遮光羽根、黒く塗ればよいわけではない
遮光羽根方式は、紙の上ではとても簡単に見えた。
光源と反射板は固定し、その手前で薄い羽根を動かして、光の一部だけを周期的に遮る。熱は変わりにくく、反射板の角度も混ざらない。前日の反射板揺動方式より、ずっと扱いやすいはずだった。
はずだった。
「黒く塗れば、余計な反射は減ると思いました」
リゼットは王宮魔術師団の小実験室で、黒い羽根板を見つめながら言った。
「思いました、という言い方をする時点で、何か起きたのですね」
マリーが慎重に尋ねる。
「まだ起きていません。ですが、起きそうです」
「予告だけで胃に来るのでございます」
机の上には、薄い羽根板が五種類並べられていた。磨いた金属板、白い陶片、黒塗りの木片、煤を薄く塗った紙片、そして王宮魔術師団が用意した魔力吸収処理済みの黒布である。
どれも小さく、地味で、物語の主役には見えない。
だが、今日の主役は間違いなくそれだった。
「最初に確認するのは、反射率です」
カミーユが記録板を開いた。
「次に、魔力吸収の有無。最後に、羽根を動かした時の周期安定性。模型術式には、まだ当てません」
「はい」
リゼットは素直に頷いた。
ロアンが少しだけ感心したように目を細める。
「お嬢様、今日はずいぶん従順ですね」
「昨日、飛ばすと後で面倒だと分かりました」
「納得の理由が、相変わらず研究寄りです」
「ほかに必要ですか」
「いいえ、十分でございます」
マリーは即答した。十分である。礼儀や社交で納得してくれなくても、面倒を避けるために安全側へ寄ってくれるなら、侍女長としてはもうそれでいい。
ルイスは実験台の横に立ち、五種類の羽根板を見比べていた。
「黒いものほど良い、という話ではないのだね」
「はい。見た目の黒さと、魔力的な吸収は別です」
リゼットが答えるより先に、カミーユが言った。
リゼットは少しだけ目を瞬かせた。
「今、私が言おうとしました」
「でしょうね」
「少し悔しいです」
「測定で返してください」
昨日と似た返しだったが、今度はリゼットもすぐに頷いた。
「返します」
オルテガはそのやり取りを聞き、若い宮廷魔術師に向けるような目で二人を見た。片方は六歳の令嬢である。その事実を時々忘れそうになるのが、最近の一番危険なところだった。
* * *
第一測定は、金属板だった。
魔石灯の光を当てると、基準線の上に鋭い光点が出た。明るく、読みやすく、記録水晶にもはっきり残る。
そして、派手に反射した。
「論外です」
リゼットが言った。
「論外、は記録語ではありません」
カミーユがすぐに返す。
「反射率過大。遮光材として不適」
「使えます」
カミーユは記録した。
第二測定は、白い陶片。
金属ほど鋭くはないが、光は広く散った。基準線に映る影の端がぼやけ、羽根がどこで光を切ったのか分かりにくい。
「白は駄目ですね」
「記録語」
「散乱大。影端不明瞭」
「使えます」
リゼットは少しだけ得意げに頷いた。カミーユの指摘を待つ前に言い換えられたことが、本人なりに嬉しかったらしい。
マリーは、それを成長と呼ぶべきかどうかで迷った。
第三測定は、黒塗りの木片だった。
見た目には、一番まともだった。余計な反射は少なく、影も比較的くっきり出る。ロアンが「これなら」と言いかけたところで、記録水晶の端が不自然に暗く沈んだ。
「待ってください」
リゼットが止めた。
カミーユも同時に記録水晶を覗き込む。
「魔力が少し吸われていますね」
「はい。塗料です」
黒塗りに使った顔料が、わずかに魔力を吸っていた。光そのものは遮れている。だが、魔力が吸われるなら、模型術式に当てた時、光条件ではなく魔力条件まで変わってしまう。
黒ければよいわけではない。
リゼットは口元を引き結んだ。
「昨日、ここを見落としました」
「今日は見落としていません」
カミーユが言った。
慰めのようにも聞こえたが、声は淡々としていた。だからこそ、リゼットは少しだけ受け取りやすかった。
