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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第四章】測るための、道具

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戻った線は、見ると消える

 王宮魔術師団の小実験室に、久しぶりに模型術式用の紙が置かれた。


 ただし、机の上は以前とは違う。紙の横には、中粒灰色膜を貼った遮光羽根、削り幅を変えた試料が二枚、魔力値を読む記録水晶、羽根の周期を刻む計時器。見るための道具が、ようやく少しだけ整っていた。


 期限まで、あと十四日。


 その数字は、事務官が毎朝、記録板の隅に書き換えていた。頼まれてもいないのに、である。三日目からは、誰も止めなくなった。


「本日の目的は、模型術式への再投入です」


 カミーユが記録板を開いた。


「観測対象は未知記号ではありません。二重化現象の有無、影端の安定性、魔力値変動。それだけです」


「探さないのですか」


 ロアンが聞く。


「探すと、見たくなります」


 リゼットが答えた。


「見たくなると、誤差を現象と呼びたくなります」


「ですが、お嬢様。あの記号は」


 マリーが、遠慮がちに聞いた。旧温室で、一瞬だけ浮かんだあの形のことである。


「順番の問題です」


 リゼットは、記録板の余白に、二つの語を縦に並べた。


『線太り=前兆』

『未知記号=本体』


「記号は、単独では現れません。線が二重化し、重なりが一定の幅で保たれた、その一瞬だけ、下の層が透けます。旧温室で見えたのは、その一瞬です」


「では、あの一瞬をもう一度」


「作れません。今は」


 リゼットは、遮光羽根の周期を指で示した。


「前兆を、同じ場所に、同じ幅で、何度でも出せるようになって、初めて、その先を覗く時間が作れます。線太りを固定できないうちに記号を追えば、追っている間に前兆が崩れて、何も残りません」


 だから、今は線の太さを測っている。


 記号を探さないのではない。

 記号まで届く足場を、先に組んでいる。


「……なるほど。梯子をかけずに屋根へ登ろうとするな、ということですね」


「はい。落ちます」


 マリーは、お嬢様がそれを言うようになったことに少しだけ感動し、模型術式という単語を聞いた時点で胃が痛かった。


 ロアンが最小出力で魔力を流す。遮光羽根が一定の周期で光を切り、模型術式の細い線が淡く浮かんだ。


 十周期、二十周期。


 そして、線がほんのわずかに横へ揺れた。


 旧温室で見たような、はっきりした重なりではない。線が一瞬だけ太くなったようにも、羽根の影が乱れたようにも見える。


「止めないでください」


 リゼットが言った。声は静かだった。


 光はもう一度揺れた。二度目はさらに曖昧で、三度目は出なかった。


「二重化ですか」


「見えたのに?」


 ルイスが問う。


「見えたことと、再現したことは別です」


 リゼットは即答し、記録した。


『削り幅一ミリ 影端安定 二重化様反応、判定保留 影端誤差との区別、不可』


 得意になっている場合ではない。見えた、と言いたい。だが、まだ言えない。


 ただ、口に出さないことが一つあった。


 この曲がり方の癖を、リゼットは知っている。五歳の日、応接間の暖炉の前で初めて見た陣。あの夜、紙の上で解いてしまった結論。──同じ設計思想なら、この国の防衛結界も、同じ穴を抱えている。


 机の上で、ぎりぎり見えない大きさで揺れているこの線は、いつか国の壁を崩すものの、いちばん小さな顔なのかもしれない。


 だからこそ、まだ言えない。証明できないうちに口にすれば、ただの不吉な予言になる。



     * * *



 問題は、その次に起きた。


 同じ反応を正確に写し取るため、リゼットは模型術式の上に半透明紙を一枚重ねた。術式には触れない。光が走った瞬間の影の位置だけを、製図係が写し取るための紙である。


 ロアンが魔力を流す。羽根が回る。製図係が息を止める。


 十周期、二十周期、三十周期。


 何も起きなかった。


 光は揺れず、線端も分かれない。先ほどまで、確かにあった揺れが、消えていた。


「記録しようとした途端に、反応がなくなりました」


 ロアンが言った。


「重ね紙が条件を変えたのか。あるいは、さっきのが影誤差だったのか」


 リゼットは半透明紙を見つめた。写すために紙を一枚足す。その一枚が、影の落ち方も、光の抜け方も変える。見ようとする行為そのものが、見たいものを消してしまう。


「観測方法が、現象を変えています」


「では、どうやって見る」


 ルイスが聞く。


「重ね紙を外します。かわりに、斜めから写します。精度は落ちますが、術式の上に紙を置く条件は消えます」


「どちらの誤差を選ぶか、だね」


「誤差を選びたくはありません」


 リゼットは不満そうに言い、それでも紙を外した。


 斜めからの記録で、反応は薄く戻った。だが、影が震えた周期と、線端が太く見えた周期が、一拍ずれている。


「一致しません。だから困っています」


 カミーユが、めずらしく口の端を動かした。


「本当に面倒な研究は、観測したものより、観測した方法を疑い始めてからです。ようやく入口に来ましたね」



     * * *



 入口の先で、二人はもう一つの思い込みに突き当たった。


「明るくすれば、はっきり見えるはずです」


 リゼットはそう言って、光量を上げさせた。


 結果は、裏切られた。最も強い光では、模型術式の線端は確かに二重に見えた。だが、その周囲の紙まで薄く光を残していた。


「紙面残光です」


 オルテガが低く言う。


「強い光で膜の反射が増え、紙に残った魔力が見えている」


「では、この段階は失格です」


 リゼットは、数秒だけ黙ってから頷いた。


 悔しい。だが、捨てるしかない。それを捨てられないなら、研究ではなく願望になる。


 光量を段階的に落として比べると、答えは奇妙な形をしていた。最大光量では紙が汚れ、最小光量では何も出ない。反応候補が残ったのは、その中間だけ。


 しかも、直線の縁で光を切ると出ず、斜めの縁で切ると弱く出た。


「明るさではありません」


 リゼットは記録板を見下ろした。


「光の、切れ方です。明るくすれば余計なものまで見えます。弱くすれば消えます。ちょうどよく見えにくい時にだけ、その線は顔を出します」


「見えにくい方が良い、と言い始めたね」


 ルイスが言う。


「見えにくいのではありません。余計なものが見えすぎない、です」



     * * *



 夕方のまとめは、歯切れが悪かった。


『模型術式再投入 中間光量・斜め縁でのみ、弱い二重化様反応』

『最大光量:紙面残光で汚染。採用不可』

『同時記録:反応消失。観測方法が現象を変える可能性』

『未知記号:出現なし』

『判定:明るさではなく、光の切れ方が条件』


 ルイスは最後の一行を指でたどった。


「派手ではない。でも、読んでいて面白い。断定していないのに、次を見たくなる」


「研究報告への感想としては、珍しいです」


「君の研究は、最近少し物語じみてきた」


「物語ではありません。観測記録です」


「知っている。でも、問いが続いている」


 リゼットは反論しようとして、やめた。問いが続いている。悪くない表現だった。


 戻ったはずの線は、正面から見ると消え、明るくすると汚れ、ちょうどよく見えにくい時にだけ、ほんの少し太くなる。証明には遠い。だが、ただの見間違いでもない。


 リゼットは余白に一行だけ書いた。


『観測方法そのものが、現象を変える』


 その一行を、次にこの部屋へ入ってくる誰かが、どう読むのか。


 まだ、想像もしていなかった。


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