揺らぎ光源、設計するほど面倒になる
リゼットが「三日ください」と言った翌朝、王宮魔術師団の小実験室には、昨日よりも多い紙束が積まれていた。
装置を作るための設計図、光量変化を記録するための表、反射材質の候補一覧。それから、なぜかマリーが用意した胃薬の小瓶もある。どれも必要に見えたが、最後の一つだけは少しだけ用途が違う。
「お嬢様。本当に三日で設計なさるおつもりですか」
「設計だけなら可能です。製作と安定運用は別です」
「その区別を聞くたびに、不安が増えるのでございます」
マリーはそう言いながらも、机の端に置かれた羊皮紙が風でめくれないよう、文鎮を置いた。最近の彼女は、研究内容は分からなくても、研究室で何が倒れやすいかだけは分かるようになってきている。それが成長なのか疲労なのかは、本人にも判断できなかった。
その紙束の、いちばん上に。
昨日までは無かった一枚が、載っていた。
王宮魔術師団の印ではない。評議会の、赤い封蝋である。
「今朝、届きました」
ロアンの声が、硬い。
リゼットは封を切り、二度読んだ。
『未説明観測「王宮東側柱・照明陣の二重化」について』
『次期評議会において、当該分類の存置を再審議する。期日、本状より三十日後』
『期日までに第三者立会いのもとで再現が示されぬ場合、当該記録は"再現不能"として整理し、以後、王宮施設における関連調査を認めない』
「……閉じる、と書いてありますね」
カミーユが、横から読んで言った。
「棄却ではなく、整理。うまい言い方です。誤りだとは言わない。ただ、無かったことにする」
「副団長が去られてから、逆に、動きが早くなりましたな」
ロアンが、苦い顔で言った。
「あの方が留まっていれば、少なくとも、正面から潰しに来ました。今は、誰が書いたのかも分からん紙が、勝手に期日を決めてくる」
室内が、静かになった。
三十日。
装置がない。紙がない。手順もない。あるのは、旧温室で二度だけ見た現象と、それを説明できないという事実だけである。
マリーが、胃薬の小瓶に手を伸ばしかけて、やめた。
主人が、笑っていたからである。
「……お嬢様?」
「助かりました」
リゼットは、その一枚を、机の左端に、まっすぐ置いた。
「期限のない研究は、いつまでも精度を上げ続けられます。私は、たぶん、上げ続けます。──三十日と書いてくださったので、どこで手を打つかを、計算できます」
「そういう受け取り方をなさるのは、この国でお嬢様だけでございます」
「では、この国でいちばん、この紙を有効に使えます」
リゼットは椅子に腰かけ、紙の中央に大きく題名を書いた。
『制御揺らぎ光源・初期設計案』
その文字を見て、ロアンが少し身を乗り出す。
「お嬢様。まず何を揺らすのですか。光量ですか、角度ですか」
「両方です」
「最初から両方ですか」
「最終的には両方必要です。ただし、同時に変えると条件が混ざります」
リゼットは別の紙に、三つの欄を作った。
『光量揺らぎ』
『反射角揺らぎ』
『材質差』
「第一段階では光量だけを変えます。第二段階では反射角だけを変えます。第三段階で、歪み硝子を通した時の差を見る。第四段階で、組み合わせます」
「かなり堅実ですね」
ロアンが言うと、リゼットは少しだけ不満そうに目を上げた。
「堅実にしないと、カミーユが怒ります」
「カミーユ殿の名前が、棄却条件の象徴になっております」
「便利です」
ロアンは笑った。マリーは笑わなかった。便利という言葉で宮廷魔術師を扱う六歳の令嬢を見守る立場は、あまり心臓に優しくない。
午前のうちに、ルイスとカミーユ、オルテガも小実験室へ入ってきた。ギルバートはいつものように扉の近くに立ち、部屋全体を一度見回してから、机の上の紙束の高さに少しだけ目を止める。
「一晩で増えたな」
「紙は軽いので、増やしやすいです」
リゼットが真面目に答えると、ギルバートはそれ以上何も言わなかった。正しい返答なのに、どこか会話がずれている。
カミーユは設計案の一枚目を読み、すぐに眉を寄せた。
「光量揺らぎの発生に、魔石灯の出力変動を使うのですか」
「はい。現有設備で最も簡単です」