「記録します。反射小。影端明瞭。ただし、塗料による微弱吸魔あり。模型使用不可」
「使えます」
カミーユが頷く。
ルイスは黒塗りの木片を見て、静かに息を吐いた。
「見た目では、一番良さそうだった」
「はい。だから危険です」
リゼットは答えた。
「良さそうに見えるものほど、先に疑う必要があります」
「ずいぶん研究者らしいことを言う」
「カミーユのせいです」
「私のせいですか」
「厳しく分類されましたので」
カミーユは一瞬だけ黙り、それから小さく咳払いした。否定しきれなかったらしい。
* * *
第四測定は、煤を塗った紙片だった。
反射は少ない。魔力吸収も黒塗りの木片より弱い。だが、羽根として動かすと紙の端がわずかにたわみ、影の形が毎回変わった。
「影形状が不安定」
リゼットは、カミーユが何か言う前に記録した。
「早いですね」
「先回り二回目です」
「数えなくてよろしいです」
マリーは小さく笑いそうになったが、すぐに口元を押さえた。王宮の実験室で笑ってよい場面か、まだ判断がつかない。
第五測定は、魔力吸収処理済みの黒布だった。
名の通り、魔力を吸う。最初から怪しい。だが、王宮魔術師団が遮光用に使っている標準素材でもあるため、確認しないわけにはいかなかった。
結果は、予想通りだった。
光はきれいに遮り、反射も少なく、影の端も安定している。そして、魔力を吸う。
「標準素材が、一番使いやすく、一番使えません」
リゼットは真顔で言った。
「矛盾しているようで、矛盾していませんね」
ロアンが苦笑する。
「はい。遮光材としては優秀ですが、今回の条件統制には不適です」
カミーユは記録板へ書き込みながら、わずかに眉を寄せた。
「黒布は除外。黒塗り木片も除外。金属と白陶片も除外。煤紙は影形状不安定」
「全部駄目ではありませんか」
マリーが思わず言った。
実験室の空気が、一瞬だけ止まる。
リゼットは真剣に頷いた。
「はい。全部駄目です」
「お嬢様が認めた……!」
「ですが、全部同じ理由で駄目ではありません」
「安心できる言葉のようで、あまり安心できません」
リゼットは記録板を見下ろした。
反射が駄目なもの、散乱が駄目なもの、魔力を吸うもの、影が不安定なもの。失敗の種類は、分かれた。
それは、何も分からないよりずっと良い。
「全部駄目なら、次に作るものは決まります」
カミーユが言った。
リゼットも同じ結論に到達していた。
「反射せず、散乱せず、魔力を吸わず、形が歪まない薄板」
「そんな都合の良い素材があるのですか」
オルテガが尋ねる。
「既製品では難しいです」
カミーユが答えた。
「ですが、基材と表面処理を分ければ作れる可能性があります」
リゼットが続ける。
「白陶片のように形が安定する基材に、魔力を吸わない低反射処理を薄く乗せる」
「処理材の試験が必要です」
「はい。次回課題です」
ルイスは二人を見比べた。
片方が問題を出し、片方が答えるのではない。二人が同じ方向を見て、まだ存在しない道具の輪郭を少しずつ削り出している。
それは、発見とは別の種類の面白さだった。
* * *
その日のまとめは、昨日より短かった。
『遮光羽根素材試験』
『金属:反射率過大』
『白陶片:散乱大、影端不明瞭』
『黒塗り木片:影端明瞭、微弱吸魔あり』
『煤紙:低反射、影形状不安定』
『魔力吸収黒布:遮光良好、吸魔大』
『結論:既存素材は不適』
『次回課題:低反射・非吸魔処理材』
リゼットは最後の一行を書き終えると、少しだけ満足そうに息を吐いた。
「全部駄目だったのに、満足そうでございますね」
マリーが言う。
「全部駄目な理由が違いました」
「それは良いことなのでしょうか」
「はい。次に潰す順番が分かります」
マリーは、潰す、という言葉が出た時点で深く考えるのをやめた。
ルイスは記録板を眺めながら、静かに言った。
「今日は、何も起きなかったね」
