表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第四章】測るための、道具

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/63

埃を、払わない

 古書店『星屑堂』の、夕方。


 客は来ない。


 この店の客は、そもそも一日に二人か三人である。そのうち一人は道を尋ねに来るだけで、もう一人は雨宿りである。


 エミール・ガランは、それで困ったことがなかった。


 困るほどの生活を、していない。


 カランと鈍いベルが鳴ったのは、客ではなく、配達だった。


 シルヴァーヌ侯爵家からの、定期の封書である。



     * * *



 中身は、いつもと同じだった。


 屋敷付き魔術師ロアンの手による、実験記録の写し。あの娘の署名はない。署名を入れると、送る側の立場が重くなりすぎるからだと、あの家の主は考えているのだろう。


 賢明である。


 エミールはランプを近づけ、紙を広げた。


『光源変動方式:熱混入により保留』

『反射板揺動方式:支柱震動、戻り遅延、左右張力差』

『観測使用:不可』

『第二試作方針:遮光羽根方式』


 しばらく、動かなかった。


 それから、ひとつ、乾いた笑いを漏らした。


「……道具を、作りはじめおったか」


 誰も聞いていない。


 この店で声を出すのは、たいてい独り言である。


 エミールは、老眼鏡を上げ、もう一度読み直した。


 現象を追うのをやめて、現象を測るための機械を作りはじめている。しかも、その機械の誤差を測るための紙まで作っている。


 六歳である。


 六歳の子供が、自分の目を疑い、自分の道具を疑い、自分の紙を疑う手順を、王宮の実験室で組んでいる。


 愉快だった。


 愉快で、たまらなかった。


 だから、笑いが止まった時、エミールは自分でも少し驚いた。



     * * *



 同じことをした男を、彼は一人だけ知っている。


 四十年前の話である。


 その男も、途中で現象を追うのをやめた。追っても捕まらないと気づいて、代わりに道具を作りはじめた。光を測る道具、紙を疑う道具、自分の手が震えているかどうかを測る道具。


 周りは笑った。魔術の研究ではない、と言った。職人の仕事だ、と言った。


 男は気にしなかった。


 道具がそろった年に、男は、誰も届かなかったところまで届いた。


 届いて、それから。


 エミールは、そこで読むのをやめた。読んでいたのは紙ではなく、自分の記憶のほうだった。


 彼は封書を机に置き、立ち上がった。



     * * *



 店の奥は、暗い。


 棚が二列。その向こうに、使っていない書見台。さらに奥に、床板。


 エミールは、そちらを見なかった。


 正確に言えば、見ないようにして、他のところを見た。


 棚の埃を払おうかと思った。思っただけで、布を取らなかった。


 この店は、四十年、埃を払っていない場所がある。


 払えば、そこに何かがあると、自分で認めることになる。


 だから、払わない。


 代わりに、彼はカウンターの奥へ回り、鍵のかかった棚を開けた。


 取り出したのは、古びた革表紙の一冊である。現代表記が統一される前の研究書。蔦のように絡む曲線が、表紙に刻まれている。


 去年、六歳の娘に見せた本だった。


 エミールは、それをランプの下で開いた。


 余白に、書き込みがある。


 細かく、几帳面で、若い字だった。


 自分の字である。四十年前の。


『ここは誤記』

『著者の混乱と思われる』

『体系として破綻。参考にならず』


 全部、外れていた。


 あの子は、同じ頁を覗き込んで、こう言った。誤記ではありません、設計です、と。


 四十年である。


 四十年、この老人は、この一冊を誤記だと思って眺めていた。読めなかったのではない。読める形で目の前にあったものを、自分の物差しで測って、壊れていると判定していた。


 都合の悪い線を、拾わなかったのだ。


 書き込みの末尾には、署名があった。


『王立学院研究員 エミール・ガラン』


 その肩書きは、もうない。


 名前だけが、紙の上に残っている。


 エミールは本を閉じ、棚に戻し、鍵をかけた。


 鍵をかける音が、思ったよりも大きかった。


 カランと、ベルが鳴った。


 客だった。若い男である。恋愛小説はあるか、と聞いてきた。


「入り口の右手だ」


 エミールは、いつもの声で答えた。


 男は礼を言い、二冊買って出ていった。


 それだけである。


 この店の仕事は、四十年、それだけだった。



     * * *



 夜。


 エミールは、返信を書こうとして、羽ペンを持った。


 持ったまま、しばらく動かなかった。


 書くべきことは、ある。


 はっきりと、ある。


 ──そこから先へ、行くな。


 道具がそろえば、次は測れる。測れれば、次は見える。見えれば、次は、なぜそれがそこにあるのかを知りたくなる。


 そして、その問いには、答えがある。


 答えがあるから、危ない。


 エミールは、ペン先をインクに沈め、紙の上で止めた。


 止めたまま、六歳の誕生日に自分が何を書いたかを思い出した。


『答えはない。だが、問いはある。問いを消すな』


 自分で書いた。


 その通りに、あの子は問いを消さなかった。消さないどころか、消せない形にしはじめた。


 今さら、行くなとは書けない。


 書けば、四十年前に自分を黙らせた連中と、同じことをすることになる。


 エミールは、目を閉じた。



     * * *



 結局、彼が書いたのは、一行だけだった。


『遮光材は、色ではなく、魔力反応で選ぶこと』


 技術的な助言である。


 それ以上のことは、何も書かなかった。


 封をして、明日の便に出す箱へ入れる。


 それから、ランプの火を細くした。


 店が暗くなる。


 立ち上がる前に、エミールは、一度だけ、店の奥を見た。


 棚の向こう。書見台の向こう。


 床板の、あたりを。


 見て、それから、何もせずに、火を消した。


 その夜も、埃は払われなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