝、机の上には実験装置ではなく、一通の封書が置かれていた。


 王宮魔術師団の管理印。差出人は団の上席。内容は、実験室の使用状況と、未成年者を含む共同観測についての照会だった。


「苦情ではないのですか」


 マリーが恐る恐る尋ねる。


「苦情と呼ぶには礼儀正しい。好意的と呼ぶには角がある」


 ルイスが数行を読み上げた。六歳の令嬢が王宮実験室を連日使用している件について、記録の保管責任者、安全管理者、成果物の帰属を明確にされたい。


「この段階で、成果物はありません」


 リゼットが言う。


「そう答えると、相手はもっと困ります」


 カミーユが返した。


「成果があるから連日実験しているように見える。成果がないのに王宮の設備を使っているなら、それはそれで問題です。どちらでも角が立ちます」


 昨日までの敵は影端誤差や紙面残光だった。今日の敵は、書式である。


 同じ頃、王宮の別の棟で。


 ギルバートは、王太子に、その照会状の"元"を説明していた。


「管理部が独断で出したものでは、ございません。三つの棟から、同じ趣旨の申し立てが寄せられております」


「三つか」


「一つ目は、宮廷魔術師団の中堅。二十年かけて席を得た者たちです。六歳の令嬢が半月で実験室を占めている、という事実そのものが、彼らの二十年を否定して見えます」


「筋は、通っているな」


「二つ目は、儀典に関わる家々。王宮は、身分の順に人が並ぶ場所でございます。その床に、侯爵令嬢が膝をつき、屋敷付き魔術師と侍女長が同じ机に着く。──順が、乱れる。理屈ではなく、気味が悪いのです」


 ギルバートは、そこで一度、言葉を切った。


「三つ目は、名を出しません。ただ、書式が、古うございました。今どき使われぬ様式で、しかも、間違いが一つもない」


 ルイスは、顔を上げた。


「……昨日、団長が言っていた"宮廷より古い机"か」


「わたくしは、何も申しておりません」


 ギルバートは、いつもの顔で答えた。


「ただ、殿下。──王宮であの令嬢を庇っておられるのは、今のところ、殿下おひとりです。団長は中立、宰相は静観。残りは、様子見と、不気味がる声に分かれております。今日はまだ、照会状で済んでおります」


「今日は、だな」


「はい。今日は」


 そして昼過ぎ、その敵は人の形をとって現れた。



     * * *



「失礼いたします。小実験室の使用記録について、確認に参りました」


 入ってきたのは、宮廷魔術師団の事務官だった。年配の男で、片手に書類板を抱えている。装置をちらりと見た目には、好奇心よりも警戒が強い。


「あと一試行だけです」


 リゼットが言う。


「失礼ながら、シルヴァーヌ侯爵令嬢。王宮の実験室は、思いつきを試す場所ではございません」


 マリーの顔色が変わった。ロアンが息を呑む。


 言い返すことはできた。これは思いつきではない。条件を絞り、棄却条件を置き、記録を積み上げている。だが、相手が見ているのは実験の中身ではない。六歳の令嬢が王宮の実験室を使っている、という事実である。