「簡単ですが、熱が混ざります」
その一言で、リゼットの手が止まった。
魔石灯の出力を変えれば、光量は変わる。だが、同時に熱も変わる。熱が変われば、模型術式に使った魔法インクの粘性や紙の伸縮、あるいは魔力伝導の微差が変わる可能性がある。
光の揺らぎを調べたいのに、熱の揺らぎが混ざる。
非常に面倒だった。
「……妥当な指摘です」
リゼットはしばらくしてから言った。
「少し悔しそうですね」
「悔しいです。見落としました」
その声は淡々としていたが、机の上のペン先が、紙の同じ場所を二度叩いた。マリーはそれを見て、また紙が皺になるのではないかと身構えた。
カミーユは勝ち誇らなかった。
「見落としというより、初期案ではよく出る混入条件です。光学試験では、光量を変えるつもりで熱を変えてしまうことが多い」
「では、熱を切り離します」
「どうやって」
「遮熱硝子を挟みます」
リゼットは即答したが、すぐに自分で首を横に振った。
「いえ、駄目です。硝子を挟むと屈折と歪みが入ります。反射条件が変わります」
「そうです」
カミーユは頷いた。
「熱を切るために硝子を入れると、今度は光の経路が変わる。光の経路を守るために硝子を外すと、熱が混ざる。そこで悩むべきです」
オルテガが深く息を吐いた。
「悩むべきことが、昨日より増えておりますな」
「進んでいる証拠です」
リゼットはそう言ったが、声には少しだけ不機嫌さが混じっていた。分からないことが増えるのは嫌いではない。だが、自分の設計案に穴があると分かるのは、単純に悔しい。
ルイスはその様子を見て、わずかに表情を緩めた。
「では、第一案は棄却かい」
「棄却ではありません。分割します」
リゼットは紙の上に、新しい線を引いた。
『光源変動方式』
『遮熱方式』
『反射角変動方式』
「光源を直接変動させる案は、熱混入ありとして保留。別案として、光源は固定し、反射板だけを微小に動かします。これなら熱は一定です」
「反射角だけを揺らすのですね」
ロアンが確認する。
「はい。ただし、反射板を動かすと、角度だけでなく光の当たる位置も変わります」
「また条件が混ざりますね」
「はい。非常に腹立たしいです」
リゼットは平然と言った。マリーは「腹立たしい」という言葉が研究用語として使われ始めたことに、静かな危機感を覚えた。
カミーユは設計案の余白に、細い字で書き込む。
『反射板揺動案:熱一定。角度と照射位置が混在』
「照射位置を固定するには、二枚の反射板を使うべきです。一枚目で揺らぎを作り、二枚目で照射位置を戻す」
「二枚にすると、反射面の材質差が入ります」
「同材質にする」
「同材質でも、表面研磨の差が出ます」
「では同じ板を分割して使います」
「分割時に縁の歪みが入ります」
リゼットとカミーユは、ほとんど間を置かずに言葉を交わした。
ロアンは途中から口を閉じた。オルテガも腕を組み、二人のやり取りを聞く側へ回る。ルイスは面白そうに見ていたが、ギルバートだけは、これが会話なのか決闘なのか判断しかねる顔をしていた。
「……仲がよろしいのでしょうか」
マリーが小さく呟く。
「研究者同士としては、かなりよろしいのでは」
ロアンが答えた。
「私には、言葉で殴り合っているように見えます」
「研究では、殴る場所を紙の上に限定できれば平和です」
「平和の定義が広すぎます」
リゼットは二人の会話を聞いていない。カミーユも聞いていない。二人は同じ紙を覗き込み、条件を混ぜないための方法を次々に書き足していた。
やがて、設計案は最初のものから大きく変わった。
魔石灯の出力は固定し、熱を変えない。反射板は一枚だけを微小に揺らし、照射位置のずれは模型側ではなく記録水晶側で補正する。補正値は、模型とは別の基準線に光を当てて測る。
完璧ではない。
だが、最初の案よりは、何を変えて何を変えていないのかが分かる。
「第一試作は、この形でしょう」
カミーユが言った。
「同意します。ただし、これでは光量揺らぎではなく、反射角揺らぎの試験になります」
「それでよいのでは」
ルイスが尋ねる。
リゼットは頷いた。