「はい。模型術式は一度も動かしていません」
「でも、昨日より前に進んだ」
「はい」
リゼットは頷いた。
「昨日は、何を測ってはいけないかが分かりました。今日は、何を使ってはいけないかが分かりました」
カミーユが、その横に一行を書き足した。
『不適素材一覧、作成』
リゼットはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「地味です」
「地味ですが、必要です」
「同意します」
リゼットは素直に頷いた。
窓の外では、夕方の光がゆっくり傾いていた。まだ、あの光の揺らぎには届いていない。だが、そこへ近づくための道具は、失敗の山の上に少しずつ形を取り始めている。
マリーは帰り支度をしながら、今日の結論を自分なりにまとめた。
黒ければよいわけではないし、動けばよいわけでもない。そして、お嬢様が満足そうな日は、だいたい周囲の仕事が増える。
最後の一つだけは、測定しなくてもかなり確かだった。
* * *
その帰り道、馬車は、まっすぐ屋敷へは向かわなかった。
「王都の、職人街へ回ってください」
「お嬢様」
「宮廷の備品目録は、全部読みました。載っているものは、全部、駄目でした。──載っていないものを、探しに行きます」
マリーは、抗弁の言葉を探し、見つけられなかった。見つけられない自分に、もう慣れてきていた。
夕暮れの職人街は、実験室とは何もかもが違った。
膠を煮る匂い。金槌の音。石を挽く粉が、傾いた日の光の中で舞っている。荷車を押す男が怒鳴り、子どもが足元を駆け抜けていく。
六歳の令嬢は、そのすべてを、一度も怖がらなかった。
怖がらないどころか、三軒目の塗師の店先で、しゃがみ込んで動かなくなった。
「お嬢様。……また、しゃがまれましたね」
「これは何ですか」
リゼットが指したのは、店の隅に打ち捨てられた、灰色の粉の入った麻袋だった。
店主は、面倒くさそうに答えた。
「そりゃ、屑だ。石を挽いた時に出る粉に、色を混ぜた失敗作でね。安く塗れるってんで昔は使ったが、黒が甘いから、今どき誰も買わん」
「黒が、甘い」
「そう。仕上げにゃ向かねえ。中途半端なんだ」
リゼットの薄紫の瞳が、光った。
「──その中途半端を、少しいただけますか」
店主は、この身なりのいい子どもが何を言っているのか、最後まで分からなかった。分からないまま、屑の袋から、木匙で三杯を紙に包んだ。代金は、受け取らなかった。
馬車の中で、マリーが、ためらいがちに聞いた。
「あの、お嬢様。……黒が甘い、というのは、欠点なのでは」
「はい。仕上げには、欠点です」
リゼットは、紙包みを両手で持っていた。
「ですが、私が欲しいのは、仕上げではありません。魔力を吸わないことです。顔料を減らして鉱物粉を増やせば、色は甘くなり、そのぶん、魔力の食いつきも減るはずです」
窓の外を、職人街の灯りが流れていった。
「宮廷の目録に載る素材は、全部、"よく見えること"を目指して作られています。ですから、全部、何かを足してある。──足していないものが、欲しかったのです」
マリーは、その横顔を見た。
この一年で、何度も見てきた顔だった。ただ今日は、その顔が、王宮の実験室ではなく、職人街の屑袋の前で灯ったことが、少しだけ、誇らしかった。
誇らしいと思った自分に気づいて、侍女長は、そっと胃のあたりを押さえた。
どうやら、自分も、だいぶ毒されてきたらしかった。
* * *
翌朝、小実験室の机には、三つの小皿が並んでいた。
炭粉と膠を薄く溶いた黒膜。白陶片に細かい凹凸を刻んだ無塗装処理。魔力反応の少ない鉱物粉を混ぜた灰色膜。
どれも小さく、地味で、ただの汚れに見えた。
「黒、白、灰色でございますね」
マリーが言った。
「色の問題ではありません」
リゼットとカミーユが、ほぼ同時に答えた。
マリーは二人を見比べ、静かに一歩下がった。この二人は最近、同じ言葉を同じ温度で返してくる。侍女長としては、かなり怖い進歩だった。