「ご指摘は妥当です」


 リゼットは言った。


「ですので、本日の試行は中止します。この状態で続けると、記録に外部介入が混ざります。誰が、いつ扉を開け、全員がそちらを意識したか。条件が増えます」


 事務官は、何か言いかけてやめた。たぶん、王宮の仕事にも似たことがあるのだろう。


「扉の開閉、室内光の変化、観測者の注意移動。すべて条件です」


 リゼットが続けると、事務官はますます分からないという顔をした。


「……私の訪問も、条件に入るのですか」


「はい」


 事務官は、書類板を持ち直した。今日は、止めに来た。だが明日からは、立会人として毎日この部屋に立つことになる。それが何を意味するかは、まだ誰も知らなかった。



     * * *



 立会人を条件表に加えた実験は、皮肉なことに、これまでで一番実り、これまでで一番リゼットを打ちのめした。


 中間光量・斜め縁で残った弱い反応候補。それが本物か確かめるため、羽根の縁を変えて光の切れ方だけを試した。直線、斜め、細かく刻んだ縁。


 刻み縁は、いちばん研究らしく見えた。だからこそ、信用しなかった。


「派手に見えるものほど疑います」


 そう言って光を当てると、模型術式の線端が小刻みに震えた。影端も揺れている。二重化に見える。


 だが、リゼットは候補に残さなかった。


「影の揺れと線太りが、同じ形です。これは、影が見えているだけの可能性が高い」


 確かめるため、術式を描いていない白紙に同じ影を通した。


 何も描いていないはずの紙に、線が見えた。


 紙の繊維である。刻み縁は、光を細かく切りすぎて、紙の目そのものを拾っていた。


「刻み縁は、不採用です」


「昨日、試したがっていたものを、捨てるのですか」


 事務官が聞く。


「惜しいです。ですが、惜しいものほど、理由を書かずに捨てると、あとで拾いたくなります」


 リゼットは記録した。だが、紙の逆襲はそこで終わらなかった。



     * * *



 斜め縁で弱く出た線太りも、紙を替えると消えた。標準紙では出ず、厚手の記録紙では魔力が紙全体に散り、公文書用紙に至っては、そもそも魔力が入らなかった。


「魔力伝導、不良です」


 ロアンが言う。


「紙そのものではありません。表面に塗られたものです」


 オルテガが紙を指で撫でた。


 全員が黙る。そこで、思いがけない声が上がった。


「公文書用紙は、保存のために白礬液を薄く使っております」


 事務官だった。全員の視線が集まり、彼はわずかに怯む。


「……何か」


「情報です。非常に重要です」


 リゼットが言った。


 事務官は、居心地が悪そうに、書類板を抱え直した。


「私は、管理上の事実を申し上げただけですが」


「その管理上の事実の中に、観測事実が含まれていました。良い苦情です」


「……良い苦情というものが、この世にあるのですか」


「あります。今のがそうです」


 事務官は、嬉しいような、困ったような、書類板ごと掬い上げられたような顔をした。マリーは知っている。お嬢様に褒められた者は、みんな最初、この顔になるのである。


 紙質だけではない。表面処理が、魔力の通り方そのものを変えていた。斜め縁の反応が出たり消えたりしたのは、術式のせいではなく、紙の下地が試行ごとに違っていたからかもしれない。


 追いかけていた線は、魔法陣の声ではなく、白い紙の独り言だった可能性がある。


 非常に、腹立たしい。


 嘘を一つ潰すのに、何日かかるのか。


 リゼットは、頭の中で一つだけ、口に出さない数を数えた。十年に一度の嵐。前の嵐から、もう何年経ったか。


 数えてから、すぐに脇へ置いた。


 急いで出した結論は、たいてい、いちばん都合のいい線を拾う。それだけは、しないと決めている。


 だから今日も、紙を疑う。


「紙が、白い顔をして嘘をついています」


 リゼットは言った。


「では、嘘をつかない紙を作ります。原料、漉き方、下地量、乾燥。全部そろえた紙で、もう一度」


 事務官は、記録用紙の隅に、綺麗な事務書体で書き足した。


『紙質だけでなく、表面処理の有無を記録項目に追加』


 昨日まで、彼は実験室の外から来た「条件」だった。今日、初めて、条件を整理する「手」になった。



     * * *



 夕方のまとめは、実験結果より反省の方が長かった。


『刻み縁:紙繊維由来の偽線。不採用』

『斜め縁反応:紙質および表面処理に強く依存』

『公文書用紙:白礬液により魔力伝導不良』

『未知記号:出現なし』

『次回課題:下地処理を統一した模型術式用紙を作成』


「今日は、反応そのものは遠のいたね」


 ルイスが言う。


「はい。ですが、紙を疑わずに進むよりは、ずっと良いです」


「六歳の令嬢の敵が、王宮の公文書用紙とはね。父上が聞いたら、どんな顔をするか」


「ちょうど良かった。陛下に、白礬液の配合記録の照会を」


「やめてくれ。書式が増える」


 ルイスは本気の顔で止めた。今朝の封書一通で、この部屋がどれだけ揺れたかを、彼はまだ忘れていなかった。


 マリーは、光っては消える弱候補と、白い紙の独り言に半月も振り回されているお嬢様を見て、胃薬の残量を確認した。減っていた。


 リゼットは余白に一行だけ書いた。


『紙が白いことを、信用しない』


 魔法陣はまだ遠い。その手前にある紙の白さが、ようやく少しだけ、疑わしく見え始めていた。



     * * *



 同じ日の、夕方。


 星屑堂に、珍しく、客が来た。


 二人目でも、三人目でもない。今日の、最初の客だった。


 外套の裾の泥は乾いている。遠くから来て、どこかで一度、乾かしてから入ってきた歩き方だった。


「古い術式の本を、探しております」


 声が、丁寧すぎた。


「うちは古書店じゃ。古い本しか置いておらん」


「失礼。──測るための本を、と申し上げるべきでした」


 エミールの手が、帳面の上で止まった。


「光を測る。紙を測る。手の震えを測る。……そういう、道具のほうの本を。四十年ほど前に、そういう研究をしていた方がいたと、聞き及びまして」


 店の中の空気が、少しだけ、冷えた。


「知らんな」


「そうですか」


 客は、それ以上、押さなかった。押さないことが、いちばん怖い押し方だと、エミールは知っている。四十年前も、そうだった。


「よい店ですな」


 去り際、客は、店の奥を見た。


 棚の向こう。書見台の向こう。床板の、あたりを。


 まっすぐに、見た。


 鈴が鳴って、扉が閉まった。


 エミールは、しばらく動かなかった。


 それから、立ち上がり、生まれて初めてのように、店の奥へ歩いた。


 布を取った。


 埃を、払った。


 四十年ぶりに払われた床板の下から、古い金具の輪郭が、うっすらと、浮かび上がった。


 彼は、それをしばらく見下ろしてから、また、布を掛け直した。


「……間に合うかのう」


 誰も聞いていない独り言が、その日は、いつもより長く、店に残った。


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