「昨日の第三回で、反射角変更によりずれ幅が増えました。まず反射角だけをきれいに動かせるなら、次の確認にはなります」
「光量揺らぎは後回しか」
「はい。熱が混ざるので、先に扱うと記録が汚れます」
カミーユはその言葉に、ほんの少しだけ口元を動かした。
「記録が汚れる、という表現は使えます」
「では使ってください」
「使います」
宮廷魔術師団の懐疑派と六歳の令嬢が、真顔で用語を共有し始めた。
マリーは、いよいよ後戻りできないものを見た気がした。
午後になると、簡易試作の部品が集められた。小さな支柱、角度を刻んだ円盤、極細の魔力糸、薄い反射板。職人を呼ぶほどの正式な装置ではないが、反射板をわずかに揺らし、その角度を読めるだけの形にはなった。
机の上に組まれた第一試作機を前に、リゼットは円盤の目盛りを見て小さく眉を寄せる。
「粗いです」
「六歳の令嬢が即席で作らせた装置としては、十分細かいと思いますが」
オルテガが言う。
「二重化のずれ幅が小さいので、角度の誤差も小さくする必要があります」
「どの程度まで」
「最低でも、今の半分」
オルテガは黙った。
ロアンも黙った。
ギルバートは表情を変えなかったが、支柱を持つ手に少しだけ力が入った。
「お嬢様。今の半分となりますと、今日中の完成は難しいのでは」
マリーが恐る恐る言った。
「はい。今日中には無理です」
リゼットはあっさり認めた。
その場にいた大人たちが、わずかに驚いた。リゼットが無理を無理と言ったからである。
「三日と言いました。今日は設計の一日目です。試作はできますが、観測に使える精度ではありません」
「無理に動かして、結果を取るつもりはないのですね」
カミーユが確認する。
「ありません。誤差の大きい装置で結果を取ると、後で面倒です」
「正しいです」
カミーユは短く言った。
それだけの言葉だったが、リゼットは少しだけ満足そうに頷いた。
試しに魔力糸へごく弱い力を流すと、反射板は小さく震えた。光点は模型の手前を横切り、一瞬だけ狙った角度に近づく。だが、次の瞬間には支柱まで細かく揺れ、記録水晶に映った光点は、細い線ではなく滲んだ帯になった。
動く。
だが、測れない。
リゼットはその二つを、きっぱり分けて受け取った。
それでもリゼットは、失敗とは書かなかった。
『第一試作』
『反射角揺動、動作確認』
『精度不足』
『照射位置補正、未達』
『観測使用不可』
カミーユがその記録を覗き込む。
「観測使用不可まで書くのですね」
「使えないものを使えるように見せると、後で困ります」
「非常に同意します」
リゼットは少しだけ目を瞬かせた。
「今日は同意が多いですね」
「否定する場所が、まだ装置側にありますから」
「なるほど」
リゼットは納得した。マリーには、まったく納得できなかった。
* * *
翌朝。
リゼットが小実験室へ入ると、カミーユはすでに試作機の前に立っていた。
その横に、新しい羊皮紙が置かれている。模型術式ではない。まっすぐな基準線と、細かな目盛りが描かれた紙だった。
「先に作っておきました」
リゼットは一瞬だけ、目を細めた。
「私が作ろうとしていたものです」
「でしょうね」
「少し悔しいです」
「測定の悔しさは、測定精度で返してください」
ロアンが小さく笑い、オルテガは咳払いでごまかした。マリーは、宮廷魔術師が六歳の令嬢に当然のように研究勝負を挑んでいる光景に、もう驚く力が残っていなかった。
今日は、模型術式を動かさない。
反射板の揺れを、ただの線として記録する。それだけである。
「地味ですね」
ロアンが言った。
「地味です」
リゼットは即答した。
「ですが、地味なものを飛ばすと、派手な間違いが起きます」
第一回測定。
光点は基準線の上をゆっくり横切り、三つ目の目盛りの近くで止まりかけた。
その瞬間、光点が細く震えた。記録水晶には、点ではなく短い線が残る。
「支柱震動、まだ混ざっています」
「張力を下げます」
「下げると反射板が戻り切らない可能性があります」
「確認します」
第二回。
震えは減った。だが今度は、反射板の戻りが遅れ、基準線の上を通る速度が一定ではなくなる。