基材には、昨日もっとも形の安定していた白陶片を使う。そのままでは散乱が大きいため、表面だけを処理する。影の端がどれだけ明瞭になるか、魔力を吸わないか、乾燥後に膜が剥がれないか。
昨日と同じく、模型術式は使わない。
第一測定は、無塗装の凹凸処理だった。
反射は抑えられた。魔力吸収もない。だが、影の端はまだ甘い。刻んだ溝が不均一で、光の散り方が場所によって変わる。
「悪くありません」
ロアンが言った。
「悪くない、は記録語としてどうですか」
リゼットがカミーユを見る。
「弱いです」
「では、反射減少。吸魔なし。影端、加工不均一により中程度不明瞭」
「使えます」
第二測定は、黒膜だった。
乾いた膜は、薄く、均一で、見た目には美しい。光を当てた瞬間、基準線の影がくっきり出た。反射も少ない。凹凸処理の甘い影を見た後では、ほとんど正解に見えた。
ロアンが小さく息を飲み、カミーユの筆が一度止まる。
「候補順位を、入れ替える必要があるかもしれません」
「膜が薄い。羽根の重量も、ほとんど変わりませんな」
オルテガがそう言ったことで、実験室の空気がわずかに前向きになった。
リゼットも、すぐには否定しなかった。
だが、記録水晶の魔力値が、わずかに下がった。
「吸っています」
「炭粉ではなく、膠ですね」
カミーユが続けた。
オルテガが膜の端を横から覗き込む。
「膜そのものは崩れておりません。ですが、乾いた膠が、光を受けた時だけ、別の反応を出している」
「接着材が、魔力を吸うのですか」
ルイスが問う。
「強くはありません。ただ、微弱に吸っています。今回の試験では、それでも混入条件になります」
リゼットは黒膜を見つめた。
影は、今日の中でいちばん綺麗だった。
だからこそ、腹立たしい。
「……惜しいです」
「記録語ではありません」
「影端明瞭。反射小。膠由来と推定される微弱吸魔あり。模型使用不可」
「使えます」
第三測定は、灰色膜だった。
鉱物粉を混ぜた処理材は、黒膜ほど暗くない。見た目は中途半端で、遮光材としては頼りなく見える。
リゼットは、光を当てる前に、記録水晶の初期値を二度確認した。
「念入りですね」
「良さそうに見えるものほど疑え、と昨日学びました。今日は、良くなさそうに見えるものも疑います」
「適用範囲が広い」
「便利です」
光が当たる。
灰色膜は、黒膜ほどきれいに光を切らなかった。影の端はわずかに甘く、反射も完全には消えない。
だが、魔力値は、ほとんど動かなかった。
実験室に、微妙な沈黙が落ちた。
「いちばん頼りなく見えるものが、残りましたね」
ロアンが言った。
「残っただけです。最適ではありません」
リゼットはすぐに訂正した。
「影端が甘い。反射も残っています。ただし、吸魔は検出限界以下」
「現時点で、唯一の継続候補です」
カミーユが記録した。
リゼットは灰色膜の試料を見た。
美しくもなく、完璧でもない。だが、残った。研究では、そういうものが一番厄介で、一番大事なことがある。
その日のまとめは、二日ぶんになった。
『遮光羽根素材試験(既存素材):全五種、不適』
『無塗装凹凸処理:吸魔なし。影端不均一』
『炭粉黒膜:影端明瞭。微弱吸魔あり』
『鉱物灰色膜:吸魔検出限界以下。影端やや不明瞭。反射微残』
『継続候補:鉱物灰色膜』
『次回課題:粒度別試験、膜厚測定』
リゼットは、最後にもう一行だけ、小さく書き足した。
『注意:見た目で判断しない』
カミーユがそれを見て、少しだけ頷く。
「良い注意書きです」
「二日ぶんの反省です」
「反省が記録に残るのは、良いことです」
「反省しないで済む方が、良いです」
「それは無理です」
「知っています」
二人は真顔でそう言い合った。
窓の外では、夕方の光がまた傾いていた。二日かけて、使ってはいけないものが八つ分かり、使えるかもしれないものが一つ残った。
それだけである。
それだけのことに、二日かかった。