「張力低下で戻り遅延」
「はい。駄目です」
「駄目、は記録語ではありません」
「戻り遅延により周期不安定」
「使えます」
第三回では、魔力糸を二本にした。一本で引くと支柱が片側へ倒れる。二本で左右から支えれば、反射板だけを揺らしやすい。理屈は単純だった。
だが、二本にした瞬間、左右の張力差が出た。光点は、きれいな弧を描かず、少しだけねじれる。
「左右差」
ロアンが呟いた。
リゼットは記録板を見下ろし、深く息を吐いた。
「直すほど、誤差が増えます」
「研究装置とは、だいたいそういうものです」
カミーユが言った。
「嫌な慰めです」
「慰めではありません。事実です」
リゼットは反論しようとして、やめた。事実なら仕方がない。
* * *
「反射板を、固定します」
リゼットが言うと、オルテガが目を瞬いた。
「昨日と逆ではありませんか」
「はい。動かすと誤差が多すぎます。ならば、反射板は固定し、光源側の手前で遮光羽根を動かします」
「遮光羽根?」
「光を遮る薄い板です。光源の出力は変えず、光の一部だけを周期的に遮ります。熱は一定に近く、反射板も動きません」
カミーユの目つきが変わった。
「羽根の影が入ります」
「入ります。ですが、影の形は基準線で測れます」
「羽根の振動周期がずれる可能性があります」
「周期は記録水晶で別記録します」
「羽根の材質で反射が出る」
「材質を三種類に分け、反射率を先に測ります」
カミーユは、そこで一度だけ言葉を止めた。
「……先回りしましたね」
「昨日、条件を混ぜると怒られると学びました」
「怒ってはいません」
「では、厳しく分類されます」
「その表現なら認めます」
カミーユは記録板へ、羽根材質試験の欄を書き足した。
「黒塗りにする案もありますが、塗料は別扱いです」
「黒塗りの塗料が魔力を吸う可能性は」
リゼットは、一瞬止まった。
そこは、考えていなかった。
「……あります」
「では、塗料候補も試験に入ります」
「はい」
リゼットは、悔しそうに頷いた。ペン先が紙を二度叩く。
だがすぐにペンを持ち直し、新しい欄を書いた。
『遮光羽根方式』
『光源固定』
『反射板固定』
『熱混入小』
『影形状、塗料吸魔性、周期揺れを別測定』
「第二試作の方針としては、こちらの方が良いでしょう」
「二日、遠回りしました」
「遠回りではありません。反射板を動かす方式が不適切だと分かりました」
「失敗を言い換えていますか」
「いいえ。分類しています」
「分類なら許可します」
「許可されました」
カミーユは真顔で返した。
* * *
ルイスは、二日で捨てられた二つの案の記録を見ていた。
答えは出ていない。二重化も起きていない。未知記号など、影も形もない。だが、昨日まで見えなかったものが、今日ひとつはっきりした。
この問いは、天才の直感だけでは追えない。道具が要り、手順が要り、そして間違いを間違いと書ける人間が要る。
「三日のうち、二日を使ったわけだ。どうだい」
ルイスが尋ねた。
リゼットは試作機を見てから、記録板に視線を落とした。
「進んでいます。ですが、予想より面倒です」
「それは悪い知らせかな」
「いいえ」
リゼットは首を横に振った。
「面倒なものほど、条件が隠れています」
マリーは、その言葉を聞いて静かに目を閉じた。
お嬢様が面倒を嫌がらない限り、この研究は止まらない。
そして今日、止まるどころか、専用の道具まで作り始めてしまった。
マリーは帰り支度をしながら、胃薬の小瓶をそっと確認した。残量は、思ったより少なくなっていた。
* * *
帰りの馬車で、リゼットは膝の上の設計図を見ていた。
光を揺らすための、面倒な道具。その道具を作るために、また面倒が増える。
五歳の夜、紙の上で出してしまった結論が、頭の隅をよぎった。同じ設計なら、この国の壁にも、同じ穴がある。
あの計算は、まだ誰にも見せていない。見せるには、線が一本、足りない。
その一本を捕まえるために、この二日は、反射板の揺れ方だけで終わった。
遠い、と思った。
それから、遠いからといって、道具を作らずに済むわけではない、と思い直した。




